星子

                 星子とカメ太郎の悲しい恋の物語

                                                                              

                                                                                          カメ太郎

 

 

 

 

 

 

 僕らは天国への階段を手を携えて登りつつあった

カメ太郎さん天国はまだなの遠いわ星子もう足が疲れたわ

 僕は座り込もうとした星子さんを背負って再び階段を登り始めた僕の背中に星子さんの柔らかい躰と体温が伝わってきていて僕は幸福だった

でも僕ら早過ぎたのかもしれないねお父さんやお母さんが悲しんでいるよ天国へ旅立って行った僕らをとても悲しんでいるよ僕らあんまり早過ぎたのじゃないのかな?』

カメ太郎さん何処なの天国の門は何処なの見えないわずっとずっと階段が続いているだけで天国の門なんて見えないわ?』

僕も星子さんを背負いながらいつまで経っても見えて来ない天国の門に疑いの心を持ち始めていました僕が今巡っているのは本当に天国への階段なのだろうかという疑いがありました

 ……もう僕はどれ程この階段を登ったことでしょうもう千段も少なくとも数百段は登ったようでした僕の目の前の光景はだんだんと薄暗くなりつつありました

 僕は足が疲れているだけでどうでも良かったけど星子さんは僕の背中ですすり泣いていました天国だと思った処がどうも天国ではないようでしたそれで星子さんは泣いていました僕は歯を食い縛りながら一歩一歩と登り続けました

カメ太郎さん何処なの天国は何処なの?』

僕も星子さんを背負っていて疲れ切っていましたもう星子さんを降ろそうかなとも思いましたそうして一人で走っていって天国へ辿り付こうかなとも思いました

 

 遠く遠く星が見えるだろ    

 あれが天国への門なんだ

 遠くて遠くてあまりにも遠いだろ

 引き返そうよ星子さん

 もう届きはしないよ

 僕らあんな遠い処へは行けないよ

 

 

 

 

 

 

 

 海の中で星子さんの苦しさと僕の苦しさが溶け合って黒い水の中に僕らは沈んでいっていた星空がそんな僕の目にぼんやりと映っていた

 何度も海面へ浮かび上がり助けを求めた僕の意識は喪われてきていたそしてもう一息もう一息と僕は水を飲んでいたようだった

 誰かが僕の首根っこを掴んだとても力の強い人だった僕はそうして気を喪ったらしかった

 

 

 

 

         (ある者の証言

ズボンッ

 と桟橋から海に何か大きいのが落ちる音が聞こえましたそれは何か人魚か何かが月夜に浮かれ出て桟橋に上がり月見をしていたら人が来たのでやっぱり海の中に戻ったのだと私には思われました何かが落ちたのではなく何かが海の中に戻ったのだと私には思われました

 春の夜の幻聴のようにも思われました私は再び縁側からテレビのある部屋へと戻りましたテレビではプロゴルファがあっていました

 やがて寝転がってテレビを見ていた私の耳に今度は微かに再び桟橋あたりからボスッと海の中に飛び込む音が聞こえました私は何気なく立ち上がり再び襖を開けて遥かに桟橋あたりの海を眺め始めました海面を何か河童のようなのが泳いでいるようでした私は再び夢見心地のような気分になりふらふらとしながら襖を跨ぎテレビの部屋に戻りましたそして再びゴロッと横になりテレビを見始めました

 

 

 

 

夢の中で

 青い海辺に僕らは腰かけている星子さんはさっきから幸せは何処なの幸せは何処にあるのと聞いている僕は黙って海を見つめているゴロも僕の横でさっきから黙って海を見つめているでも星子さんだけはさっきから幸せは何処にあるのと尋ね続けている僕は答える方法もなく海を見続けているでも星子さんはさっきから泣きながらそう尋ね続けているでも僕には答えることはできなかった

 

 

 

 僕がこれを書いて年経って星子さんが死んだその頃僕らはまだ文通を始める前だった僕らはそのときすぐ近くに住んでいた夕暮れどきいつも見渡す僕の家の窓辺から星子さんの家がすぐ近くに見えていた

 僕はすぐ近くに住んでいる星子さんの家の窓を毎日よく見続けていた僕が市場の階にまだ住んでいた頃のことだった

 狭い六畳間の市場の階に僕たち一家は住んでいた。1階で果物店と衣料品店を僕の家はしていた僕が小学年の頃までは経営はとても苦しかったそのためもあって父と母は毎日喧嘩していた

 小学六年の頃だから僕の家にも光が差し始めたばかりの頃だった僕は小学年の月頃から再び勤行唱題をするようになっていただからそれから三ヶ月ぐらい経った頃書いたものだと思う

 ときどき僕らは道ですれ違っていたし窓辺から星子さんが車椅子で星子さんの家の傍のちょっと坂になった道を登っていっているのを見ていた僕はよく夕暮れどき窓辺に腰かけて星子さんがその坂道を登ってゆくのを哀しげに見つめていた

 

 

 今思えば哀しい思い出かもしれないでも今の僕の胸の中には光って見える遠い過去の思い出として悲しいけど美しく映っている

 

 

 

 

 

 

 暗くて良く解らなかったけれど星子さんがいた車椅子の上で何かを囁いていた星子さん星子さんあのとき何を言っていたのだろう夜の時の闇が僕らを覆い尽くそうとしていた。(僕が小学年のときタコ太郎の店の前で) 

 今も解らないあのとき星子さんは何を言おうとしていたのだろうでも死んでしまった今ではもう解らない

 

 

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僕が小学年の終わり頃のことだ

 僕は吃り吃り喋ったそして悲しい視線が桃子さんたちから帰ってきた

 それ以来桃子さんたちは僕を振り向こうともしなくなったそれまでいつも廊下ですれ違うたびごとに僕に好意の視線を送っていたのに

 でも星子さんだけは車椅子の可哀想な星子さんだけは廊下ですれ違うたびごとに僕を見つめていたでもその視線はあれ以来哀しげな視線に変わったように僕には思えるのだけど

 

 

 

 

 

 

 

       カメ太郎 出さなかった手紙

      (僕には星子さんしか似合わないんだ足の悪い星子さんしか

          こういう走り書きが便箋の裏にあった

 星子さんへ

 星子さんあのときはごめんねありがとうの言葉もろくに言えなくて

 僕は言語障害なのです以前僕に桃子さんたちが喋りかけてきたとき僕はひどく吃り吃り喋って桃子さんたちは笑いながら走り去っていったことをもう一年以上も前のことになると思います

 僕は喋るのが怖かったからだからこのまえ星子さんの花束を奪うようにして持っていったけどすみませんでしたでも僕はとても嬉しかったですあんなに一杯胸に抱え込んでいて大丈夫でしたか真っ白い薔薇でとても綺麗でした僕は今まであんなに綺麗な花をその花束の向こうに星子さんの顔が見えて僕は今でも瞼の裏にあのときの光景を想い浮べることができます

 白いたくさんの薔薇の向こうに恥ずかしげに俯く星子さんの顔がありました

 でもあの白い薔薇刺がたくさんあってそのとき星子さんの着ていたセに傷が付いたような気がして後でとても悩みました僕はそのこと後で発見しました誰もいない体育館の裏で星子さんから貰った大きな一抱えほどもある白い薔薇に星子さんの着ていたセの毛が付いていました僕はそれを指でつかんでふっと吹いてしまおうかなと思いました僕は薔薇の刺に付いていた赤い毛糸の切れ端を指で取ってふっと風に乗せましたするとどんどん上に浮かんでいってだんだんと中学校の方に見えなくなってゆきました

 僕は星子さんからありがとうと呟くように言って奪うように取ってきたのだけど

 赤い毛は僕と星子さんを繋いでいる幸福の赤い糸のようにも見えました星子さんの着ていた赤いセの毛玉僕と星子さんの恋を乗せてゆくようにゆっくりと動いてゆきました

 そう言えば僕このまえ変な夢を見ました僕と星子さんが結婚式を挙げた後新婚旅行に出かけるときの光景でしょう木製の船に乗って僕らが何処かに旅立つ光景が浮かんで来ました星子さんはまっ白なウェディングドレスを着ています僕は髭をモジャモジャとはやしていて何処かの王子か何かなのかなあ

 星子さんからのあの花束名前何と言うのだったんですか

 白い花で僕は裏庭で星子さんに喋りきれなかった悔しさに苦しみながらふっと息を吹きかけましたすると白い花びら雪のように風に舞い始めましたちょうどそのとき吹いてきたつむじ風に花びらはまるで僕と星子さんがダンスを踊るように舞いましたとても不思議でしたつむじ風のなかで踊る僕たちは白い花びら白い小さな王子とお姫さまのようでした

 僕たち不思議な花びらで誰もいない裏庭で誰にも気づかれないように踊る恋人どうし白い白い恋人どうし。                    

 

 

 

 

 

 その日僕は学校から帰ってくるとじりじりと照らす西陽を階段の上の小さな窓から見つめていると青春の衝動というのだろうか何かに胸を突き上げられるようになってランニングするときの服に着替えて家から駆け出し始めた不思議な抑えようもない熱感が僕にはあった

 また一日の苦しみに満ちた学校が終わった解放感が僕にはあった

 網場の海のあの浜辺まで1kmぐらいだろうかその1kmは短かった僕はいつものように小さな獣道を駆け降りていつも星子さんが海を見ている浜辺のうしろの林の中に倒れ込んだ

 僕の目の前には激しい僕の息で揺れる青い雑草そして吹き荒ぶ砂のような土そして僕の躰の下には草と土の塊僕はいつも苦しい息の下そうして倒れ伏しながら車椅子の星子さんの姿と歌声なのだろうかそれとも何かに妖精か何かに喋りかけているのだろうか星子さんの声を聞き取ろうと耳を澄ませた

 あっ歌っている星子さん何を歌っているんだろう

……

カメ太郎さん出ていらっしゃいカメ太郎さん星子解っているのよ

 星子は何度もこう言おうと思いました星子には解っていました後ろの蜜柑の木などが植わっている林のなかにカメ太郎さんが隠れているのを

 夕暮れで周りは少しづつ薄暗くなっていっていました波の音と小さな小鳥たちの声が星子とカメ太郎さんを包んでいました

 星子は恐る恐る車椅子を動かし始めましたとっても恥かしくて心臓がとても激しく打っていました

 星子静かに車椅子を動かしていましたなんだか頬がほてってきて星子わざとこうしているのがカメ太郎さんに解りそうでとても恥ずかしかったわ

 車輪が暗い穴のなかにちゃりんという音をたてて落ち込みました

カメ太郎さん助けて! カメ太郎さん助けて!』

 星子は必死に心のなかでそう叫びました恥かしくて顔をまっ赤に染めて俯いていたと思います

 1分ぐらい経った頃でしょうか星子泣きかけていましたカメ太郎さんなかなか来なかったからカメ太郎さんの意気地なしカメ太郎さんの意気地なしと星子心のなかでそう言いながら泣いていました

 でも星子が本当に泣き始めようとしているときでしたカメ太郎さんの隠れている林の方に音がしたと思ったらカメ太郎さんが林のなかから起き上がって星子の処に走ってきてくれていました星子嬉しくて嬉しくて頬をまっ赤にして泣いていたと思います星子それからその後のことあまり憶えてないのですカメ太郎さん駆けてきていたわわざと車輪を穴に落とした星子のために走ってきてくれていたわ星子恥ずかしくて恥ずかしくてもう目の前が涙で見えなくなってカメ太郎さんの走ってきている姿ももう見えなくなりましたごめんなさいカメ太郎さん

 やがてカメ太郎さん星子の処まで来てくれました星子の車椅子の把手を持ってそしてカメ太郎さん力強いのね持ち上げて舗装された道の方へと運んでくれましたカメ太郎さんごめんなさいカメ太郎さんごめんなさい星子とっても重たいのにこんなこと星子わざとカメ太郎さんにさせてしまってごめんなさいカメ太郎さんごめんなさい

 涙で曇ってよく見えなかったけどもう少しで星子が楽に進めるコンクリトの道でしたカメ太郎さんごめんなさいこんな大変な思いをさせちゃってごめんなさい

 やがて星子コンクリトの道の上に静かに降ろされました星子じっとしていましたコンクリトの白い道の上に降ろされたまま星子じっとしていました星子どうして良いのか解らなかったのです星子目にいっぱい涙を溜めてじっと俯いていました

 ごめんなさいカメ太郎さんごめんなさい

 星子、5分くらい経った頃でしょうかわんわん泣いていました振り向くとカメ太郎さんもう消えていましたなんだか林の奥を駆けてゆくカメ太郎さんの後ろ姿がゴロ君と一緒に見えたような気もするけど

 ごめんなさいカメ太郎さんごめんなさい

 星子そうして駆けてゆくカメ太郎さんの後ろ姿を涙に曇りながら見送っていましたごめんなさいカメ太郎さんごめんなさい

 カメ太郎さん幻のように消えていって後にはカメ太郎さんが駆けていった林が木の葉の音を微かにたてていましたカメ太郎さん幻の王子さまのように現れてやっぱり幻の王子さまのように消えていったわそして星子王女さまだったの海辺で泣いていた王女さまだったの

 

 

 

 

 

           (僕は唖の旅人

 星子さんこのまえ浜辺で星子さんを救った人を知ってるかい? 彼は唖の旅人でその日風に乗って東望辺りからやってきたんだ仙人のように風に吹かれて漂ってきたんだ

 僕は以前から星子さんを好きだった仙人で学校から帰るとすぐ家を飛び出して来たんだ

 ごめんね友達になるチャンスだったのに僕も後でものすごく後悔しましたごめんね

 でもこうやって文通できるようになったから僕は幸せですこの頃一日のうち半分は星子さんのこと考えていてこれが初恋なんだなあと思っています胸がわくわくしてきて授業中もにやにやと笑ってしまいますでも僕は仙人のように誰にもこのこと話していません僕は今日も一日中にやにや笑いながら授業を受けてきましたななめ前の女の子がそんな僕を見てプッと笑いました

 

 

 

 

 

 

 

                      (中一・12

 もう12月になって寒い日々が続いています星子さん風邪なんか引いてませんか? 僕は11月の半ば頃からずっと風邪をひいていてヶ月ぐらいずっと熱が出ていますそれにものすごく痰が出て授業中なんか困って休み時間になるとトイレへ走って行ってたくさんたくさん溜まった痰を吐いています

 

 

 

これらは出されずに本棚の片隅にずっと置かれていた手紙の束である寂しげに何年間も打ち棄てられていたそしてこれを見つけたのは大学に入って年も経った日のことであった自殺を考えて朝から家で悶々としていた日のことであった

 

 (なおこれにはそれに含まれないものも含まれている

 

 

 

 カメ太郎さん吃るから電話しちゃ駄目だって言うけど星子もたまにはカメ太郎さんとお話してみたいカメ太郎さんどんなに吃たって良いから電話してみたい

 

 

 

 

 小さい頃ずる休みばっかりしていた僕僕は卑怯だったでも僕はそれほど毎日の学校が苦しかった僕が仮病を使ってずる休みをするのも当然だった

 卑怯な僕小学校一年二年のときのようにまたずる休みするようになった僕中学生になってまたずる休みするようになった僕

 

 

 

 

 もう夏になりかけているこの頃です星子さんお変わりありませんか僕はこの日曜日朝起きてからずっと勉強していましたそして窓辺から外の景色を眺めたら星子さんの顔をした入道雲が出ていて僕はとてもおかしくなりました

 何故その雲は星子さんによく似ているのかなあと不思議に思いました

 ゴロが散歩に連れていってくれるように窓辺から顔を出して外の光景を見ていた僕を見て吠えていました

 白いヨットが海の上に浮かんでいます幾つ浮かんでいるのかなあその白いヨットはスイスイと気持ちよく海の上を動いています

                         (中二・6

 

 

 

 

 

 

 僕とゴロは泣きながら帰っていた星子さんを見た悲しさと悲しそうだった星子さんの姿と寂しげな夕暮れの景色と僕は悲しかった

 僕とゴロはてんてんと家へ向かって走りながら泣いていた道を行き過ぎる恵まれた人たち何も悩みのないようなクラスメ幸せなクラスメ苦しむ僕や星子さん僕は悲しかった

 

 

 

 

 星子さんの涙と僕の涙が溶けていきそうしてこの雨になっているのだろう星子さんの涙と僕の涙が一つになってこの寂しげな雨になっているのだろう窓から星子さんの家を眺めながら僕はそう思っている

 

 

 

 

 

 僕は一日の睡眠時間がもう時間を切っていた毎日12時まで題目を上げていた。7時半にクラブから帰ってきてそれからゴロの散歩にいって、8時くらいに帰ってきてそれからお風呂に入ったりご飯を食べたりしてそれから勤行して唱題を一日五千遍一時間四十分朝のと合わせて上げているそれから教学創価学会の勉強を二三十分するともう12時になっているそから中国語の勉強や学校の勉強を時半ぐらいまでして寝て朝は時頃起きて急いで朝の勤行と唱題をして分ぐらいでご飯を食べて学校へ走っていっていつもギリギリでいつも遅刻になる鐘が鳴ってるときにいつもその鐘の音が鳴り終わる寸前にいつもそのチャイムの最後の鐘の音がの余韻が響いているときにいつも今にもその最後の鐘の音の余韻が消えようとしているときにいつもタコ太郎僕の友達と一緒にギリギリで教室に入っていっている。(タコ太郎はでも僕とちがってそのチャイムの最後の音の余韻が消えた寸前に教室に入っていて先生から半分冗談に怒られているけれど)、でも僕は四回か五回に一回しか最後の鐘の音に遅れません

 

 

 

 もう秋になってしまった暑い夏の季節も終わってしまったそうして寒い北風が吹いてきて小鳥たちも居なくさせた浜辺には何も見えなくてただときどき打ち寄せる白波しか見えない

 

 

夢の中で

 幸せは幸せはどこにあるの? 

 幸せは雲仙岳が見えるだろ天草の島々が見えるだろその向こうに阿蘇岳だと思うけど見えるだろあの阿蘇の山々の向こう在ると思う

 幸せの国々がみんなが幸せに仲良く暮らしている国々が人を憎んだり陥しめたりいじめたりすることなんて全然ない国々がそこに在ると僕は思う

 

 

 

 

 

 

 

 

         (もしも星子に足があったなら

 

 もしも星子に足があったなら

 そうしたら星子カメ太郎さんと海辺を歩いてみたいわ

 手をとり合って歩いていてたち夕陽で赫くなった水平線を見つめながら話をするの

 たち夕方時にその浜辺で会うことに約束をしているの

 カメ太郎さん学校が終わるとすぐにランニング姿でやってくるの

 星子薄くお化粧して自慢の白いドレスを着てくるの

 星子いつも約束の分ぐらい前までには約束の場所に来るのに

 カメ太郎さんいつも分ぐらい遅れて来るの

 そしていつも走ってきて肩で息をしているの

 風がピュッと海から吹いて来るの

 カメ太郎さんの髪も星子の髪もその風になびくの

 髪が目に掛かって星子たち髪を手で払って

 再びさっきの話を始めるの

 「遠くに三味線島が見えるだろ

  そこまでこのまえ泳いで行こうとしたんだ

  友だちの水泳部のタコ太郎という奴と

  でもみんなが止めろ止めろと言うし

  僕らもなんだかやる気がなくなってきて止めたけど

  もしそれを実行してたら今日こうやって二人でここを散歩することなんてできなかったかもしれない

  実行しないで良かったのかな

 たちそして抱き合うの

 カメ太郎さんの躰いつも熱いの

 そしてとっても力が強くて星子身じろぎもできないの

 カメ太郎さんの胸汗でちょっと濡れていて星子の頬その胸に思いっきり押しつけられるの息ができないくらい

 でもたち倒れ伏すのたち世間の荒波に揉まれて倒れ伏すのたち足がなくっても倒れ伏す運命だったのたち

 

 

 

 

 

 

 

 星子はくるくると空中を飛んでました母の悲鳴が聞えてきます空が青くてとても綺麗だわ小鳥が星子と同じ高さの処を飛んでいるわそれに車や家の屋根が見下ろせるわ星子鳥になったのかしら

 星子鳥になったんだわ躰がふっと空中を飛んでいるもん気持良いわとっても気持が良い星子天使になったみたい羽が生えて星子飛んでいるのかな星子鳥みたい躰が軽くなってふわふわと飛んでいるんだわ

 さっき腰の処が急に痛くなってそしてどすんっともの凄い音がしたと思ったらこうなっちゃった星子どうしたのかな星子どうしたのかしら

 星子道の向こうで立ち話をしている母の処へよちよちと走りだしたのすると急に目の前が真っ暗になって星子は空中に飛んでたの真っ青な空と大きな白い雲がすぐ近くに見えたわ

 星子何処に行くのかしら? 星子天国に行くのかしら

 とっても気持ちが良くて星子神さまの手の平に乗って空を飛んでたみたい小鳥が星子さんを不思議そうに見つめていたわ

 やがて星子はふわりと落ちてゆき始めました星子の羽何処に行ったのかしら? 星子落ちてゆこうとしているわ

ばきゅんっ』、星子の頭と手足は叩きつけられて波のように跳ねました星子は意識が遠くなって目の前がとてもまっ暗になり何も見えなくなりました

 

 

 

 

 

 

星子さんへ

 るるると朝早く電話のベルが鳴ったから誰からだろうと耳を澄ましていたら担任のゴリラ先生からでした父が出て熱が39も出ていることを話していました僕はそっとベッドに戻り再び熱よ上がれ熱よ上がれと念じ始めました

 

 僕が死ぬと天国へ行くのか地獄へ行くのか解んないなたぶん両方の中間ぐらいの処に行くと思うよ窓から見える網場の海の上空と海の中間辺りに漂うようになるんじゃないかな

 

 僕はこういう日こういう悲しい日ふと星子さんの胸に抱かれることを思います星子さんの胸の中温かいだろうなあそうして心配でこの浜辺にゴロと震えながら佇む僕の心をきっと癒してくれるだろうなと思ってしまいます

 星子さんは今頃学校なんだろうなと思います純心のポプラの木の向こうで明るく楽しそうに授業を受けてるんだろうなと思うとそんなに楽しい授業なんて受けたことのない僕には、(苦しい苦しい授業ばかりを受けてきた僕にはちょっと妬ましいほどです

                        

 本当は僕はこの浜辺に悲しげに佇まなくてはいけないのだけど夏の残り火と言うか夏の青い輝く海面が僕の目を幻惑し出し僕はいつか幸せな心地に浸っていましたゴロも辺りを呑気そうに歩き回っていますとても幸せそうです

 この浜辺は本当は悲しみの浜辺のはずなのに僕の心は何故か慰められて磯の香りかなそれとも細波の音かなそれとも星子さんが車椅子にぽつんと座って寂しげに背中を見せて海を見つめている幻影が浮かんでくるからかな僕はいつか元気になっていて僕の心は晴れ晴れとしてきますまるでこの青空や海のように

死なないでカメ太郎さん

 十日ほど熱に呻されていたその間ずっと心の中で題目をあげ続けていた調子が良いときには仏壇の前へ行って唱題したり勤行したりしていた

 厳しい冬の十日間はそうして過ぎていった僕の布団の下は熱でカビだらけになっていた十日後僕はまっ白な顔で学校へ出て行った

 

 美しい湖の底に僕らは抱き合いながら沈んでいってそうしてそこは白い砂に覆われていてそこで僕らは始めてキスをするのだろう僕らは森の中のその湖で始めて抱き合いそして始めて会話を交わすのだろう

 僕らはそこでいつまでも抱き合いつづけるだろう

 白い砂に埋まってしまうまで

 僕らはいつまでもいつまでも抱き合いつづけるだろう

幸せなそんな日が僕らにも来たら良いのだけどきっと来ないだろう僕らはずっと孤独できっとそんな幸せな日は来ないだろう

 

 窓辺を見ていると悲しげな星が一つまた一つと流れていっていた僕や星子さんの涙のようだった愛し合っているけれど会えない僕らの悲しみの涙のようだった

 

 窓辺から星子さんの家が見えるけど悲しい僕の頬には涙が溢れてきそうだずっと学校を休みつづけている僕喉の病気のため大きな声が出なくて文化祭の劇の先生役をできないから

 僕は悲しく窓の外を眺めつづけている熱が自然に39まで出て家の人に学校を休む理由ができているけど夕方にはこの熱も平熱になるしこのまえ病院に行ったときも平熱になっていました

 星子さんお元気ですか僕はこのように学校を休みつづけていますけど星子さんは元気でしょう僕は苦しんでいます病気は熱が出るだけで全然苦しくもなんともありませんけど

 星子さん本当にお元気ですか僕は午前中いつも熱が39まで出ています母が心配して店を父に任せて昼には水枕やタオルなどを替えたりリンゴを擦ったのを食べさせたりしていますけど

 

 

 

 

 

 

 

 燃える 燃える 地球が燃える そして僕の心も灰になる

 

 星子さんの家を眺める風景は前面が海 そして後面が立ち並ぶ家並み その家並みの間に潜むある苦悩の魂

 

 僕が始めて星子さんを見たのは夕暮れ、2階の窓辺に腰かけて口を開けボンヤリと涼んでいるときだった。(つまり僕たち一家が現在の家に引っ越す前の借家でのことだ) 

 目の前を車椅子に乗った女の子が通りかかった乗っているのはちっちゃな女の子でその女の子が両手で必死に車輪を回していた

 車輪が回るとグルグルとどっちの方向に回っているのか解らなくなるまるで車椅子の上の女の子は魔法使い回る車輪を見つめる僕はキラキラと輝く車輪に窓辺から落っこちそうになったほどだったまるで星子さんは魔法使いテレビで見る西洋のサカスに出てくる女の人のようだ

 でも魔法を使うのは小さな五歳ぐらいの女の子必死に車椅子の車輪を回す女の子

 車椅子の上で必死に車輪を回す女の子は西洋人のような容貌をしているんだなあと思った

 道は僅かながらも上り坂だったためか女の子の表情は真剣だった

 僕は考えた昼間見たその女の子のことが気になって眠れなかった必死に車椅子を漕いでいたあのコ異国人めいてとても美しかった目がとても大きくて色が白くて

 あの女の子は何処の女の子なんだろう

 そう思って僕は星子さんを始めて見てから数日して偶然道で擦れ違った後彼女のあとをつけていった

 その女の子はこのまえと同じように僕の家の裏側から見える少し登りになった道を車椅子を動かして登って行き始めた

 やがてその女の子はその道を登り終えると大きな道を右に曲がってそのすぐの処にある家へ入っていった表札は野口と書いてあった

 

 

 

 

 

 僕が星子さんを愛し始めたのはいつの頃からだろうかあれは赤い夕陽が沈もうとしている夕暮れのときだったたしかにあの頃の夕暮れのことだった

 あれは僕が中一の春僕が魚釣りから帰りながら浜辺をゴロ僕の家の犬と歩いていると浜辺に佇む車椅子の少女が海を見つめていた僕はゴロと大きな瞳のその少女の僕らを意識したような横顔を見つめた

星子さんあのとき僕らを意識していたのだろう僕とゴロを横顔で僕ちゃんと解ったんだとても意識して微笑みかけているその横顔を

 ちゃんと解っていたんだ僕に話し掛けたがっているその様子をでもごめんね僕そのまま通り過ぎていつものように下を向いて足早にすごすごと通り過ぎてごめんね

 赤い夕陽が僕らを照らしていた僕の足元からサクッサクッと砂を踏んでいる音がしていて僕のうしろからゴロの息が聞こえていたそして黙って俯いて星子さんのうしろを通り過ぎてゆく僕らをまあるい背中で見送る星子さんごめんね星子さん

 僕とゴロはあの日夕陽を浴びて微笑みながら帰ったもう陽は沈もうとしていてさっき見た車椅子の女の子の美しい横顔が僕とゴロの瞳にまだありありと映っていた僕らは幸せ一杯に歩いていた家まで幸せ一杯に帰っていった

 赤い赤い夕陽だった僕らを結びつけていたその夕陽は今までに見たこともないような大きな赤い夕陽だったそうしてユラユラと揺れながら沈んでいっていた僕らに手を振って別れを告げるように

 

 

 

 

 

 

 寂しい流れ星が風邪でずっと寝込んでいる僕の目に誰かの涙のように見えました母の涙なのかなあ誰の涙なのかなあと思いますもう九日も寝込んでいる僕の目に始めて見た流れ星は何かを僕に告げるように見えました

僕はこの流れ星を見た翌々日から熱も下がり学校へ行き始めたクラスのみんなは色がまっ白になり痩せた僕をとても不思議そうに見てでも喜んでくれてました先生はハブ色の白うなって良か男になったなと言っていました

 

 

 

 

 

 

 僕はいつも後悔の念と自分の長い長い風邪に疲れ果てたようにして床を出ます外は寒く小雪が舞っていますもうヶ月にもなる僕の風邪はこの頃は咳が止まらなくて食べていたものを咳とともに吐いてしまうほどになっています

 でも具合いは何処も悪くなく熱が台と喉がとても蒸せていることぐらいで学校にはちゃんと行けますでも授業の後半になると痰がたくさん喉の奥にたまって早くトイレに行って吐きたくて苦しくなります

 こんなのがヶ月近く続いています僕は幼稚園の頃は病弱でハシカとか三日バシカとかいろんな病気に次々と罹って半分も幼稚園に行きませんでしたでも小学生になると途端に元気になってほとんど病気はしなくなりました。(でもよく風邪をひいたらすぐに休んでましたけど

 幼稚園の頃僕は呪われていて、(それに僕の家も本河地から日見に引っ越してきて今までサラリマンだったのに店を開いてそうして経済的にとても苦しく家の中も貧乏なため父と母の喧嘩が絶えず僕は病気にばかりなるしそれにとても泣き虫で毎日一回時間くらい泣いていました

 あの頃は地獄のような毎日でした今も苦しいけどあの頃の苦しさに比べると今は天国のようなくらいです

 窓を開けると冷たい外の空気が僕を哀しげに包み込みます星子さんの家を見ようとしてもあまり長く窓を開けていると部屋が寒くなるからほんの少しの間しか開けていられません今日も学校を休んでしまった罪悪感と母や家族の人に心配かけている罪悪感に僕は落ち込んでしまいます

 僕の喉の病気は気管支炎なのだと思います。「家庭の医学という本を読んでいてそう気づきました

 この頃はゴロの散歩は姉や父が行っています星子さんも冬なので寒いから浜辺に出ていることはないと思っていたけど土曜や日曜には出ていると書いてあったのでびっくりしました寒くないですか僕はずっと風邪をひいてるし当分の間あの浜辺に行くこともないと思います

 

 

 

 

 

 僕は一度星子さんの家に電話したことがある中学年の10月頃のことだったその日僕は学校を休んでいた学校で文化祭があるのだが僕は劇で先生役になっていた僕はみんなに人気があったからどうしてもそんな役をするようになってしまったのだった

 ふとメロディが止み一瞬打ち震えるような沈黙が訪れた星子さんが受話器を取ったのだろうそしてやっぱり星子さんの声が聞こえてきた

はい変わりました

 その声はあまりにも事務的だった少しの色気も感じさせないものだったでも電話の向こうで実は僕以上に打ち震えている様子がいじらしいほどに感じられた

 僕も受話器を強く握り締めたまま顔をこわばらせて震えていた僕は熱に浮かれたように偽りの熱に浮かれたようにして電話をかけたのだったが星子さんの声が現実に聞こえてきてあまりにも容易く僕が苦しんで苦しんで求めていたものが出てきているという不思議さとともに倒れましたこんなはずはあってはいけないことだとさえ思いましたあまりにも容易すぎる僕がよく日暮れどき見渡している星子さんの家への光景のあの神秘に満ちた神聖さはここにはなかった失望みたいなものが僕を襲った

 

 

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 僕はさっき不思議な夢を見ました巨大な蟹のお化けのようなのが僕の部屋に入ってきて寝ている僕を心配げに見つめてそしてやっぱり横の方向に歩いて壁の中へとすっと消えてゆきました肩幅のとても大きい人間と蟹を合わせたようなお化けでしたそして何故か顔が僕にそっくりでしたそう言えば僕も肩幅がとても大きいけど

 あれは僕だったのかなあと思います僕の家に住んでいる何かの霊だったのかなあと思いますでもちょっと寂しげな表情をして心配そうに風邪をひいて寝込んでいる僕を見下ろして壁の中へ消えてゆきました

                                                  中二・12

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 国語の授業中ですでも僕には今朝夢の中で見た顔が僕にそっくりのそしてものすごく肩幅の広かったお化けの僕を心配げに見下ろしていた姿とその表情が今も忘れられないでいます

 蟹のようだったと書きましたけど手はやはり人間の手で蟹のようにはさみではありませんでしたそして腕はものすごく長かったです

 でもとても可哀相な幽霊のようでした歳は僕と同じくらいでそして格好というか姿がとても醜くて

 でも相撲を取らせたら肩幅がものすごく広くて強そうだったなあいつと思って僕はちょっと微笑んでますお相撲さんになったら大関ぐらいになるんじゃないかなと思って

 

 

 

 

 

 

 

          ----私はスフィンクス----

 

 私はスフィンクス

 胴体と顔だけ人間で下半身はライオンのスフィンクス

 私は近代化されたスフィンクス実はスフィンクスも車椅子に乗っていたんですあるとき夢の中で見ました自分も実は車椅子に乗っていたんですって王子で身分の高い人だったんですとってもハンサムなカメ太郎さんとどっちがハンサムかわからないくらい

 あるとき彼は手術されそうになったんですって当時エジプトで流行っていた移植手術を親からつまり王様から強制的に受けさせられそうになったんですって下半身をライオンにするっていう

 それで何百頭ものライオンが殺されて王子に合うライオンの下半身が捜されましたそしてやっと王子に合う若いライオンの下半身が見つかりましたでも王子は山のように積み重ねられた若いライオンの死体の山を目にして涙ぐみました

 王子は手術を受ける決意を為されました自分のために死んだたくさんの若いライオンの魂を慰めるために

 やがて王子は死にました手術後敗血症を起こして間もなく亡くなったのですそして王子の死ぬ前の姿下半身がライオンで上半身が人間という像ができあがったのです

 やがて王子は天国で王子のために供されたたくさんのライオンの魂と会いました悪いのは王子の親そして当時権勢を振るっていた外科医たちです

 王子は一つ一つのライオンの魂に詫びを言ってゆきましたとぼとぼと歩いて王子を恨めしそうに見ている若いライオンの魂の前を歩いてゆかれました何百と続くライオンの魂の群れの中を

 そして今私はスフュンクス鋼鉄のスフィンクス誰もが仰ぎ見る砂漠のスフィンクス

                    (中二・12

 

 

 

 

夢の中で 1)

 星子さんがスフィンクスのようにペロポネソスの浜辺に立っていた車椅子に乗ってスフィンクスのように立っていた星子さんが浜辺に車椅子のまま出ていた

 

夢の中で 2)

  星子さんは赤い太陽に向かって飛んでいたお星さまでなくて赤い太陽に向かって何故か星子さんは飛んでいっていた

 

 

 

 

 

 

 

         もしも私に肢があったなら

              (2)

 

 もしも私に肢があったなら

 そうしたらカメ太郎さんと春の野山を思い切って駆けてみたいわ

 綺麗な黄色い花などが咲いていて

 太陽が一杯で

 虫さんたちも盛んに歌を歌っていて

 私たちその中を手を繋いでお弁当持って思い切って駆けているの

 野いちごがあって湧き水があって

 カメ太郎さん食いしん坊だから私が持ってきたお弁当だけでは足りなくて

 (たった10分間でカメ太郎さんすべて食べちゃったのよ

  私が朝早く起きて時間かけて一生懸命つくったお弁当を

  私に優しそうな声もかけてくれず一人でぱくぱくと食べちゃったのよ

 カメ太郎さんまっ赤な野いちごを次から次に見つけ出しては口に入れているの

 私もカメ太郎さんの真似して野いちごを食べてゆくの

 カメ太郎さんが面白い話をしてくれないかなと期待してたくさんお弁当つくってきたつもりだったのに

 カメ太郎さん暗いのね頬を頬張らせて景色を眺めながら食べつづけるだけなの

 カメ太郎さん私の心が解ってないのね

 でも私そんなカメ太郎さんが大好き

 素朴で暢気なカメ太郎さんが大好き

 夕方になって足がくたくたになって山を降りてたら

 突然カメ太郎さんが抱きついてきたの

 カメ太郎さん痩せてるのに力がとっても強くて

 少しも抵抗できずに

 野原の上に押し倒されちゃった

 そして私たちキスしたの

 熱い熱い草の上で私たち燃えるようなキスをしたの

 

 

 

 

 

カメ太郎書きかけの手紙

 星子さんへ

 もう月も半ばを過ぎて冬も早く終われば良いのにまだとっても寒いですね夕方ゴロの散歩に行くのにも根性が要るくらいです今日なんか心のなかで南無妙法蓮華経と題目を唱えながら玄関を出たくらいです

 真冬で寒いから寒がりやの星子さんはやっぱり浜辺には出てきていませんねそれともまだ学校から帰ってきてないのかな僕は今日もゴロと二人っきりであの浜辺を散歩しました北風が東望から吹いてきていてとても寒かったです

 帰り際星子さんの家の前を通りましたするとテレビの声が聞えていました今日は金曜日だから星子さんはまだ学校なのではないのかなと思いながらももしかしたら星子さんもう帰ってきているかなそれとも星子さんのお母さんがテレビを付けっ放しにして夕食の準備をしているかなと考えました

 星子さんはいつも何時頃帰ってきているのですか? それにいつもお父さんと帰ってきている訳でもなさそうだし僕はなんだか従兄のお兄さんのことを考えると少し心配になってきてしまいます僕は星子さんにとって夢の中の存在だけど従兄のお兄さんは現実の存在だから僕は儚い儚い夢の中だけの王子さまでそして本当は言語障害で喉の病気で大きな声が出ないのに僕はそのことを考えると胸の張り裂けるような思いにとらわれてしまいます

 僕は冬の夜空に輝く儚い儚い存在でもう一年半も文通だけを僕らは続けているけれど僕はとても残念というかもし僕が喉の病気でさえなかったら寒いけどあの浜辺で土曜日や日曜日にでもデトできるのにと思うと悔しくて悔しくてたまりません

 僕は冬の夜空に星子さんの家の上に輝く寂しがりやのお星さまできっと喋ったら星子さんから幻滅されて嫌われる悲しい悲しい存在なのです

 

 

 

 

 

 

下書きの手紙

 返事がまだなのにまた書いてごめんねこの頃ずっと風邪ひいて学校を休んでいるので暇だからまた書きます父は今日一人で魚釣りに行きました。岩崎電器の人と釣り船で行くそうですそして僕もゴロも家で日曜日なのにボケとしていますもちろん僕は一週間近く(5学校を休んでいる訳だから魚釣りには行けないけれど

 ゴロは久しぶりにポカポカとした暖かい日なので小屋の外で日なたぼっこをしています僕はときどき窓から顔を出して外の景色を眺めていますもう冬は終わって春がすぐそこまで来ているのかもしれません春になると11月からずっと続いている僕の風邪も治るのかもしれませんそして喉の病気もそのときには治っていて僕は星子さんと喋れるようになっているのかもしれないなあと想像しています

 

 

 

 

 

中二の

 僕はこの頃土曜日にはいつも夜時頃までテレビの映画を見ている星子さんの家も土曜日にはいつも遅くまで灯がついている星子さんも映画を見ているのだろうかいや灯りがついているのは居間だしたぶん星子さんのお父さんが見ているのだろう。 

 冬の真夜中の凍てつくような闇の下に僕は星子さんの家の灯を眺めながらこの頃よくボンヤリと時を過ごしている部屋を出て階段の上の小さな窓から凍てつく寒気など忘れて橙色に照っている星子さんの家の灯りだけを見ている僕の心の中はいろんな空想で一杯だ

 でも外は凍えるような寒さなのであるまるで拷問のような明治の初期浦上のキリシタンたちが今の長野県に連れていかれ、5歳くらいの子供まで雪の降る戸外に裸で置かれたという話がまた浮かんでくる

 その子が星子さんであったり星子さんはそのために足が不自由になったのだと思ったりそしてそのことの周りに浮遊する浮かばれない霊たちが僕と星子さんの間に立ってそうして僕たちを苦しめているのだと思ったりする

 でもたしかに僕らの間に何かの霊が居て僕らを引っつけようとしたり引っつけるまいとしているように僕には思えるそして僕の思念もその霊は筒抜けに読み取っているようにも思える

 明治の初期信州今の長野県で小さな子供がクリスチャン故に今のような寒い戸外で真裸でさらされているという話がまた浮かんでくる僕はどうもそれが星子さんの前世の姿ではないのかと思って仕方がない苦しむ星子さんの姿がそれに似ているようだまた僕の喋り方や喉の病気もその呪いの故なのだと思えたりする

 僕は黙然としてまるで僧のように凍てつく夜に祈る僧のように雪の降る戸外を見つめるのであった。 

 

 

 

 

 

外は猛烈な吹雪だったストブが赫々と照っていた僕はおもむろに起き上がって便箋と万年筆とインク瓶を取り出して吹雪の向こうに埋もれようとしている星子さんに手紙を書き始めた

 僕はよくうたた寝をしながら生きることを考え耽っています

 外は猛烈な吹雪です窓を開けたら吹雪で星子さんの家の灯りが見えませんいつもは見えるのに

 なんだか星子さんの家吹雪に埋もれて海の中に沈んでしまうのではないかなあと心配です

 そして僕はそっと窓を閉めましたそして赫々と輝くストブを背にこの手紙を書き始めた訳です。                              

                           (中二・2

 

 

 

 

 

 

明るく朗らかにみんなの犠牲になって生きよ

 みんなが厭がることを自分から進んで引き受けそして自分だけ苦しみそれでも微笑み続けてみんなが楽をしていても自分だけ苦しみの中に居てそれでも心のなかは朗らかで自分の心のなかには太陽があってどんな寒さや苦しさにも耐えて人のために喜んで苦しみ続け何の代償も求めないで

 

 僕はハッと目を覚ました朝だったもうスズメやツバメたちが僕の家の桜の木にやって来て鳴いていた僕は急いで布団から出た

 

 星子さんの足の上に神さまは鉄杭を打ち下ろしになってそして星子さんは足が不自由になった僕も中一の冬に喉が悪くなった

 

 僕はこの頃よく日見峠を自転車に乗ったり歩いたりして通っているもちろんあそこからは日見も網場もみんな見えて星子さんの家の屋根もちっぽけだけどよく見える

 日見峠から星子さんの家は夢の島のように浮かんで見えるいつも日見峠から網場や日見の方を見るときは夕暮れどきだけどいつも夕陽に映えて海の中に浮かんでいるように見える

 悲しげに家の中に居る星子さんの姿も廊下に転がしてある車椅子も

 

 いつも塀に足を乗せて僕が帰って来るのを待っているゴロ僕が夜の散歩に連れて行くのをいつも心待ちにしているゴロとても走るのが速いゴロ

 

 いつも散歩は15分ぐらいだ散歩の終わり頃になるともっと散歩を続けたいのか僕に噛みついてきたりして困らせるゴロ一日じゅう桜の木につながれたきりで(2mぐらいの長さのロプにそして夜まで小便を耐えているゴロ散歩に連れて行ってくれないととても悲しい声を挙げて泣くゴロ僕が疲れきって散歩に行きたくないとき

 

 

 

 

 

 

 

 

      星子書きかけの手紙

 お盆の海に大きなゴカイみたいなのが中場の港にいたってカメ太郎さん言ってましたけど星子もこのまえ見ました桟橋の近くから親戚の人たちと海を眺めていて星子の従弟が見つけました本当に大きな大きなゴカイのような不思議な魚でした星子の従弟はそれを採ろうと家まで網を取りに行きましたが従弟が帰って来たときにはもういませんでした

 長さが10cmぐらいで幅がcmぐらいなのにとてもとても太ったゴカイでした

 

 バスケットをしているカメ太郎さんテニスをしていたカメ太郎さんとっても頭が良くて二枚目だからとてもモテると思うのにとっても素敵なカメ太郎さんなのに

 夏の体育館はとても暑いのでしょう純心の体育館もとても暑いみたいですそしてみんな汗一杯になって練習しています星子もそんなに汗一杯になってスポツしたいなあって思ったりしますけど。     

 

 夜になると唸されます何故星子の足がこんなになったのかってそしてそのためにカメ太郎さんと同じ日見中学に通うことができないことができなくて

 そんな思いばかりをしているからだと思いますこの頃毎日のように悪い夢に唸されるようになったの

 でも目を覚ますと波の音が聞えてきて星子を慰めてくれます悪い夢に悩まされた星子の心を波の音が慰めてくれます

                 8 p.m.11:27 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 僕は今日タコ太郎と牧島で魚釣りをしていて遥かに水平線の上に星子さんの家の屋根が眺め渡されました青い水平線の上にポッカリと浮かんでいる星子さんの家の橙色の屋根とっても綺麗でした青い水平線ととてもよくマッチしていて

 タコ太郎は相変わらず三味線島の岩の上から魚釣りをしていましたが僕は釣れないため三味線島の根元の岩のごろごろした処に寝そべって蟹と戯れていましたと言うのはウソで紫色のアメフラシを突っついたりして遊んでいました今年はアメフラシが異常繁殖していて一つの水たまりに十匹もいたり大きな水たまりには五十匹ほどもいるのじゃないかな食べられないのかなあそれともこれを餌に使ったらでっかい石鯛というかサンバソウが釣れないかなあと僕は考えました

 大きな水たまりには10cmぐらいのちっちゃなサンバソウがいましたそれでも釣れたら良いのですが今釣れているのは8cmぐらいのハグロばかりですだから僕は面白くなくて魚釣りするのをやめて泳ごうかなと三味線島の根っこの方にやって来ていました

 紫色のアメフラシの肌ってとっても柔かくて星子さんの頬もこんなのかなと思っていました

                                                     カメ太郎中三・8

 

 

 

 

 

 

 星子さんが眠っている浜辺に眠っている幸せそうに眠っているでも僕は苦し紛れに今日もこのペロポネソスの浜辺に走ってきた辛い学校生活のやるせなさと自分の宿命への苦しみと人間の生き方と僕はとても迷っているこれではいけないんだと思いつつ僕はどうすることもできないでいる僕の呪いは強くて星子さんも誰も僕の呪いを解いてはくれない毎日毎日朝と夜に二時間ぐらいお題目を上げたりしているけれど僕の苦しみは立山の青い空の中に虚しくとても虚しく消えてゆく絶望の思いとともに消えてゆく

 

 僕は必死に題目をあげ続けた星子さんの幸せのため自分の幸せのため僕は必死になって題目を上げた一時間二時間と続いた僕の声は嗄れ虫のようなか細い声しかもう出なくなっていた

御本尊さま一日も早く早く星子さんと僕をお救い下さいと願いつつ僕の声はもうほとんど出ないようになっていた僕は線香の立ち込める部屋で題目をあげ続けた

 

 

 寂しさが込み上げてきても僕はゴロを連れて海へ行けば良いからあの懐かしいペロポネソスの浜辺へと行けば良いから

 

                    (ゴロと夕方

 ずっと昔星子さんが生まれる以前から江戸時代の頃からこの桟橋はあったそうなのだけどそしてその頃は木でできていた桟橋だったんだそうだけどそして今よりもちっちゃな桟橋だったそうなんだけど

 

                 

 青い海の向こうに星子さんの顔が透けて見えるようで僕はこの春の日ゴロと思い出のペロポネソスの浜辺へやって来てノホホンノホホンと日曜日を過ごしています今日は県立図書館は休みだし市民会館に行くのも億劫だし

 青い輝く空の向こうにきっと幸せな生活が待っているんだと星子さんは手紙に書いてくる遠い輝く空の向こうにきっと幸せな世界があるのだと

 

 

夢の中で) 

 きっと何処かに幸せな世界があるのだと

 星子さんは僕に呟いたような気がする

 

                

カメ太郎さんカメ太郎さん

----海の上から呼んだって無理だ僕はもう以前の僕ではなくなっている。(僕はそうして浜辺に寝転んでいたゴロが辺りを忙しそうに駆け回っていたいつもの夕暮れの光景だった寝そべる僕と蟹や小石と戯れるゴロと

 

 星子さんはとても速く走っている僕がいくら追っても捕まえきれないくらいにとても速く走っている信じられないくらいに春の野山を駆け回っている

 星子さんはエイトマンのように速く走っている捕まえきれないでいる僕を笑いながら星子さんはずっとずっと走り続けている

 

 海面を見渡しても星子さんの笑顔は見えない星子さんは暗い顔をしていると思う

 

 以前見えていた星子さんの笑顔も見えない遥か向こうに雲仙岳と天草がぼんやりと見えている

 

 遠く海の向こうに星子さんが煙って見えた幸せな世界は何処に行ったのだろう遠い遠い海の向こうで僕に微笑みかけていた星子さんの美しい笑顔は今はいったい何処に行ってしまったのだろう

                                

 

 

 

夢の中で

 夜空にゴロと星子さんが古代ロマのときのような船に乗って浮かんでいたそうして夜走っている僕を見降ろしていたゴロと星子さんは船縁から顔だけ出して僕を見ていた

 ゆっくりと雲のように動いてゆく船必死にマラソンしている僕僕は息をハアハアとしながら必死に走っていた船の上から星子さんとゴロが僕に手を振ったようにも思った

 

 

星子さんきついだろ

----僕はそう言って天国への長い長い階段を登っていていた女の子に肩を貸しました。『いえ良いのよ星子一人で行かなくてはいけないのありがとうでも星子一人で登って行かなくてはいけないの

----遠い遠い霞に煙って見えない空の上に天国はあるらしかったでも少女のか細い足ではそこまで登っていくのはとても無理なようだった白い白い階段だけれど女の子一人で登っていくのはとても無理なようだった途中で落ちて海の中へ落ちてしまうようだった

 

 

あれが射手座あれがカシオペア座あれがオリオン座

そうだよ星子さんよく憶えたね僕の記憶はぼんやりとしかけているこの頃だけど僕はまだ星子さんに教えた星座のことだけは憶えているたったそれだけすっかり忘れてしまったけど僕はまだ星座のことだけは憶えている

 

 

 ペロポネソスの浜辺に潜ったよでも何もなかったよサザエもアワビもほとんどなかったただ藻だけがうっそうと生い茂っていただけだった

 

 

 幸せになりたければあの星へ向かって走ってゆけば良いんだ階段も何もないけれど思いきって走ってゆけばきっと橋ができて僕らはその星に渡れると思う

 

 

 もう夕暮れは暮れてゆこうとしていたすると立石の方からゴロが駆けてきてその後ろに恥ずかしそうに星子さんが車椅子をゆっくりと押しながら来ていた星子さんの頬は赤くなっていたゴロは元気いっぱいだった恥ずかしがる僕と星子さんは二人とも頬はまっ赤だった

 

 

 ゴロ耳を澄ましてごらんこの浜辺のたしか何処かに星子さんがいるだろう微かな星子さんの声が聞こえてくるだろう

 

 

何が燃えてるのあの光何なのもしかするとカメ太郎さんの魂なのカメ太郎さんの心なの

あれは不知火海の火だ僕の心ではない僕の魂でもないあれは不知火海の火だ夏になると現れてくる幻の火だ僕の心でも魂でもない

 

 

 

 カメ太郎さんは今まで苦悩に満ちた人生を歩んで来られましたカメ太郎さんエドガー・でなくって他の人の生まれ変わりだったのだと思いますカメ太郎さん声が涸れているからエドガー・の生まれ変わりかもしれないと言ってましたけどきっと他の別の人の生まれ変わりなのだと思います

 

 

 

 砂の中に星子さんが居てゴロが居てそして僕も居てそして僕らは何を話し合うのだろうペロポネソスの砂の中のまっ暗な処で僕らは何を話し合うのだろう

 将来のこと未来のこと生きること人生のこと

 やがて湧き水が湧いてきて僕らは岩場に流されるゴツゴツとした岩場で僕らは語り合うだろう

 

 砂の中から星子さんが現れ出ても星子さんは変わっていて

 

 

 

 

 

 僕は中国語を勉強しています英語が苦手だし英語の他にも外国語を勉強しようと思って毎晩夜12時から時か時まで中国語の勉強をしていますこのまえ聖教新聞で中国語のコを見て手紙を出したすると日中友好のバッジと手紙が来たそうして一生懸命中国語を勉強しています将来中国と日本の架け橋の役目を果たそうと必死になって中国語を勉強しています眠たい目をこすりこすり毎晩勉強しています

 

 

 

 

 

 真夏の太陽が照っていた僕は草の上に倒れていたゴロが僕の周りを周っていた遠くに波の音が聞こえる大きな草っぱには僕とゴロだけで誰もいない

 過ぎてゆく夏への悔しさにいたたまれなくなってゴロと家を飛び出してきた自分には青春がないようなもう僕には楽しい日々は訪れないような気がしたこの喉の病気のために僕は今からもずっと苦しまされていくのかと思うとたまらなかった

                         カメ太郎中三

 

 

 

 

 僕らは悲しい恋人どうし

 海を見つめる恋人どうし

 やがて夕暮れが僕らを優しく包んでくれて

 無言の僕らを慰めてくれる

 

 

 

 

 ときどき僕もふと思う

 ゴロと一緒に夕暮れ海を見つめながらふと思う

 僕らの存在って何なのかって

 そして木や岩や草の存在って何なのかって

 すると風がビュンビュン吹いてくる

 僕らの髪をなびかせてビュンビュン吹いてくる

 ゴロの黄土色の毛も波打っている

 まるでモンゴル地方の草原のように

 僕がそっと手で触るとゴロは不意に僕を見返る何事が起こったのか訝しむように

ペロポネソスの丘の夕暮れはそうして暮れていっていたペロポネソスの丘は赤く夕陽に染まっていて僕とゴロはそこに寝転んでいた

                                          s51.10,3 

 

 

 

 

 

 

 僕はこのまえ友人と東望の海岸の新しく出来上がったばかりの道を自転車で行っていたすると対岸の星子さんのいつもいる浜辺に星子さんの車椅子に乗っている姿が見えた僕は友人にやっぱり帰ると言って急にスピドを上げて星子さんの居る浜辺へと向かったどうせいつものように裏のみかん畑からこっそりと眺めるだけなんだけど

 僕は友人と別れて寂しくその浜辺へ自転車を走らせていた頬に打ち寄せてくる風が涙のようで友人と急に別れてきた悲しさがあったそしてどうせ口もきかず隠れて黙って星子さんの後ろ姿を見つめているだけである虚しさと悲しみと

 

 もう浜辺も足を入れると冷たくてもう秋になったことをもう冬になろうとしていることを僕に感じさせてくれますでも星子さんはこの頃風邪をひいていてもうずっと浜辺に出ていませんね僕とゴロはだからとても寂しいです

 

 

 

 

 

 

カメ太郎中三の1211

 カメ太郎さんが泣いていたわ今日パパと帰り掛けにちょっとパパの友だちの家に寄る用事があって日見中学校の前を通っていたら星子まさかと思ったけどちょうどカメ太郎さんが中学校の入り口の坂を降りてきてたわあっカメ太郎さん! 星子とっても嬉しくてとっても幸せな気持ちになりましたでもカメ太郎さん泣いていました目をまっ赤にして何故か泣いていたみたい

 カメ太郎さんどうしたの?。どうしてカメ太郎さん泣いてるの

 星子はパパにちょっと止まってと言って俯いて広い肩を震わせながら歩いてゆくカメ太郎さんを見つめました。『どうしたの? カメ太郎さん星子は車の窓越しにそう呟いていました。12月なのに春のような暖かい日でしたそして周りには何人か帰っている人と十人ほど箒を手にした掃除中の人たちがいました

 何故泣いてるのカメ太郎さん? あっカメ太郎さんはいま級長でそして喉の病気で大きな声が出なくてあっきっとそうだわそのために泣いているんだわ

 大きな声が出なかったの? でも星子はもっとひどい障害があるのよ泣くなんてカメ太郎さんらしくないわ

 泣かないでカメ太郎さんカメ太郎さんが泣くなら星子はどうなるの? 星子の苦しみとカメ太郎さんの苦しみは全く種類が違うけど

 

 僕はあの日大きな声が出なかったんだ。6時間目の授業が終わって掃除が始まったとき突然先生から呼び出されて職員室へ行くと先生が伝言をくれた今頃になって今頃になって何故伝言くれるんだい先生僕はそう言いたかった椅子に大きく腰かけて呑気そうにそう言う先生に向かって

 僕は教室へ戻ったそして僕は力一杯伝言を伝えようとした

 でも僕の声教室のみんなの喧騒に虚しく消されていった僕の声誰にも聞かれなかった僕はただ口に両手を当ててもぐもぐと教室の前で口を動かしているだけだったみんなクラスのみんな楽しそうに放課後わいわい騒いでいるだけだった僕はそうして伝言を伝えきれないまま哀しく一人で教室を出ていったんだ

 校門を出るとき学校の裏の山に夕陽が懸かっていた星子さんには夢中だったため全く気づかなかったでも視界の端に見覚えのある車が停まっていてその中にいたいけな生命がガラスの向こうで必死にもがいているらしく感じたような気もする

                  

 

 

 

 

 僕は浜辺で海に向かって発声練習をしていた

 でも大きな声は出なかった

 いくら大声を出そうとしても僕の声は波の音そして風の音に消されていっていた

 どんなに力いっぱい声を出そうとしても大きな声は出なかった

 ただ声が枯れガラガラとした声になっただけだった

 絶望感が僕を覆っただけだった

 

 そして僕はゴロと家路に就いた

 絶望の闇が僕を覆っただけだった

 そして冷たい北風が走る僕に吹きつけていた

 

 僕は学級委員になって大きな声が出ないことでとても苦しんでいた

 冬で波は荒く僕はペロポネソスの浜辺の先の立石の岩場で発声練習をした大声を張り上げようとする僕を訝しげに見るゴロ冷たい北風口に手を当てて海に向かって叫ぶ僕でも僕の声はとても小さくて僕がどんなに大声で叫んだって普通の人の話し声ぐらいの声しか出ない僕は落胆し打ちひしがれ痛くなった喉を我慢しながら家路に着いていた

 立石から僕の家までの道は長かったでも僕の躰は燃えていた僕はあまり寒くなかった北風も僕には何でもなかった授業の始めと終わりの号令をもしかするとまた友達に頼まなくてはいけないかもしれない悲しみが僕を襲っていたそれは大きな大きな苦しみだった

                  (中三・1

 

 

 

 

 

 

 星子もう一ヶ月以上も前のことになるかな学校をお昼頃抜け出してすぐ近くの産婦人科の病院に行ったことがあるの車椅子の星子がそんな処に来たものだから病院の看護婦さんたちも目を白黒させていたわでも星子必死だったから後で校長先生たちからどんなに叱られるか覚悟して来たんだから

 星子カメ太郎さんと結婚できるのかどうか悩んでいました星子子供を産めないならもうどうしてもカメ太郎さんと結婚できそうにありませんものね両肢が悪くてそれに子供を産めない星子さんなんかと誰が結婚してくれるでしょうね。          

先生星子子供産めるんですか産めないんですかはっきり言って下さい

 星子怖かった先生の返事を聞くのが怖かったたぶん産めないって言われると思えてたから星子耳を抑えて頭を下げて蹲りました。   

                    (星子中二 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 カメ太郎さんへ

 草陰に不思議な花がありましたコスモスの花みたいででも秋に咲くコスモスの花が何故今こんな処に咲いているの

 星子体育の時間になるといつも一人で運動場の隅っこをうろちょろするんですけどこのまえおとといとても不思議な花を見つけました花壇のブロックのすぐ外に咲いていてちょうどみんなから一人離れ離れになって体育の時間を過ごしている星子みたいでしたみんなが咲いている花壇の中に咲いてなくて何故こんな処に咲いているのどうしてなの寂しいでしょう寂しくないの可哀想星子とっても不思議でした

 でも綺麗とっても綺麗

 その花は花びらが紫色をしていて普通のコスモスの花とは違っていたのよコスモスの花は黄色い花びらをしているのよそれにいつも秋に咲くものなのよ

 星子とっても不思議で茎を手に取って折り取りましたやっぱりコスモスの花みたいでした形はやっぱりコスモスの花ででも不思議な色

 星子その花を先生に見つからないようにそっと胸の中に隠しましたまるでこの花星子みたい星子胸がジンッときちゃってこの花を家に持って帰って花瓶に生えようと思いました

 でもその花星子の胸のなかで星子とカメ太郎さんの間に生れた赤ちゃんみたいに動いたわ星子子供産めないからこの花を子供にしようかなて思ったほど

 辺りの花壇には一面にチュリップやヒヤシンスの花が赤や青や紫色に咲いていてとても綺麗目がクラクラとするみたいなほどでも星子胸のなかに隠したこの花の方がもっと好きまるで星子みたいだもんそれにもしかしたら星子とカメ太郎さんの間にできる赤ちゃんみたいだもん

 星子でも小学校の頃もよくこんなことしていました星子なんだか小学校の頃を思い出してきてちょっぴり感傷的になって涙が出てきました

 この花を胸に抱えて目を潰ると星子の悲しい小学校時代のことが夢の中のことのように思い返されてきます

 それはとっても悲しい思い出で星子この頃、2年近く忘れていたことなのに星子小学校の頃も体育の時間にはいつも運動場の隅っこで見学していたんです

 星子その頃もよく運動場の片隅の花壇の傍で時間を潰していました誰も話相手がいなくて何もすることがないからいつもそこへ行ってたのです

 そうして星子運動場の隅っこでヒマワリの花やヒヤシンスの花やコスモスの花などと戯れていました

 星子目に涙を浮かべながら嗚咽を漏らすのを必死に堪えながらみんなと戯れていました

 みんな星子の友だちで星子笑いながらみんなと戯れていましたとっても綺麗みんなとっても綺麗黄色や青色や紫色が織り交ざっていてとっても綺麗みんなみんなとっても綺麗一生懸命に咲いていてとっても綺麗。 

 

 

 

 

 星子さんが僕に言い寄って来たって僕には星子さんを無視することしかできない僕には哀しい喉の病気があるのだからだから僕は星子さんとは喋られない

 僕の周りには重い鉛の扉があって僕と外界とを分け隔てているとくに女の子とは分け隔てている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             浜辺での夜の会話

 

 細波の音が僕らを包んでいるそれに星子さんの家の方からか電線に止まった雀の鳴き声が聞こえてくるそして白いカモメが飛行機のように黒い大気の中を海面目がけて垂直に降ちて来ようとしている

カメ太郎さん黒い大きい不安ってなあに黒い大きい不安って

それは僕を包み込もうとする巨大な津波のようなもので僕は毎日の学校生活の苦しさについ負けそうになったときそう思ってしまうんだ教室の中や学校からの帰り道のときなんかによく

 でも僕はそれを跳ねのけて生きなければいけないどんなに辛くたって明るい振りをして頑張って毎日を送らなくっちゃいけない

 僕らは本当に僕らはとても辛い境遇にあるけれど決して負けたり挫けたりしないで生きてゆかなくっちゃいけない僕らは決して負けないで

カモメはやがて魚を銜えて海面を飛び立ったようだった赤い窖に小さな可哀想な魚を銜えて

 

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 ポツポツと雨が降っていますまるで僕の心のようです明日もまた学校かと思うと

 早く日曜日が来ないかなあって思います

 日曜日になるとそれに魚釣りに行けるからまたこのまえのような大きなチヌを釣りたいなあと考えています

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日前僕は星子さんとすれ違ったクルマの中から身を乗り出して僕を見つめた星子さんとバス停でぼんやりと立ち尽くしていた僕と

 星子さんは全然変わってなかった僕も全然変わってなかっただろう僕は中三の頃から全然身長も伸びてないしでも体重は中三の冬の受験期間中に57Kから62K5K太ったけどもう痩せていることをあまり気にしなくて良いようになったのだけど遊べなくてアッという間に5K太ったけれどでも僕は

 星子さんの目は寂しげだったクルマから身を乗り出した星子さんの目はやっぱり他の誰のよりも大きくて美しくてもしも星子さんが両足が不自由でなかったら僕は恋焦がれてきっと今のようにお互い手紙を一週間に一度ずつ出しあうようなことはしなかったと思う僕はきっと星子さんと会っていたと思うでも星子さんが見た僕は現実にはクラスのある女の子を好きになったり中学の頃のあるクラスメトのことを思い出して感傷的になったりしている僕だでも僕は星子さんを幸せにしたくて一生懸命中学の頃の僕のままであり続けるつもりで星子さんに手紙を書いているけど星子さんも薄々気づいているだろう僕の手紙が短くなっていることを星子さんは僕が高校へ入ってからクラブや勉強で忙しくて中学の頃のようにあんまり手紙を書くのに費やす時間がなくなったのでしょうと星子さんから書いてきたけれど実は本当はそうではないんだ僕の心は星子さんから少しづつ離れていってるようなんだ少しづつでも確かに星子さんへの情熱が薄れつつあるのを自覚しているでも星子さんを悲しませたくないから僕は今も一生懸命週に二回ぐらい夜を費やして手紙を書いているけど本当は僕の心は星子さんから少しづつ離れていっている何故か情熱が湧いて来なくて僕はこの前のような薄っぺらな手紙を書いてしまう本当にもう夜手紙を書いていても以前のような情熱が湧いて来なくて僕は星子さんが可哀想なためただそれだけのために僕は星子さんに手紙を書いているように思う星子さんが美しくていつも僕を愛してくれてるなんてそれは僕の心のわだかまり星子さんは

                      (高一・6

 

 

 

 

 

 

 

 

星子出されなかった手紙

 津波が襲ってきて星子やカメ太郎さんを呑み込んでゆく夢を見ましたカメ太郎さんの家小学校の近くだからとてもカメ太郎さんの家まで津波はやって来ないと思いますけど夢の中で星子もカメ太郎さんも大きな波の中に居ました

 救急車のサイレンの音がしています何台も何台も走っているみたい星子きっとその音で目を覚ましたのだと思います夜の45分です今日は疲れていて時半頃寝ましたよく考えるともう四時間寝ています星子この手紙をベットの上で書いていますこの頃よく夢を見るから不思議な不思議な夢ばっかりでもいつもすぐ忘れてしまうからだから日記に書いておこうとして枕元にボルペンと日記帳を置いてたんですけど寂しいからだから星子手紙を書き始めました

 

 

 

 

 

 

 

 

結局出されなかった手紙星子さんが中二の月頃に書いたものと思う

 今日はずっと雨が降っていました僕は授業中教室の窓から純心中学校で授業を受けている星子さんのことをずっと考えていました

 何故人には幸不幸の別があるのだろうと考えていました外はどしゃ降りの雨でした

 人は不公平になるように生まれてきているのだろうかとも思いました幸せな人は幸せなことが続いて不幸な人には不幸なことが続くという

 これではいけないこんなことであってはいけないと雨を見ながら僕は思っていました

 どうすればみんなが公平で幸せな社会が出来るのかなと考えていました不公平のない世の中はと考えていました

 例え物質や金銭的に平等になったって僕や星子さんのような病気や身体障害を持った人はどうなるんだと思っていました

 例えお金がみんな平等になったってその人の持って生まれた宿命カルマが良くなる訳ではないのにと思っていました

 

 

 

 

 

 

 

     (たしかその手紙を書いた夜の日後の夜に書いたと思う

 星子さん

 僕はあの日一人で学校から帰りながらつくづくと考えました僕ら恵まれない運命を持って生まれてきた者は一生不幸なんじゃないかってそう思って僕はとても悲しかった何故世の中はこんなに不公平があるんだろうと思って

 僕ら運命に流され弄ばされてきた僕らは経済的に平等になったってどうしたら良いんだろう僕らはお金よりももっと健康な体が欲しいお金よりも病気を治したい。                           

 僕は起き上がると星子さんへ手紙を書き始めた夜の12時だった今日は日で外は雨上がりの夜景だった悲しみの涙の雨が辺り一杯に滲んで濡れているようだったそして明日の学校への不安と一緒に

 窓辺から雨に濡れた夜空を眺めながら僕の心のなかは不安で一杯だった夏になりかけているのに僕の心の中は寂しかった。1月の氷の日のような夜景に僕の目には映った

 

 

 

 海を見ていると

 自然と微笑みが湧いて来る

 7月になった真夏の海が

 僕らを微笑ませてくれる

 

 

 

 星子さんの悲しさと僕の悲しさとどっちが悲しいだろうかと僕は思うきっと僕の方が毎日の学校がとても辛いから僕の方が悲しいと思う

 

 

 

 

 ゴロが泳いでいる。 

 ペロポネソスの浜辺で

 ゴロが気持ち良さそうに泳いでいる

    ゴロはまるで首を潜水艦のポセイドンのようにして楽しそうに泳いでいた

 

 

 

 

 

 

                                                   カメ太郎高一・8

 冬の間あれだけ悲しかったこの浜辺ももう夏になると悲しみをあまり感じさせないのは何故なんだろうと思います

 冬の間あれだけ悲しかったこの浜辺ももう夏になると悲しみをあまり感じさせないようなそんな浜辺に変わっています以前と全然変わらないのに

 

 

 真夏の赤い陽炎が

 僕の心を楽しくしてくれているのかもしれない

 吹いてくる風は熱く

 僕を夢見心地にさせてくれる

 

 

 

 

                                                 カメ太郎高一・8

 僕はずっと来ていなかったずっと夏休みの補習や柔道の練習なんかでずっともう何ヵ月も来ていなかった

 でも全然変わっていないただ風が熱くなって砂が熱くなってそれだけが冬の頃の浜辺と変わっているけれど

 

 

 

                                                        高一・8

 窓を開けて海を見回してももう誰もいない

 真夏の海が輝いていて駆けてくるゴロの姿と微笑んでいる星子さんの姿が哀しく思い描かれるだけだ

 とても哀しくとても寂しそうに

 

 

 

 

 

 寂しいとき寂しくて堪らないとき僕はよく海を見ますすると青い海が僕を慰めてくれます真夏の月の眩しい海が

 

 真夏の青い海ってとても綺麗でも星子さんはいつも一人でしか眺められないのベットの上からや車椅子の上からしか眺められないの

 

 僕も一人だ僕も一人でしか眺められないゴロが居るけれどゴロがちょっぴり僕の孤独を慰めてくれるけれど

 

 星子は一人なの星子には誰もいないのパパやママがいるだけなのいつもカメ太郎さんの家を涙で曇らせて見るのいつも少しカメ太郎さんを恨みながら喋ってくれないカメ太郎さんを恨みながら

 高台にあるカメ太郎さんの家をいつも見るのいつも夕方悲しくて寂しくてたまらなくなりながら見るの

 星子夕方になると悲しくなるの昼間は元気なのにパパと夕方クルマに乗って帰りながら星子必死に悲しみを堪えているの助手席で涙がこぼれてくるのを必死で耐えてるの

 星子悲しいの自然と涙がこぼれてくるのクラスのみんなは幸せなのに何故星子だけ不幸なの星子も幸せになりたいの

 

 

 僕も同じだ僕も一人だ僕も毎日一人で立山の坂を降りながら泣きたくなってくる寂しさと惨めさと僕の喋り方や病気のことで

  もう夏も終わろうとしているのに僕は一度もこの浜辺に来ていなかったもう夏も終わろうとしているのに

                                            カメ太郎高一・8夏の浜辺にて

 

 

 

 

 星子さんの微笑みは僕に哀しい思いしか起こさせなかった星子さんの微笑みは赤い薔薇のようだった哀しい哀しい薔薇のようだった

 

 赤い気球に星子さんとゴロが乗って盛んに僕に手を振っている

 僕は浜辺で星子さんたちを見上げている

 星子さんたちは気球の上ででも寂しそうでその寂しげな雰囲気が僕には解る

 熱い熱い太陽の光が僕らを照らしているけれど僕らは笑っているけれど

 心の中はとても寂しい

 

 カメ太郎さん虹が見えるわ星子たちの未来のようなの七色のように綺麗に輝いてはいないけどでも星子たちの未来のような虹なの美しい虹なの

 

 海の上を星子さんが歩んでいる星子さんが動いているいつも一人ぼっちの星子さんが海の上を漂っているまるで幽霊船のように夕暮れの海の上を漂っている

 立ち上がった僕の目にはもう星子さんが天国を僕へ手を振りながら駆けてゆく姿が見えていたそして何故かゴロが一年後ゴロが死んでいくことを予知するかのように星子さんの傍についていた

 孤独な僕の目に映った錯覚に違いなかったもう夏も終わろうとしているのに僕の心は孤独だった

 

 僕が夢見ていた浜辺はこんなものではなかった僕が夢見ていた浜辺は僕が星子さんの車椅子を押してゴロが傍に付き添っていて星子さんがいつまでもいつまでも喋っていて僕はときどきただうんと頷くだけで星子さんが一人でずっと喋っていて

 僕は深い悲しみに沈みながらこの浜辺に佇んでいるもしも星子さんがいてくれたらもしも僕がちゃんと喋れたらと思いつつ

 そうしたら僕は明るくこの浜辺に佇むことができるのに

 恥ずかしがる星子さんと息をひそめる僕とどちらが苦しいだろう星子さんはどうしても僕の前には現れたがらなくて僕は息をこらえながら海面へ海面へと何回往復しただろう

 星子さんの方が苦しいのかもしれない夏の終わりの夕方の海はもう少し薄暗くなっていて僕を少し不安にさせたし星子さんをも心細くさせていたと思う

 潜っていてとても寒かった。30分も潜っていたら寒くて寒くて堪らないようになってきたもう秋になってきた寂しい秋になってきた

 大きな海のなかに溶けていって何も考えなくて良いようになってのんびりと毎日を全然時間を気にせずに過ごせたらどんなに幸せだろう

 

 

 

 

 カメ太郎さん元気にしていますかもう夏も終わりに近づいていますもう月も20日を過ぎてしまって後一週間余りでまた学校が始まるのかと思うと少し憂欝になりますカメ太郎さんたちはもう補習が始まっているのでしょうそれにカメ太郎さん毎日柔道の練習があっているのでしょう

 もしも星子が元気な躰をしていたらカメ太郎さんたちの柔道部のマネジャをして上げるのにねと思っています

 星子この夏も海へ行きませんでした良いえ毎日のように夕方頃浜辺に出ていましたカメ太郎さんがゴロを連れて来ないかなとも思いましたでもカメ太郎さんこの夏一回も来ませんでしたねやっぱり中学の頃と違ってそんな暇ないのでしょうね去年まではよくカメ太郎さんの姿を浜辺でときどきいつも遠くからでしたけどそれにいつもカメ太郎さんすぐ走って去っていってしまわれていましたけど見ていられたのに

 この夏も何事もなかったように過ぎてゆきますお盆も終わってこのまえ台風が来てそして夏も終わりに近づいてきました夜もあんまり暑くなくなりました

                                                星子中二

 

 

 

 

 

 

 

 

          

         星子の日記

 

 星子だけのピノキオ いつも不安そうに俯いている可愛いピノキオ

 寂しげなピノキオ でも笑顔はとても楽しげなピノキオ

 

 星子のピノキオは

 実はとっても力の強いピノキオでした

 外見はとっても痩せているように見えるけど

 裸になると筋肉と骨だけ

 

 やがて星子はピノキオから抱かれる時が来るのです

 嵐の夜にたなびく黒い老いた腕で

 息ができないほど強く強く抱きしめられるのです

 強く強く

 

 カメ太郎さんの不思議に光る白い裸体星子の裸体も白くてやがてそのうち星子たち重なり合うんですそして溶けてゆくの波の音を聞きながら

 星子たち蝋人形なのです小さな可愛い綺麗なとっても綺麗なでも燃えてゆくんです星子たち

 炎の中で星子たち始めて一緒になれるんですもだえながら焼かれてもだえながら星子たちやっと一緒になれるのです叫びながら断末魔の喚きをあげながら

苦しい? カメ太郎さん? 熱い?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        (星子さんへの手紙の下書きだろう

 青い青い海だけが見えるもう夏も終わりに近づいた月の海が見える

 もうあまり暑くなくなってきてやっと夏も終わった感じですゴロもこの頃はあまり暑くなくて過ごしやすそうですそれより暑がりやの僕や父は暑くなくなってとても嬉しいです

 星子さんお変わりありませんか僕たちは二学期が始まったけどもうずっと前から補習があっていたしクラブがあってたので以前と全然変わりません中学の頃は本当に42日間ずっと休みだったのにそうして友だちと自転車で大村へ行ったり大村湾一周をしたりしていたのに本当にあの頃は暇があったのに今は英語や古文の予習なんかをしなければならないしいろいろ宿題があるし大変です

                      (高一・9

 

 

 

 

 

 少し肌寒くなってきたこの頃カメ太郎さんいかがお過ごしですか

                    星子中二・9

 

 

 

 

 僕は苦しみ始めた今までこんなことはなかった高校に入ったばかりの頃スクルバスの中で友達に話し掛けようとしたとき言葉が出て来ず不思議に思ったことがあったでも今まで一学期のとき現国の時間一文読みで言葉が出てこないで苦しい思いをしたことがあっただろうか一学期のときたしかに何回か最初の言葉を2、3回言ったりして吃ったことがあったようにも思うでもこんなに苦しんだことはなかった

                      カメ太郎高一・9

 

 

 

 

星子さんへの手紙の下書きだろう

 今日の時間目現国の時間自習になって僕は現国の本を読んでいましたみんなはトランプをしたりワイワイ喋ったり騒いでいましたでも三分の一ほどの真面目で大人しいのは宿題をしたりしていました

 現国の本に面白いのがありました授業のとき飛ばしたものですが紀州のジプシー』というものです畑正憲っていうムツゴロウで有名な人が書いている報告記のようなものでした

 海の上に小さな船で一人で出て何日も何日も一本釣りの手釣りで魚を釣るのです僕は魚釣りが大好きだしそれに小さな船に一人で生活するのだから喋らなくて良いし僕は高校やめてそれになりたいなあとずっと思っていますすると僕の苦しみや悩みはすべてなくなります僕の大好きな魚釣りを毎日してゆけます

 弟子入りしようかなと思ったりしています                                                                                                              (高一・9

 

 

 

 

 僕はこの頃学校をやめて加津佐の父の実家へ戻ってそこで農業しようかとも考えてきました後を継いでいる父の弟夫婦は僕の父と母のように町へ出たいと言っているそうですだから僕が後を継ごうそして花を栽培したり外国の果物を作ったり新しい品種を作ったりしようと考えたりしていますでも農業をやっていくにしてもやはり近所の人とは喋らなければいけないしそれがちょっと嫌な気がしますいろんな寄合いなんかに出なければいけないようだし

 でもミカンや米なんか喋らなくても肥料や農薬をちゃんとやっていたらできるだろう

                  (高一・927

 

 

 

 

 

 

 

          ----僕は悲しい運転手----

 

 僕は悲しいトラック運転手無線で喋れない悲しいトラック運転手まっ暗な闇の中をトラックを猛スピドで走らせている怒りを込めて

 僕は無言の運転手一人ぼっちの運転手怒りが僕を支配していて路傍の雑草が僕のトラックのたてる風に揺れている

 僕は無口な運転手無線にはいろいろな処からトラックの運転手の話し声が入ってくるみんなとっても元気で中にはヤクザっぽい人もいる

 僕は唖の運転手高校中退の言語障害の運転手

 僕は涙のトラック運転手僕の涙とともに降り出した雨の中を走る運転手

 長崎から遠く離れて東京へと高速道路を行く運転手僕は哀しい運転手

 トラックのタイヤは僕の足で僕の怒りを表わしたものだヘッドライトはもちろん目でその光も僕の怒りだ

 僕は涙を堪えてひたすらに走り続けるふとハンドルを右に切って中央分離帯を越え向かってくる大型トラックと正面衝突したいという誘惑に駆られるけど僕にはやはり父や母がいる僕は死ねない懸命に生きてゆくしかないのであったそして父や母の前ではさも楽しそうに振る舞わなければならないのであった生きるのや仕事がとても楽しいといったふうに

 僕は涙を流しながら運転する生きてゆくのが辛い早く死にたい早く何かの死病に取りつかれるかして

 でも僕の病気は死病ではなく人から笑われるだけの人から軽蔑されるだけの病気であった

 雨がシトシト降っている僕は悲しいトラック運転手

 真夜中星子さんが立っていた雨がシトシト降っている国道のまん中に

 僕は急ブレキをかけた。(キュルキュルキュッ

 星子さんが消えたでも星子さんらしい人影は何処にもない

 夢だろう重なる疲労の果てに見た夢だろう

 夢だったんだそうだ夢だったんだ星子さんは立って歩けないんじゃないかそれにこんな真夜中にまた長崎から遠く離れた処に

 この雨は星子さんの涙なのだろうかそれとも僕の涙か僕の両親の涙か

ギッギッと鳴るワイパの音雨の音とともに際限もなく鳴り続けている

 

 

 

 

 

 

 

 星子さん僕は今日魚釣りしながらつくづく思った明日からの一週間の学校のことを心配したりしながら僕はつくづく思ったもう暮れゆく太陽もう日曜日も終わりに来ている一日の休憩ももう終わり明日からまた日間の辛い日々が始まることの悲しさ

 また続く日間の苦しい日々他の人には楽しい日々かもしれない僕の心は軽やかだったでも夕暮れが近づくにつれて憂欝になってくる

 楽しい一日ももう終わり苦しい日間が明日から続く夕暮れは僕の心を悲しみで満たす午前中は楽しかった。 

 家に帰ると僕は風呂に入るまえにゴロの散歩に行く魚釣りで疲れているけどいつもクラブで疲れているから

 悲しい夜の闇が僕とゴロを包んで僕とゴロはその闇の中を必死で走る僕の心は明日からの学校のことへの不安で一杯でそれで一生懸命駆けているのにゴロは何故そんなに駆けているのだろう僕は不安ではち切れそうな胸の中を癒そうと必死に走っているけどゴロは何故そんなに走っているのだろう

 僕は一度星子さんの家の前で立ち止まった不安ではち切れそうな胸でも星子さんはいない僕がこうして星子さんの家の前で立ち尽くしているのも知らないで星子さんも寂しくテレビを見ているか宿題をしているかしているだろう

 僕もこんなに不安と寂しさで胸を一杯にして立ち尽くしているのに僕のこの心は星子さんに伝わらず星子さんも寂しさで胸を一杯にしていると思う

 

 

 

 

 

 僕は飛んでいました長崎港を見下ろしながら鳥になっていました高校に入ってからよく願い続けたことが遂に現実になったのでした

 僕は高校に入って以来グラウンドから空を見上げては飛行機のように飛び回るトンビを見てよく不思議なもの思いに囚われていましたああ自由そうだな何にも縛られてなくて自由そうだな

 高校の始めの頃その頃僕は幸せだったから単なる憧れを覚えただけだったでも七月八月と経ち喉の病気のことで僕の憂愁は深まり九月になり吃りがひどくなってから僕は大空を飛行機のように飛び回るトンビを憧れというのか解らない気持ちで見つめるようになりました

 僕は現国の授業に帰りたくなかったこのまま現国の授業が終わるまで大空を飛び回り続けたかった僕には帰れる処がなかった僕はさっき現国の授業のとき一文読みの順番が回ってきたときに突然窓際へ走っていって窓から大空へ飛び立ったのでしたみんなびっくりしていたようでした

 それで僕は教室に帰れないのでした

 僕は飛んでいました眩しい眩しい青空でした

 トンビがいますみんな黒い色をしていてみんな遠く離れてジェット機のように飛んでいますみんな僕に知らんふりして悠々と一人一人飛び回っています

 処々薄く雲が懸かっていて何処までも大きい空でした小さな教室の中と違って目の眩むような大きな空ですあっあそこに浮かんでいるのはUFOかな僕はゆっくりと旋回して近づいてゆきました。UFOの母船なのかなゆったりと動かないで葉巻みたいな形をしていてまるで空のクジラのようだな空のシロナガスクジラのようだな

 僕はキュンとその母船から離れてますます高く高く上空へと舞い上がっていきました

 やがて僕は純心中学と高校の木立ちの中に舞い降りました僕はウルトラマンの格好をしたまま辺りを見回しました

 もう長く見ていない星子さんでした僕は中庭を身を屈めながら星子さんの教室を捜し始めました星子さんの教室は階の窓から池の見える教室と手紙に書いてあったことを想い出していました

 僕には久しぶりの星子さんの姿でしたやっぱり可愛いなと思いました車椅子の少女だといってもこんなに可愛いなら他にも星子さんを好きなのがいるかもしれないと思って心配になりました

 星子さんは同じ教室のどの女の子よりも可愛く思えました

 僕は帰らなければいけないと思うようになってきました僕は飛び立とうと空を見上げました

 僕は泣いていました再び飛び立ちながら泣いていました何故こんなに涙が溢れてくるのか解りませんでした

 僕は星子さんが車椅子の少女であることが悲しいのだろうと思いました何故星子さんが車椅子の少女でなければいけないのだろうと思って悲しくて僕は泣いているのだろうと思っていました

 僕は空を飛び始めました早く学校に帰らなければいけないと思ったからでした僕は飛んでいました飛びながら僕はさっき見た星子さんのことを思い出していましたでも星子さんも泣いていました星子さんも僕と同じように悲しくて泣いていました僕も空を飛びながら悲しくてたまりませんでした

 それは分間の夢だった周囲のみんなは言葉が出て来ずもじもじしている僕に振り向くことなくじっと背中を見せていたそれは哀れみの背中だった打ち震える僕

 

 

 

 

 

 

 

 もう夏が終わり秋が来ようとしています僕は今日授業が終わってから一人でずっと市民会館の七階で勉強しています昨日の夜はもの凄い雨が降っていましたけどいつものように雨がたくさん降った日は僕の心は何故か爽やかです今週の日曜日体育祭ですだから今日はこんなに早く学校が終わりましたでも僕は何もすることもなく一人この市民図書館では知っている人が居たらヤバいなあと思って

 ずっと黒い雲が朝から立ち込めています僕がこの市民会館へ来るときもそうでしたがときどき雨が降って来ていますときどき悲しくなったり寂しくなったりする僕らの心のようです

 この雨が止むと秋になるんだなあと思います悲しい秋がやって来るような気がしてなりませんいつも秋は辛く悲しかったから

                    (カメ太郎 高一 10

 

 

 

 

  星子さんへ

  もう秋になり寒くなくなってきました朝なんか起きるのが辛くなってきました特に僕は学会員だから朝の勤行をしなければいけないのでだいたい30分は掛かります。720分のスクルバスに間に合うためには時半には起きなければいけませんでも中学の頃なんかずっと冬の間風邪をひいていたのに毎朝一時間勤行唱題をして学校へ行っていたのだから

 寒さが身に応えてくるようになると中学の頃の厳しい日々や星子さんと出会った頃のこと貧乏だった小学年の頃までの辛かった日々病気ばっかりして半分も行かなかった幼稚園時代小学校にあがるまで毎日一回は必ず泣いていたこと幼稚園のスクルバスから降ろされて家までの僅か50mぐらいの距離を歩けなくていつも泣いていたこと小学校低学年の頃までは貧乏だったため毎日のように父と母が喧嘩していたこと小学校の頃春休みや夏休み冬休みには必ず加津佐に行ってそうして休み一杯加津佐に居てとても楽しかったこと中一の冬に喉の病気になって大きな声が出なくなって今までずっと悩んでいること

 

 

 

 

星子さんと夜の浜辺で語り合いながら空想日記より

 僕らを取り巻く周囲はとても暗いけど夜の空はこんなに明るい

 あれがカシオペアあれがオリオン座 星が僕らに語りかけてくるようだ

 冬の夜の星たちが僕とゴロと星子さんを暖かく包んでくれているようだ

 僕らを取り巻く周囲はとても厳しいけどでも僕らは負けない

      

 

カメ太郎さん幸せは何処幸せは何処にあるの

幸せは幸せは遠い星の向こうか目の前の僕たちのペロポネソスの海の中にあるのだと思う

 僕にはそうとしか言えなかった

 

 

 波の音が聞こえてくる

 星子さんの哀しげな歌声とともに波の音が僕の耳に聞こえてきている

 哀しげな星子さんの歌声が聞こえてくる

 一人ぼっちの僕の処に星子さんの歌声が不思議に聞こえてくる

 16歳になった孤独な僕の耳に哀しげに聞こえてくる

                                  カメ太郎高一・11

 

 

 家に帰って来たとき僕の心は寂しさで一杯になっていますそれに明日の学校への不安と

 だから僕は毎晩、2時間ぐらい創価学会のお祈りをしています勉強は寝る前に30分と、4時頃起きたとき30分ぐらいするだけです。4時頃目が醒めて30分ぐらい勉強してまた寝ています

 幸せになりたいなあみんなのように何の不安もなく学校生活を送りたいなあという気持ちで一杯です幸せは何処にあるんだろう僕にとって幸せとは何なのだろうそして世の中の不公平のことなんかを考えると僕だけでなくって不幸な人は僕の身近にもたくさんいるから

 星子さんの家の前の青い海細波の音潮の香り僕らが出会ったペロポネソスの浜辺

                 (カメ太郎高一・12

 

 

 

 

 

星子日記中二・12

 星子カメ太郎さんとヶ月も会ってないわ。2年前の10カメ太郎さんが泣きながら帰っているのを見たきりでそれから全然会ってないわそうだわ星子今日カメ太郎さんの学校帰りを待ち伏せしてやるわ

 今日は星子たちの学校の創立記念日なのですそれで星子朝からそんなこと考えていました

 テンを開けて空を見たらとっても綺麗な青空で冬とは信じられないくらいきっと神さま星子が今日カメ太郎さんと会いに出かけて行くのを見透して冬なのにこんな不思議な青空を拡がらせてくれたのね

 星子、10時に起きましたけどそれから何を着ていこうかなお化粧はどうしようかな?』と考えてもう大変でした。3時に出ても充分間に合うはずなのに星子テレビも見なかったわ

お母さん星子ちょっと散歩に行ってくる心配しないで良いからね。6時頃になったら帰ってくるわ

 ママは星子がいつもになく化粧して家を飛び出したのでびっくりしたでしょうね星子カメ太郎さんに会うつもりだったこのまま文通だけしていたって駄目だもんやっぱりデトなんかをしたいもんカメ太郎さんに車椅子を押してもらってあちこち散歩したいもん

 星子の家から水族館前のバス停まで45分も掛かりました。12月なのに空はまっ青でちょっと暑くて汗をかきましたせっかくのお化粧も汗の跡が付いたみたいでコンパクトを取り出してお化粧をし直してしまいました

 カメ太郎さんはたぶん時にいつも練習終わるから時まえにはここを通るはずねまだ一時間もあるわでも良いの

 星子日見公園のなかに入っていってそこで日なたぼっこをし始めましたときには陽に照らされないとビタミン不足になってしまうって先生が言ってたから日なたぼっこしちゃおうちょっと色が黒くなるかもしれないけどちょっとぐらい黒くなったって良いわ

 でも星子やっぱり駄目なのかな星子のような身体障害者とカメ太郎さん一緒に歩いているところを人に見られたくないのかな星子やっぱり駄目なのかな

 僕は土曜日部活で疲れた躰をゆらゆらと網場道の長い階段で揺らしていた夕暮れが僕の足元や灰色の階段を包み込もうとしていた

 この冬は暖冬で十二月なのに春のような毎日だった僕は鞄を持つ手も大変なほどでバスの中で立ちながら僕はいつも入り口の人一人だけが立てるくらいの空間に立つのだったが鞄を手から落としてしまいたいほど疲れていた土曜日なのでいつもより練習時間が長くてこんなに疲れていた

 網場道の長い階段を下っているとき前方の日見公園の前の辺りに僕は不思議なものを見た

 なんだろうあの正六面体のものは頭の処が赤々と炎を上げて燃え盛っているようで不思議だったなんだろうあの奇妙な物体は

 最近勉強をし始めてきたため急に目が悪くなりかけた僕には始めそれが何なのか解らなかったでも階段をもっともっと進んでいくうちにそれは車椅子でそしてその上に乗っているのは華やかに化粧した若い女の子だということが解ったとてつもなく大きな目と艶やかな服が白銀の車椅子の上に赤い炎のように揺れている

 それは正六面体の鮮彩色に彩られたtexture。白銀が夕陽に煌めく不思議なtexture。その上にまんまるいとても大きな瞳をした少女を乗せている不思議なtexture。

 僕は階段の途中でやっと気づいた

 ああ星子さんだやっぱり星子さんだ

 僕の魂は一気に崩壊したようになり僕の足は突然frozen gaitという言葉が浮かんで来るとともに歩くのがやっとになった

 だんだん近付くにつれ僕の目にはっきりと映ってきた星子さんの姿はライオンに乗った女騎士のようにも思えた僕にとって一年半ぶりの星子さんの姿だった艶やかな化粧とよそ行きの服が夕暮れの日見公園横の風景によく映えていた

 星子さん何を眺めているのだろうさっきから公園を取り巻く桜の木のてっぺん辺りをずっと眺めている

 雀がそこに十羽ほど留っているけどその囀る姿に熱心に見入っているようだった幸せそうに頬を輝かせて車椅子に背をもたれ掛けながら熱心に見入っている

 星子さん何見ているんだい僕は目でそう星子さんに話しかけた星子さん何見ているんだい

 だんだんと近づいていった僕の姿に星子さんまだ気づかないのだろう僕は急いで大きな道路を渡り始めた星子さんが向こうを向いている隙にそうして僕は星子さんから大きく遠ざかった

 すると星子さんもしかすると僕に気づいていたのかもしれない僕に恨めしげな悲しげな視線を振り向いて送った星子さん気づいていてわざと桜の木の上を見続けていたのかないやきっとそうだろう本当は僕が網場道の階段を下りている頃から気づいていてそのときから僕に気づかない振りして黙って桜の木の上を見続けてたんだろう

 でも僕には星子さんを無視するしかなかったんだ僕は幽霊で誰にも見えない幽霊で星子さんが見たのは僕の幽霊で背中しか見えなかった幽霊で逃げるように立ち去っていった幽霊で

 僕の後ろ姿は陽炎のように揺れていた僕の後ろ姿は蜃気楼のように朧ろげに黒いアスファルトの上を歩んでいた実は僕は苦しんでいたのです星子さんを無視する苦しさが僕の後ろ姿を陽炎のようにも蜃気楼のようにもしていたのです

 僕は揺れる陽炎  苦しむ蜃気楼

 僕は揺れる陽炎  苦しむ蜃気楼

 そして僕早足で星子さんに背を向けて橋の方へと歩き去ってゆきました星子さんに気づかれないようにと必死でした

 僕の背中は苦しむ背中まっ黒い苦しむ背中星子さんを置き去りにする黒い背中

 僕の背中は非情な背中星子さんを無視する非情な背中

 僕は背中から星子さんに手を振っていました僕のまっ黒い背中に僕の手の平があって星子さんにさよならと手を振っていました。『さようなら星子さん僕は静かに手を振っていました。『さようなら星子さん

 僕はまっ黒い手を静かにでも力強く振っていました。『さよなら星子さんさようなら

 

 

 

 

 

 

 

 僕は昨日白い船が空を飛んでいる夢を見た空と言っても天国みたいな処の空で白い船には星子さんとゴロが乗っていて何故か僕は乗ってなくて僕は地上から手を振っていましたそして星子さんやゴロも白い船の上から僕に手を振っていました

              

 生きることの意味が掴めたら僕は白い鳩になって星子さんの家へ飛んでゆこうそうして星子さんの部屋の窓辺に泊まって星子さんに告げよう僕らの生きる意味を

 

 浜辺へ行こう浜辺へ行ったらきっと僕を慰めてくれるものがあるだろうもう十二月になって寒いけど学校の授業で傷ついた僕はゴロを連れて浜辺へ行こう久しぶりにあの浜辺へ寒くて星子さんは出ていないだろうけど

 僕は時半頃家に帰って来るとゴロを連れて僕と星子さんのペロポネソスの浜辺へと走ったもう辺りは薄暗くなりかけていた通り過ぎる誰も彼もコトやジャンバに首まで身を包んで足早に歩いていた僕は涙が流れてくるのを必死に耐えながらゴロと走っていたゴロは蒸気機関車のように白い息をたくさん出していた

 僕は薄暗くなった戸外を必死に駆けた早くペロポネソスの浜辺に暗くなるまで着いてそして海へ向かって石を投げたりしたかった風がとても冷たかった冷たくて悲しくなるほどだった学校で苦しんでそして今もこうして風の冷たさにとても辛い思いをしなければいけないのかと思うととても悔しくなって泣きたいほどになっていた

 十分ぐらい走っただろう僕らはペロポネソスの浜辺へ来たもう辺りはすっかり暗くなり始めていて後二十分もしたらまっ暗になりそうだった僕は足元を用心しながらまだ駆けていた

 やがて僕は砂浜に辿り着き立ち尽くすとバカヤロウ!』と大声で叫んだ

 僕はそうしてゴロと夜になってゆく浜辺で抱き合うようにして過ごした僕は涙を浮かべていたそうしてやっぱり医者になるんだ自分のこの病気のために自分のような病気で苦しんでいる人たちを救っていくために耳鼻科の医者になるんだと決意したそうしてやっぱり柔道を辞めよう明日にでも松添先生の処へ行って柔道を辞めさせて下さいと言いに行こうと思った                                                  

             (高一・12

 

 

 

 

 

 

 ときどき湧いて来るもしも僕が創価学会の信心をしていなかったらこの喉の病気に罹らなくて僕は星子さんと友達になれて毎日のようにあの浜辺でペロポネソスの浜辺でゴロと一緒にいろんな話を楽しくできたのにと

 でも僕は毎晩そして毎朝祈っている星子さんの幸せを一日一時間ぐらい懸命になって祈っている他の人のも合わせると一日二時間ぐらい祈っている

 星子さんは幸せだ僕にはそうとしか思えないこの頃国語の本も読めなくなった僕には

                   ペロポネソスの浜辺にて 高一・1

 

 

 

 

 

 

……夢の中で……

 波の音が聞こえているそして歩いてくる星子さんの姿が見えるもう辺りは夜の帳が降りようとしていた

 ゴロがそうして走っている星子さんのずっと後ろをゴロは浜辺をもの凄いスピドで走り回っている

 ゴロは波が打ち寄せる処と浜辺の奥の林の中を行ったり来たりしている

 生きるのが辛いときよく眺めていたこの海も以前と同じようにエメラルド石のように輝いているまだエメラルド石のように輝いている

 

 

 もう裏山にも雪がコンコンと降り積もっています僕はもう四日続けて学校を休んでいます現国の授業が厭だしクラブも厭だから

 僕は雪の中を白い鳩になって星子さんの部屋の窓辺まで飛んで行きたい

 もう辛い日々はこの辺で終わりにしたい僕も幸せになりたいアマゾンか何処か喋らないでも良い処へ行って生活したい

 僕は船に乗ってアマゾンへ旅立つだろう遠い遠いブラジル行きの船に乗って僕は秘かに旅立つだろう雪の降る夜誰にも見送られずに僕は一人で旅立つだろう

  自分がこんな病気になったこと……

 

 

 星子さんが泣いている外はとても寒く小雪が舞っている それなのに僕は窓を開け星子さんの家の方を見た見えない雪の向こうに微かに星子さんの家の橙色のカテンが光っているのが見えるけどそれだけだそのカテンの向こうで星子さんが泣いているのだろうけど僕には何もできない手紙を書くことも電話をかけることももう今の僕にはできない

 勉強しなければいけないのに手紙なんて書けない電話だったら少しも勉強の妨げにならないけれど僕は喋れない雪の向こうに微かに見える星子さんの家まで走っていけば良いのだけど僕は風邪で学校を休んでいる本当は風邪でも何でもないのだけど現国の授業が辛いからだからずっと僕は休み続けている

 手紙を書くと今夜勉強できないし

 

 

 星子さん青い海です僕は昨夜悪夢に唸されつつ何度もこの海を心に描きました僕を力付けてくれる青い海僕に勇気を与えてくれるこの青い海

 海は輝いていますとても僕に元気をつけてくれるように

 でも僕は……

カメ太郎さん黒い大きい不安って何?』

それは僕らを包み込もうとしている黒い大きな悪魔のようなもので僕らは

星子さん寒くないかい?』

 僕はブルブルツと震えながら星子さんにそう囁いた

ええ寒いわよでもとっても夕陽が綺麗

 耳を澄ますと聞こえてくる波の音は星子さんが僕の誕生日にくれたオルゴルの鐘の音のようだ寂しくて心配で圧し潰されそうになっている僕の胸を慰めてくれるオルゴルの音のようだ

 

 

 カメ太郎さん星子久しぶりです

 星子こんな美しい夕焼けを見るの

 ずっとずっと一人ぼっちだったから

 四年間も一人ぼっちだったから

 星子久しぶりに夕焼けを見ています

 

 

 星子たち悲しむマンボウ

 星子たち寂しいマンボウ

 星子たち涙を溜めたマンボウ

 でも星子たち決して泣かないの

 

 

 

 12月の暮れに重いみかん箱を肩に担いで冷たい風に吹かれながら夜遠く芒塚や朝日ヶ峰の坂や階段を登りながら借金のために配達していた母の姿僕はそういう母の姿を見て育ってきたからだからこんな強迫的な性格になったのだと思います

 だから僕は必死に創価学会の信仰をしました中二の頃もうすでに睡眠時間は時間を切っていました毎晩11時か12時まで題目を上げていました

 寒い夜僕の母は重いみかん箱を肩に担いで朝日ヶ峰や芒塚の坂を登っていった僕や姉に食べさせるため一家のため母は凍えるような風に吹かれながらも題目を唱えながら芒塚や朝日ヶ峰の坂を登っていった

 

 でも僕たちの人生はいつも冷たかったじゃないか暖かい日は一日もなかったじゃないか少なくとも僕にはなかった辛い毎日ばかりだっただから僕は小学年生のときに自分から信仰を始めたんだし

 

 冷たい夜ねああでも僕らはいつもこんな夜に耐えてきたろ明日の学校のことが心配でとても心配で

 

 星子さんがゆっくりと歩いてゆく北風の吹く道のない処を星子さんの髪は風に吹かれ僕はただ涙を溜めて見送ることしかできない星子さんの愛を感じながらも現実に負けてしまった僕にはただ明るそうに振舞うことだけしか星子さんになるべく心配をかけないようにしか僕にはできない

僕はこのころ学校へ行かなくなってとても自分を卑下していた

 僕は医者になって僕は僕と同じような病気で苦しんでいる人たちを救っていくんだ

  遠い海の向こうに星子さんが居る青い海の向こうに星子さんが居て僕を見つめている一人ぼっちの僕を寂しい僕を

 カメ太郎さん虹が見えるわ星子さんたちの未来のようなの七色のように綺麗に輝いてはいないけどでも星子さんたちの未来のような虹なの美しい虹なの

 

カメ太郎さん何処へ行くのそこは森の中よカメ太郎さん何処へ行くの

 僕は揺れる陽炎 冬の蜃気楼 僕は揺れる陽炎 冬の蜃気楼

カメ太郎さんその森の中危ないわよ谷間に落ちるわよ足元に気をつけてカメ太郎さんその森の中本当に危ないのよ

 僕は揺れる陽炎 冬の蜃気楼 僕は揺れる陽炎 冬の蜃気楼

カメ太郎さんカメ太郎さん

 僕はハッと目を覚ましたまた夢だったこの頃毎夜見る夢だった

 

 僕は揺れる陽炎 迷える蜃気楼 僕は揺れる陽炎 迷える蜃気楼

 僕は揺れる陽炎 迷える蜃気楼

カメ太郎さん負けないようにしなくてはカメ太郎さん負けないようにしなくては

 僕は森の中を吹かれゆく僕は森の中を吹かれ歩く

カメ太郎さん負けないでカメ太郎さん負けないで

 僕は森の中を吹かれ歩く冷たい冷たい北風に吹かれ歩く

カメ太郎さん

  僕は夢の陽炎 迷える蜃気楼

  僕は夢の陽炎 迷える蜃気楼

 

 

 

 

 不思議な鳥や魚たちがたくさんいるあの島は僕らのすぐ目の前にあるけれど僕らには遠くて僕らは眺めているだけしかできないもしも僕らがあの島に船で渡って行けたら岸辺には鳥たちがたくさんいて水たまりには大きな30cmぐらいの魚もいてアメフラシやイソギンチャクもたくさんいてそして僕らは一緒に手を繋いでその浜辺を楽しくお喋りしながら僕は吃って喋れるか解らないけれどゴロといや、2人と一匹かな?)で楽しく歩き回ると思う朝から夕方まで僕らは人と一匹いや、3人かな?)その浜辺でとても楽しい時を過ごすと思う

 

 

 

 

 小鳥が僕が以前飼っていた手乗り文鳥が窓辺から外の光景を見つめていた僕の処に何年かぶりに飛んできたようでした窓辺の桜の木の枝に何年かぶりにたしか中学年以来だなあと思いました

 2年ぶりかなあと思いました窓辺の傍に座り込んで物思いに耽っていた僕のもとにまるで天国から僕を迎えに来たように僕には思えました

 頬の処の黒い模様もそして目の下の斑点もその目も僕の家で飼ってたあの人なつっこいでも窓の隙間から年前あああれは星子さんと文通し始めるちょうど何週間かたしか週間ぐらい前のことだったなあと僕は思い出していましたそしてもうあれから年近く経とうとしているんだなあと思いました

 青い空に消えていった僕が小さい頃から大事に育ててきたあの文鳥が戻ってきてくれたんだなと思いました

 

 

 

 星子さんこのまえいつもの非常階段から立山公園の森を眺めているときカサカサッと揺れた梅の木の葉の音にとても不安になった

 それは例えようもない不安だった一人ぼっちのコンクリトの非常階段の上で僕はとても不安になった

 冬の木枯らしが吹いていた早退した僕を歓迎するように一月の風になびいて吹いていた

 少女の思い描いていた僕に対する美しい幻影は僕が喋り始めると途端に崩れ去ってしまうそれは中世の湖畔に聳える美しいお城が崩れ去るのを想像するときっと良いと思う

 そよ風が吹いて立山公園の森の杪が唸った僕は静かに立ち上がり誰もいないコンクリトの非常階段の上に立ち尽くしていた

 昼休みだった僕はいつものようにみんなのいる騒しい教室や廊下などを離れ一人運動場に面するコンクリトの非常階段に来ていた埃を被ったほとんど誰も来ない忘れ去られたような校舎の一角だったここは僕しか来ない処だろうもしかすると年前この校舎が立てられて以来誰も来たことがない処かもしれないこのまえ付けた僕の手の跡が今もまだ鮮やかに埃の中に浮かび上がっていた

 僕は冬の木枯らしの中を揺れ歩く木の葉のように揺れ歩く

 あまり寒くはないけど嵐のような風の強い日だった生暖かい風が冬なのに何故か南の方から吹いてきていた

 僕の耳に不思議にあの海辺の細波の音が聞こえていました誰もいない冬の真昼の展望台の上で僕はぼんやりとそんなことを考えていました

 

 

 

 僕らは悲しい恋人どうし

 海を見つめる恋人どうし

 やがて夕暮れが僕らを優しく包んでくれて

 無言の僕らを慰めてくれる

嵐のような海ねカメ太郎さん

ああ僕らの幼い頃からの人生もこのようだったね星子さん僕も小さい頃からたまらなく辛い日々の連続だった小学校時代は家は貧乏のどん底でいつも夜逃げを考えるほど厳しかったそうだ

 それに学校でも辛かった家でも辛かったけど学校の方がもっと辛かった僕は八方塞がりだったでも僕には信仰があったいつも御本尊さまの前で苦しみ悲しみに耐えてきた

今は嵐のように世の厳しさを受けている。『でも負けないでも負けない自分より苦しんでいる人たちだって居るんだと自分に言い聞かせながら

 冬なのに真夏のような太陽が照っていた見渡すかぎり青い空だそして今日は月の日曜日だった

 雀が僕の目の前を唸りを上げて飛んでいるように思った細く黒い電線が見えるそして彼方には小さい頃から見慣れた山が見える

 いつも後悔ばかりしてきた僕だったいつも運が悪くて苦しんで損ばかりしてそうして親に迷惑をかけてばかりいた僕だった

 カメ太郎さん負けちゃだめよきっと立派な医者になってねとても苦しいかもしれませんけど星子さんにはカメ太郎さんの苦しみがあまり良く解りませんけど頑張って負けないで高校を辞めるなんて思わないで下さい

 本当にカメ太郎さん頑張って下さい

 

 

 

 僕は窓からの風景のなかの青い海が急に盛り上がって巨大な波となって僕をも呑み込もうとしているように錯覚されました

 生きるのに辛くてたまらなくなったとき僕らはよく浜辺から海を見るけど僕らが見るのはいつも寂しげな夕暮れの浜辺ばっかりで僕らは

 僕はこの手紙を家で書いています家で僕の小さなストブにあたりながらノホホンと何も考えないようにしようと思いながら書いています

 頭がとても重いです何故なのだろうかなと思いますもう時半です今日もまた学校を休みました

                       (高一・2

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の中で

 寒い丘の上に少女が身を震わせながら立っていた星子さんだった

星子さん寒いのに……寒いのに何故そんな処にいるんだい?』

 僕は夏に見た星子さんのあの哀しげな姿しか見てなかったので僕は久しぶりに星子さんを見た

 寒い丘の上で星子さんは風に吹かれて寒さに震えていた

カメ太郎さんカメ太郎さん

 星子さんの言葉はあきらめにも悲しみにも似ていた

 

 僕は泣き声一つたてないで苦しみに耐えている星子さんのことを思って涙ぐんだ可哀そうな星子さん苦しくて辛くて寂しくて堪らないのだろうに泣き声一つたてずに堪えている星子さん

 

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 僕らのあの思い出の浜辺も僕はもうあんまり行かなくなりました星子さんの家や微かに見える浜辺を僕の部屋からときどき眺めるだけですもしも僕が白い鳩になってあの浜辺に久しぶりに飛んでゆけたらどんなに良いだろうなと思ってしまいます

 もうウニ採りも終わったし中学生たちがかつての僕らのようにサザエ取りなどに励む季節に近づこうとしています

 もう僕には一生懸命勉強しなければいけない季節になってきました

 

 

 

 

 

 

 

              (苦悩の少年

 

 苦しい少年時代を送ってまいりました毎日毎日地獄の苦しみに耐えてきました人知れず苦しんできました自分ほど不幸な少年はいないと信じていました

 毎日の学校が苦痛でたまりませんでした学校さえなかったらといつも思っておりました毎朝毎朝学校へ行きたくないので寝坊ばっかりしていました怠け者だから寝坊するのではありません苦しいから寝坊するのでした

 まだ小さかった頃は学校行きたくなくてダダをこねるのでした大きくなった頃学校行きたくなくて寝床の中で布団を噛んで声をたてずに泣いたこともありました

    (途中逸損

 幼な心にも地獄を感じておりました人生の非情さを感得しておりましたしかし人の心だけは信じてきました僕は盲目的なほど人の心を信じてきました僕の周囲の人たちはみんな良い人ばかりでした

                       (未完

                        二月二十三日記

 

 

 

 

 小さい頃苦しんでいた時僕には宗教しかなかっただから僕は自分から勤行をするようになった僕が小学年のときだった

 通信簿の全体の成績がその頃はからまでの段階評価だったいっぺんにあがった。2、3、4にというふうに科目か科目あったうちつ上がった

 僕は学校で鼻の病気のことでとても苦しんでいたし家でもその頃貧乏で夫婦喧嘩が絶えなく苦しんでいた僕に心休まる暇はなかった

 

 

 

 

 

星子の夢

 海が燃えているみたいカメ太郎さん海が燃えているみたい

 車椅子の星子はそうしてカメ太郎さんを見上げました強い浜風がカメ太郎さんの髪をなびかせていました星子の髪も強い浜風になびいていましたもう寒くなくなってきて少し熱気を帯びた浜風に変わっていました

カメ太郎さん何故星子たち生きてるの何故星子たちこうして生きてるのカメ太郎さん星子たちこんなに苦しんでまで

 昨夜のことを星子は再びカメ太郎さんに尋ねていましたカメ太郎さんちょっと困ったような表情をして星子を見下ろしていましたそうしてカメ太郎さんの目とっても悲しそうでした今までの苦しかったカメ太郎さんの一日一日がその瞳の中に刻まれているようでとってもとっても悲しそうな目でした

 潮風がますます強く吹いて星子とカメ太郎さんの髪を炎のようになびかせていましたそして海は沖の方に白い波が立ってまるで海が燃えているようでした星子とカメ太郎さんの今までの苦しかった悲しい過去を忘れさせるように海が今燃え上がっているようでした悲しく悲しく燃え上がっているようでした

 

 

 

 

カメ太郎さん頑張ってね勉強本当に頑張ってね

  高校を辞めることを思っていた僕の耳にはその言葉も虚しくしか聞こえなかったしかしこんなにまで僕のことを思ってくれている星子さんのことを思うとやはり僕は頑張るしか他に方法はないようだった

 もう高校を辞めようと思っていた僕の耳にその声は悲しくそしてあまりにも辛く届いた

カメ太郎さん病気で苦しんでいる人たちのために生きてカメ太郎さん病気で苦しんでいる人たちのために生きて

ああ僕も今日そう思っている僕と同じような病気で苦しんでいる人たちのために自分を犠牲にして生き抜くべきだと僕はこの頃毎日毎日高校を辞めることを考えているそんな僕だけど僕と同じような病気の人はたくさんいるのだから自分の苦しさに負けずに生き抜くべきだと自分は自分と同じような病気で苦しんでいる不幸な人たちのために傲慢な思いかもしれないけれど僕は今そう思っているその人たちのためただそれだけに自分は生き抜くべきだとそう思っている

 

 

 

 

 

星子さん』 

 寒い寒い県立図書館の片隅で星子さんが勉強していた僕の座っている向こうの方の壁の前の席に星子さんは座っていたもう時過ぎで外はまっ暗だったそして今日は雪が今にも降り出しそうに寒かった

 星子さん寒そうだった僕も寒かった図書館の中にはあまり人は居なくてそうしてイチョウの木の向こうに白いぼたん雪を見たようにも思った。    

 厚い靴下を履いてくれば良かったのだけど急いでいて持ってきてなかった寒かったけど僕は一生懸命勉強していたし星子さんも僕の帰るまで勉強するようだった

僕はこの日学校を休んで図書館で勉強していた

  白いぼたん雪は星子さんの涙のようだった

  いつも閉館まで勉強している僕だから閉館まで星子さんは僕を待っていてくれるようだった

 寒い寒い図書館の中で星子さんは赤いマフラにくるまって寒さに震えながら僕を待ってくれているようだった

カメ太郎さん勉強頑張ってね星子さん図書館が閉まるまで待ってるから星子さんもそれまで勉強しているからカメ太郎さん勉強頑張ってね

 僕が立ち上がったとき星子さんも立ち上がったでも僕はそそくさと本やノトを鞄に入れて立ち去っていった星子さんを置いて雪の降る戸外へと走るように出ていった

 僕は逃げるように走っていった星子さんが後を追って来るのじゃないかと雪の降る中をバス停まで逃げるように走っていった

 僕は走った星子さんと喋るのが恐かった星子さんとまだ喋ったことはなかった僕は幻滅されることが何よりも恐かった

 雪の中を僕は走った星子さんが僕と喋って幻滅することがそして笑われることが僕はとても恐かった

寂しかった寂しかったからなのよだから星子さん現れ出てきたのよ寂しかったのよカメ太郎さん

 寂しかったからなの寂し過ぎたからなのカメ太郎さんの勉強の邪魔になると思ったけど星子さん寂しかったからなの

 寂しかったから星子さんカメ太郎さんの前に現れてきたの早く行かないとバスに遅れてしまうでしょ星子さん歩けるから駆けることもできるからカメ太郎さん立ち止まらないで早くバス停へ向かって

 僕は県立図書館の閉館の50分まで一生懸命勉強して今諏訪神社前のバス停へと向かっていた粉雪が舞っていた粉雪がまっ黒い夜空から舞い降りてきていたとても不思議な光景だった

 冷たい夜の闇に星子さんが立って僕を見守ってくれていた寒くて寒くて雪が舞っているのに星子さんはバス停へと駆ける僕を見守ってくれていた

 

 

 

 

 

幸せになりたいのカメ太郎さん星子幸せになりたいの

 海の底から星子さんが囁いた冷たい冷たい冬の海の底から星子さんがそう囁いた

そのためには題目を唱えなくっちゃ題目を唱えなくっちゃ南無妙法蓮華経と題目を唱えなくっちゃ

 僕は冬の海に寒さに震える星子さんにそう言ったでも寒さは厳しくて星子さんが題目を唱え始めても寒さはだんだんと強くなるばかりだった

 

 図書館に居ても波の音が聞こえてくる悲しいゴロの駆けてくる姿と車椅子の上で僕を見つめている星子さんの姿が波の音と一緒に思い出されてくる

 

 もう僕の頭は疲れきっているでも星子さんの頭もゴロの頭も全然疲れきってないただ僕の頭だけがものすごくものすごく疲れきっている

 

 あっ海辺で星子さんが歌っている

 僕はさっと窓を開けた外は凍てつくような寒さだったでもたしかに聞こえた星子さんの歌声が僕の耳元まで遠いペロポネソスの浜辺から聞こえてきていたようだった

 闇が辺りを支配していて夜の12時だった星子さんが海辺に出て歌を歌っていることなんて、(こんな寒いとても寒い夜なのにある訳がないのに

 でも耳を澄ませば凍てつく夜気を突くようにして浜辺の波音が僕の耳に届いていた海辺から300mも離れているのに波のせせらぎの音が僕の耳に聞こえてくるはずはなかったでも僕は聞いた久しく行ってないあの浜辺の波の音が一人ぼっちの孤独と勉強に疲れきった僕の耳に聞こえてきていた

 でも何故星子さんが今頃それにゴロと一緒に僕を呼んでいるなんて僕はとても訝しかった。 

 

 浜辺の裏の森の杪も昔と少しも変わっていない僕が見た幻もそして僕も僕らが始めてペロポネソスの浜辺で出会ったときとちっとも変わっていない僕らはちっとも変わっていない

 明日の朝もう星子さんは居ないかもしれないわもう死んでしまっているのかもしれないわ布団の上で星子さん安らかに息を止めてしまっているのかもしれないわ

 二ヶ月も返事を出してなかった僕に今日星子さんはクルマの中から手を出して僕の名を呼んだでも僕は喋りきれないから喋ると幻滅されてしまうのが怖かったから僕は星子さんを無視して諏訪神社の坂道を星子さんに気づかなかったようにして歩いていった

 

 あの諏訪神社の横のあの急なアスファルトの坂道で星子さんはお父さんと待っていた星子さんのお父さんは神社の方向を見ていた坂道を降りてきた僕にすぐ気づいた星子さんは悲しげに僕を見つめてその小さなか弱い手を振った僕は気づかない振りして友人と喋りながらそうしてそのまま星子さんのお父さんのクルマの横を通り過ぎて行った

 

カメ太郎さん生きてねこれからは明るく生きてね早く可愛い女の子を見つけてそして幸せになってねカメ太郎さんこれからはきっと幸せになってね

カメ太郎さんきっと幸せになってねカメ太郎さんのお父さんやお母さんのためにも幸せになってね明るくなってね

 

ペロポネソスの浜辺にてゴロと

 遠くに小さな星が見えるだろ小さな小さな星が見えるだろ天草か阿蘇の方に見えるだろ僕が生まれた加津佐のてっぺんの方に僕がつまで育った加津佐のてっぺんの方に小さな小さな星が見えるだろとても哀しげな星が見えるだろ

 

カメ太郎さん帰ってきて星子の処へ帰ってきてお願い』 

 僕はハッとして顔を上げた夜の時だった僕はついヶ月余りも星子さんに手紙を出していないことを思い出した勉強が忙しくて手紙を書いてる暇がいつも一晩中かけて書いている手紙だけど惜しかったからだから手紙を書かないでいたけどごめんねでも

 

 

 

 カメ太郎さんへ

 雨がポツリポツリと降っていますこういう日曜日星子は一日じゅう家に閉じ込められているわけねテレビを見たりカメ太郎さんへのマフラを編んだり

 星子たち自殺したら木になるんですってそしてその木が枯れるまでその木にいるんですってお寺にある大きな木なんか一万年も生きてるでしょそしてよく濡れてるでしょあれ涙なのね星子ようやく解ったわ何故濡れているのかようやく解ったわ

 

 海の底から聞こえてくるの星子たちを呼んでいるの星子たち苦しんでいるから早く来なさいって呼んでいるの

 

 月夜に星子さんが立っていた勉強に疲れフラフラと歩いていた僕の道の前に立っていた両手を広げて通せんぼしていた

星子さん僕は疲れているんだ星子さんにかまってなんかいられないんだ僕は疲れているんだ星子さん通してくれ

 僕は心の中でそう呟いた星子さんは言った

カメ太郎さん、星子、ゴロさんから聞きましたカメ太郎さんのこと全て聞きました天国に来たゴロさんから聞きました。(ゴロは泊まりに来ていた祖母に度も噛み付き保健所に送られた)』

 そう言って泣き崩れる星子さん僕は手を貸そうにも貸せないで困っていた僕は疲れていた

 

 星子何処に向かって歩いているんでしょう星子何処へ向かって歩いてるんでしょう

 星子以前よく行っていた浜辺へも行かないで桟橋の方へ来ましたこれからカメ太郎さんの家の近くへ行こうかなそしてカメ太郎さんを驚かせようかなでもカメ太郎さんの家坂の上にあるし

 星子坂の下でカメ太郎さんの家を見上げて泣いてましたなあに小鳥さん星子の車椅子に泊りに来るなんて星子怖くない小鳥さん星子怖くない

 孤独の風がスッと吹いてきたわ。4月なのに月みたいな風だわ

 僕はその日県立図書館も休みで一日じゅう家にいたお昼過ぎ昼ごはんをいつもの目玉焼きコと白御飯だったけど食べた後僕は何気なく自分の部屋の窓から海の見える景色を見渡したあっすると坂の下に銀色に輝く車椅子があって乗っているのは星子さんだそしてこっちを見ている

 僕はとっさに身を隠しテンの隙間からわずかに目だけを出して星子さんの方を覗いた幸運にも気づかれなかったようだスズメの囀りと月の太陽が粲々とこんな僕を照らしていたっけ

 僕は海を見ようと思って窓を開けたするとそこには海でなくて星子さんがいた銀色に輝く車椅子に乗って星子さんが海の精のように電信柱の横にいたそして車椅子を楽しそうに前後に揺すって動いていた

 あっあれは銀色の戦車に乗ったポセイドン僕の魂を縛りつけるポセイドン海の方からやって来たポセイドン

 僕の家にまで来るなんて出られないじゃないか土曜日なのに何処にも出られないじゃないか

 僕には僕の家の前の坂の下に待っている星子さんが楽しそうに幸せそうに明るくなんとなく微笑んだように頬を春のそよ風に気持ちよく吹かれながら佇んでいる光景を何処かで見たような気がしたもうずっと行っていない星子さんの家の近くの星子さんがよく夕暮れどきに行っていたあの浜辺でのシンだなと僕は気づいた

 僕の家の前の坂の下に待っているあどけない星子さんの姿は喉の病気や言語障害を忘れさせて何もかも打ち捨てて星子さんのもとへ走ってゆきたい気持ちに僕をらせた何もかも打ち捨てて星子さんのもとへ走って行こうかな! とても天気の良い土曜日だから

 

 

 

 

 

 

 

   (星子お化粧ばかりしています

 

 星子は悲しいカメ太郎さんの愛人です

 小さなマンションに囲われているカメ太郎さんの愛人です

 カメ太郎さん週に一回か二回星子の処にやってきます

 そして星子を抱いて帰っていきます

 

 星子お化粧ばかりしています

 カメ太郎さんの奥さんとてもグラマで美人なの

 とっても色っぽくてカメ太郎さんそこに惹かれたのね

 星子には色気はないけれど

 誰からも美人って言われる顔だけがあるわ

 だから星子お化粧ばかりしています

 いつも鏡に向かいながらカメ太郎さんに抱かれることを想像しているの

 

 でもお化粧してたら涙がポツンと落ちてきて

 お化粧しても駄目な処に気がつくの

 星子には両肢とも膝から下がなくて

 それお化粧しても駄目なのね

 

 星子お化粧ばかりしています

 朝から晩までお化粧ばかりしています

 ときどき涙が落ちてきて

 そしてお化粧を最初からやり直すの

 星子お化粧ばかりしています

 

 

 

 

 

 

青い便箋に書いてある星子さんの机の引き出しから出てきた手紙

 星子は今日学校を休んでてそしてきっと今日カメ太郎さんと会うんだ、3週間も手紙をくれないカメ太郎さんにどうしたのか聞くんだ。(カメ太郎さん他に女の人ができたのねきっとそうよカメ太郎さん他に女の人ができたのに違いないわそう思って時過ぎ頃家を出てカメ太郎さんがいつもバスに乗っている水族館前のバス停まで出かけて行きましたカメ太郎さん、5時頃になったらバスから降りてくるからいま学年末テストがあってて今日で終わりだから

 カメ太郎さんこの頃手紙の量も以前よりずっと少なくなったし以前は便箋にびっしり枚くらい書いてきてたのに今は一枚か二枚だし

 星子風邪のふりして休んだのにママが出かけている隙に家を出ました後でママからどんなに叱られるかわからないけど星子もうどうなっても良いわそれにカメ太郎さんが手紙くれないからよ星子泣きそうな顔して家を出ました

カメ太郎さんのバカバカカメ太郎さんのバカバカバカ

 星子もいつかこういうふうになるときが来ることを予感していたようですカメ太郎さんからふられる日が来ることをでも本当にそんな日が来たみたい

 星子今日カメ太郎さんと会ってそしてカメ太郎さんの気持ちを確かめてカメ太郎さんの気持ちが星子の心配していた通りだったら星子帰り際に桟橋に寄って海に落ち込んで死んでしまうの。  

 星子渦に巻き込まれながら死んでしまうのそして星子くるくると渦に巻かれながらカメ太郎さぁと叫ぶの星子のその声カメ太郎さんを今苦しめている病気をますます強くするのそしてカメ太郎さん星子の死んだ後前以上に苦しむことになるの

 星子途中でママに会わないかな会ったらどうしようかなとびくびくしながら車輪を回しましたママと会ったらどうしよう泣きかぶって許して貰おうかな

 星子、2ヶ月ほどまえ創立記念日のとき同じように時頃家を出て水族館前のバス停まで行ってそこでカメ太郎さんを少しだけだったけど見たことを思い出してなんとなく心がうきうきしてきましたおかしいわねこのまえと違って今日は悲しいはずなのにおかしいわね

 でもやっぱり半分も来ないうちに悲しくなってきたわ手が痺れてきて何故こんなに苦しまなくてはいけないの手がとてもきつくて怠いわ

  カメ太郎さんあんまりよ

  カメ太郎さんあんまりよ

 星子は空に向かってそう呟いたわ青い空がそんな星子を見て笑ってたみたい

 カメ太郎さんのバカカメ太郎さんのバカ

 すると涙がでてきました青い空が海のように揺れたわ涙が星子の耳の後ろに落ちたみたい

 星子泣きながら道を進んでたら道端に紫色をした小さな可愛い花があるのに目がつきました岩や雑草の間に一人ぼっちで咲いていてまるで星子みたいでも可愛い

 それは小さな菫の花のようでした星子近寄って屈み込んでそれを手に取りました鼻につけるととても良い香りがしました

 星子カメ太郎さんと手を取り合って野原を走ってましたカメ太郎さん王子さまのように素敵でちっちゃな星子とっても幸せ。 

 (この日星子はカメ太郎と会えなかったのであるカメ太郎はこの日時まで県立図書館で勉強していたのであった星子は時間も待って時頃家路に就いたこの日星子はもう少しで網場の桟橋から身投げをする処であった家路に就く星子の目には涙が滲んでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星子さんへ

 僕らのあの思い出の浜辺も僕はもうあんまり行かなくなりました星子さんの家や微かに見える浜辺を僕の部屋からときどき眺めるだけですもしも僕が白い鳩になってあの浜辺に久しぶりに飛んでゆけたらどんなに良いだろうなと思ってしまいます

 ペロポネソスの浜辺はもうウニ採りも終わったし中学生たちがかつての僕らのようにサザエ取りなどに励む季節に近づこうとしています

 もう一生懸命勉強しなければいけない季節になってきました

 

 

 星子さんの真心は僕には伝わらなかった僕は練習に疲れ果て星子さんに手紙を書くゆとりがなかった

 自分は何も知らなかった星子さんのことも世の中のことも僕はあの頃何も知らなかった

 

 

 星子さんなのでしょうか中学生ぐらいの色の白い女の子がさっきから川原で盛んに石を積み上げては倒しそして泣きながら再び積み上げては倒していました星子さんなのでしょういや絶対に星子さんだ

 川原の石を積み上げては倒し積み上げては倒しを繰り返していましたもう何年そうしているのでしょう僕には何十年にもいや何百年にも思えます

 星子さんいつまでそういうことを続けているつもりなんだろう

 僕には後何十年もいや何百年もそういうことを続けてゆくように思えて哀しくて涙ぐんでしまいました

 

カメ太郎の日記帳より抜粋手紙の下書きだろう

 星子さん憶えてますか? 僕らが文通を始めるきっかけとなったあの浜辺のこと星子さんこの頃全然そこに出ていませんねでも僕昨日そこまで走ってきましたそこで僕緑色の不思議な石を見つけましたちょうど星子さんの車輪が嵌り込んで動けなくなった処でですそれとっても不思議な石で

 もう遠い過去のことのように思う波の音も変わってしまったように思う星子さんが車椅子で海を見つめている幻影を僕はゴロと一緒に見つめているみたいだもう遠くなってしまった過去のことのような気がする

 僕には遠い道が続いている夕暮れの浜辺から僕の家までよりもずっとずっと長い道が年月が続いている僕はそれを一人ぼっちで耐えながら歩いていかなければならないのだと思う僕は一人ぼっちで誰も友達もなくてその道を少なくとも大学を卒業するまで歩かなければいけないのだと思うものすごく寂しくてただゴロしかいなくてそしてときどきとても不安になって叫び出したくなるようになる

 寂しく昨夜と同じように窓辺から夜空を眺めたときカシオペアとオリオン座が輝いているのが僕の目に止まったもう夜の時半だった勤行を終わって勉強をし始めているときだったとても悲しくなって僕は思わず窓を開けて海を見た

 いつ頃からだろう僕がカシオペアや北極星を見なくなったのはあれはたしか勉強が忙しくなった高一の終わりぐらいだったと思うオリオン座も見なくなったし僕は毎晩時まで県立図書館で勉強し始めていた毎晩時まで県立図書館で勉強していたけれど僕の心にはもう夜空を見る余裕はなかった焦りと悔しさだけしか僕にはなかったでも帰りのバス停で南の空のオリオン座を何度も何度も見た寂しく一人バスを待ちながら僕は北極星やカシオペアは見えなかったけど南の方にあるオリオン座だけは見ていた夜の時頃バスを諏訪神社のバス停で待ちながら僕は唇を噛みしめながら見ていた

 もう春になろうとしている夜空を僕は自分の部屋から眺めているカシオペアがあってあれが北極星でそうしてあれがオリオン座で僕は久しぶりに夜空を眺めた窓辺に座りながら僕はとても懐かしかった

 小学校や中学時代僕はよく夜空を見ていたでも高校に入って僕はほとんど夜空を見なくなった南十字星はどれなのかなと捜していたあの頃の僕はとても素直だったあの中学時代の純粋だった僕は今はもう勉強に追いたてられて星を見る間もない僕の胸の中は焦りと悔しさで一杯だ僕の胸は今にも爆発しそうだ喉の病気のことなどで)。

 

 今日は学校でもないのに朝早くから小学校まで来ましたブランコが早朝の小雨に濡れて光って微かに揺れていましたスズメはもう元気に起き出して餌をついばんでいました

 今朝は眠れなくて時間半ぐらいしか眠っていません春休みで生活の時間帯がずっと遅れがちになってしまったし明後日から補習だから早起きに慣れようと思っていつもなら昨日までなら昼近くまで寝ていたのに今日は思い切って飛び起きてきました

 ブランコの上でこれを書いています家を出るときは微かに降っていた雨も今は止んでいます今朝は悪い夢を見て気分は沈みがちです

 バッグに勉強道具を入れてきてさっきまで少し勉強してましたけど昨夜よく眠れなかったこともあって頭がボとしてこれを書いています桜は満開ですけど僕の心は重く沈みがちです

 星子さんの顔はこの白い桜の花びらのようでそんな星子さんと喋れない自分の病気のことが腹立たしくてたまりません

 きっと僕は立派な医者になって僕らをこんなに苦しめた病気のことで苦しんでいる人たちのためになるんだと思っています

 

 

 

 

 星子さんへ

 勉強に疲れきったとき僕は西の方の空を見上げますそして楽しかった文通のことを思い出して泣き出してしまいそうになります

 僕らが育った日見は本当に自然がいっぱいで山があったし海があったし公園もたくさんありました僕が小学生の頃は空き地がいっぱいででも今はもうほとんど空き地がないくらい家が建ってしまいました僕の小さい頃は僕よりも背の高い草が空き地を覆っていて僕はよくその間の近道を通って学校へ行ったり家に帰ったりしていたものでした

 僕らの懐かしい思い出はただ僕らの記憶の中だけに蔵い込まれているんですね

 

 

 

 

 海の底から聞こえてくるの星子たちを呼んでいるの星子たち苦しんでいるからだから早く来なさい早く来なさいって星子を呼んでいるのカメ太郎さんを呼ばなくって星子を呼んでいるの

 海の精が呼んでいるわ。『早く来なさい早く来なさいって海の精が呼んでいるわ

 パパの愛ママの愛星子それを思うと泣けてくるの今まで苦労して育ててくれたパパとママと

 涙が流れてくるの自然と流れてくるのもう駄目だわ星子もう駄目だわ

 

 

 

 僕らを覆っていた魔の勢力は強くて僕も挫けがちになったことが幾度もあったでも僕は信仰の力でその危機を幾度も乗り越えてきた夜の時まで祈っていた時が何度あっただろう僕はそのために喉の病気になったのかもしれないでも僕は少しも後悔していないこうなったのは僕の宿業の故だと思うしこの喉の病気になったために星子さんとの純粋な恋を続けてこられたのだし少しも後悔していない

 僕は中学の頃は星子さんの幸せを毎日一生懸命御本尊さまに祈ってきたでも僕は高校に入ってからはクラブも勉強も忙しくて星子さんのことをあまり祈らないようになってきたそして高一の12月頃から僕のような病気で苦しんでいる人たちのために医者になるんだと思ってそれからひたすらに勉強するようになっていた星子さんとの文通が煩わしく思えていたほどだった

 僕は星子さんのことを御本尊さまの前であまり祈らないように変わっている僕は星子さんのことよりも自分の成績が上昇することばかりを祈るようになっている

 僕はクラブも辞めたし年生になって一年の頃とても僕を苦しめた現国の先生から習わないようになったし理系の大人しい静かなクラスになって僕にひとときの幸福な季節が訪れている

 

 青い海の底にコバルトブルの海の底に綺麗な楽園があってきっとゴロと星子さんはそこで遊んでいるんだろうでも僕は生きていてまだ苦しんでいるこの高二から高三になる春休み僕は毎日図書館に勉強に通いながら僕は思っている楽しい世界は一年後に僕の前に開かれるのだろうか幸せって何だろう自由って何だろう

 僕は県立図書館へ向かう緩やかな坂道を登りながら自分の生きている存在感や価値そうしてもう春になろうとしているのに寒い日々恵まれている者は恵まれているままでそうして不幸な人たちは不幸なままでその矛盾に僕は憤りを覚えながらも人の運命というもの宿命というものを深く深く帰りのバスの中で考えた

 人間って何のために生きているのだろうそれにゴロなんかの動物や昆虫など生きるって何なのだろうそうして苦しむことって僕らが努力したり苦労したりすることがいったい何になるのだろうかって僕は悩みました

 

 僕も幸せになりたいでも僕には使命がある僕と同じ病気で苦しんでいる人たちを救わなければならないし僕もこの世で幸せな家庭を築きたい僕はもっと生きて少なくとも50歳までは生きて幸せになりたい小さい頃の不幸せを埋めていきたい長く生きて幸せを僕は取り戻したい

 海の底の綺麗な魚たちが僕を呼んでいるけど僕はこの世で限界まで長く生きてそうしてこの世の勝利者にならなければならないこの世の勝利者になって幸せになって大きな家や幸せな家庭を築き上げるまで僕は死なない僕が死ぬときは35年はかかるだろう僕はきっと幸せになって竜宮城へ行こう後何十年先になるか僕には少しも解らないけど

 

 

夢の中で

ゴロとペロポネソスの浜辺にて   

 星子さんの苦しさを僕は解らない星子さんも僕の苦しさがあまりよく解らないとよく手紙に書いてきている僕らはお互いに苦しみがよく解らないでいる今でも星子さんよりも僕の方がずっと苦しんでいるものとばかり思っている

 星子さんは僕に年間希望と喜びを与えてきてくれている僕も必死になって星子さんに希望と喜びを与えてきたつもりだでも僕の心の緊張が緩んだ頃星子さんの心も悪魔に支配されてきていた馬鹿な僕は勉強に没頭し星子さんに手紙を書くのも止めていた

 

 

 とても強いカメ太郎さんでしたでも星子はこうして宿命に負けて死んでゆきます星子にもカメ太郎さんのような芯の強さがあれば良いのですけど星子にはそんなカメ太郎さんのような強さがありませんでした

 ごめんなさいカメ太郎さんカメ太郎さんを裏切るように死んでゆくことお許し下さい星子もう耐えきれませんでした星子カメ太郎さんのような芯の強さがなかったのです

 

 

 僕は決して星子さんの言うように強くはなかったでも僕には御本尊さまがあった僕はだからどのような苦しみにも耐えきれたのだと思う信仰が僕の心の支えになっていた

 

 

 星子さんは悲しみの中で白い鳩になって旅立っていった僕にさよならを言いながら僕らの思い出のペロポネソスの浜辺から白い鳩になって悲しく悲しく旅立っていった

 

 

 ペロポネソスの浜辺に来るときに道端で取ってきた白い野菊を一輪植え付けたその花は星子さんのように白くてとても美しかった少しも汚れてなくて純粋な星子さんの心のようだった星子さんの心のように汚れのない白い白い花だった

 

 

夢の中で

 寒い丘の上に少女が身を震わせながら立っていた星子さんだった

星子さん寒いのに寒いのに何故そんな処にいるんだい?』

 僕は夏に見た星子さんのあの哀しげな姿しか見てなかったので僕は久しぶりに星子さんを見た

 寒い丘の上で星子さんは風に吹かれて寒さに震えていた

カメ太郎さんカメ太郎さん

 星子さんの言葉はあきらめにも悲しみにも似ていた

 

 僕は泣き声一つたてないで苦しみに耐えている星子さんのことを思って涙ぐんだ可哀そうな星子さん苦しくて辛くて寂しくて堪らないのだろうに泣き声一つたてずに堪えている星子さん

 

 

 

 

 

 

 遠い海の向こうに消えていこうとしている僕らの思い出は雲仙岳を望む遠い景色とともに春の訪れとともに消えてゆこうとしているような気がするそして僕はこれから大学入試へ向けて一生懸命に勉強に頑張らなければいけないような気がする浜辺に打ち寄せる波も以前と全然違わないけど

 僕らが文通を始めた中一の夏そして中二中三高一と続いた僕らの文通あの頃は楽しかった苦しいこともたくさんたくさんあって僕はだから一生懸命お題目を上げてきたけれどあの頃は楽しかった星子さんも僕は星子さんのためを思って毎日祈ってきた一日三十分ぐらい星子さんのためだけを思ってもっともっと祈ってきたようにも思う

 僕らは誰からも愛されなくなったとき死ぬのだと思うでも星子さんはたくさんの人から愛されてきたじゃないかみんなから大切にされて大事にされているじゃないか

 

 

 

        (夢の中で

       (星子  天国より

 カメ太郎さん頑張っていますか星子海の中に居ます勉強頑張って下さいそうしてきっときっと医学部に入って下さいそうしてたくさんたくさんカメ太郎さんや星子のように病気で苦しんでいる人たちを救っていって下さいカメ太郎さんならきっとすばらしいお医者さんになると思いますとっても思い遣りがあって、とっても優しいカメ太郎さんだからきっときっとたくさんの人たちを救っていってくださると思います

 星子もう手紙でカメ太郎さんを励ましてやることもできなくなりましたでもカメ太郎さんはきっと大丈夫でしょカメ太郎さん本当に頑張ってね勉強に本当に頑張ってね

 

               

 

 

 カメ太郎さんへ

 カメ太郎さんこれが星子の最後の手紙になるのかもしれませんカメ太郎さんが人生のピンチを切り抜けられた後今度は星子が人生の岐路に立たされたみたいカメ太郎さんは中二の頃にもそういうことがあってそれも切り抜けられてきた強い強い人でしたけど星子は星子は弱い人間なのでしょうねそれとも星子は苦しんだり悩んだりしているふりをしていながら実際は少しもカメ太郎さんのように苦しんでいなかったのかもしれません

 カメ太郎さん星子は本当は弱い人間だったのですねそれとも女の子だから女の子だから弱いのかな

                      四月二十六日

                                 

 

 

 

 星子さんも苦しんできたのかもしれないでも僕ももっとたぶん星子さんよりももっと苦しんできた星子さんはみんなから同情されていつも星子さんの家の近くの同級生の女の子たちと楽しそうに帰っていたでも僕は一人だった僕の苦しさを誰も分かってくれなかった

 僕は泣きたくなったときいつも仏壇の前で一時間も二時間も勤行唱題をした不思議と力が沸き上がってきて元気が出てきていた僕は星子さんにもっと創価学会の信心を勧めるべきなのかもしれない星子さんは神はいないと言っているしそのくせときどき日曜日には教会へ行っている星子さんは親の勧めるままにキリスト教を信じようとしているのかもしれない

 僕はただ大学入試に向けて一生懸命勉強することしか僕には毎日学校帰りに県立図書館で閉館まで勉強することしかできないまた一生懸命勉強することが僕の心の安らぎになっている

 僕は星子さんのことをうるさく思ってきていたのかもしれないまた僕の心から星子さんの姿は消えつつあった星子さんの姿は僕に罪の意識とそして良心の呵責と海辺の星子さんの悲しげな表情が僕の瞼に焼き付いていて離れなかった僕は星子さんを捨て去ることはとてもできなかったでも僕には星子さんは僕を肉欲へと走らせることを妨げていた星子さんは僕に禁欲的な生活を強いてきた

 星子さんは僕には邪魔になりかけていた僕は変わりつつあった僕は以前の純粋な僕ではなくなりつつあった僕もまた他の男と同じような男だった僕は自分の胸の奥から湧いてくる欲望にどうしても耐えることができないようになりかけていた

 僕も普通の人間だったし僕も欲望に負けてしまう弱い人間だった僕は聖人にはなれなかった

 

 星子さんからの悲しい決別の手紙を僕は土曜日夕暮れの寂しげな夕陽に照らされながら読んだ僕はこれで勉強に熱中できるとも思ったまたきっと僕が医学部に上がってから手紙を書こうとも思っていたもうこれですべてを勉強に賭けられると思ったまた少し寂しくて涙が溢れてきそうにもなった

僕は今まで星子さんのことだけを考えて幼い頃から生きてきたしこれから何年間か文通を中断することになるけれどきっと僕が大学に入ったときには文通を再び始めてそうして少し経ってから会おう僕が大学に入ってからはもう文通だけでなくってちゃんと会って話をしよう大学に入ったら僕は喉の病気や言語障害の研究に身を捧げてそうして星子さんとも喋れるようになるんだきっとそうなるんだ

僕は星子さんに一ヶ月以上も手紙を書いてなかったこんなことは始めてのことだった僕は一週間に一度は夜時ぐらいまで懸かって星子さんに手紙を書いていただから僕の出す手紙はいつも厚いものになっていたでも僕は医者になろうと決めて勉強に熱中するようになってから星子さんへの手紙を書くのがとても時間が勿体ないように思えてきていたまた僕はそれほど勉強に焦っていた

 僕は僕と同じような病気で苦しんでいる人たちのため医者になろうと思って星子さんに手紙を書く時間も惜しんで勉強に打ち込み始めてきた僕は一生懸命だったもう星子さんと文通するのを止めようとさえ思っていた僕が医学部に合格するまでは星子さんと文通するのを中止しようと思っていた

 僕は星子さんが思っている以上に学校で吃りなどのために苦しんでいた一ヶ月以上も手紙を出さなかったのはそのためなんだ短い手紙でも書けば良かった便箋にたった一枚でも良いから手紙を書けば良かった

 本当に医学部に合格するまで文通をやめておこうと考えていた僕はバカだったそれにせめてその理由を書いた手紙を出すべきだったんだ

 

 悲しい訐別の手紙は月の終わりのある日僕が時頃図書館での勉強に疲れて帰ってきたときポストの中に入っていたいつもはぶ厚い星子さんの手紙が今回はとても薄っぺらかったそして僕は一ヶ月以上もまだ返事を出していないのに気づいてハッとした僕はその夜次のような詩を書いた

 

 悲しい手紙は僕を遠い昔へと連れて行った

 僕らが文通を始めるきっかけとなった年前のペロポネソスの浜辺の光景がそのときのままで思い出された

 悲しい出会いだったのかもしれないけれど

 でも僕らはそれから色とりどりの便箋や封筒の中に

 僕らだけの幸せを築いていった

 

 僕は星子さんから別れの手紙を貰った次の日朝いつものようにごはんを頬にふくらませながらバス停へと走っていながら漠然とした言いようのない不安に襲われた

 僕の今からの人生はどうなるのだろう僕の今からの人生はどう変わってゆくのだろう僕は高校年になったばかりだったし

 

 僕は休みの日寝ていて世の中が変わっていくどんどんどんどん変わっていっている小さい頃から僕の心を支配してきた星子さんの幻影が闇の中をクルクルクルクルと舞いながら何処か奥の知れない暗い処に吸い込まれていっていると気づいて僕はハッとして飛び起きた。5日の子供の日のことだった僕はいつもよりちょっと遅く時半頃目が醒めたけどそれから12時近くまで布団の中で物思いに耽ったりウツラウツラしていたそしてさっき星子さんの悲しげな姿が見えたのだったでも飛び起きた僕にはとても哀しい不安があった

 以前は窓を開けるとオレンジ色の屋根をした星子さんの家が見えていたでも今は見えない途中にビルが建って星子さんの家は隠れてしまってもう見えない

 以前は見えていたのにそうして寂しくなりがちな僕を慰めてくれていたのに

 もう僕も一人きりなんだなあという気持ちが悲しく湧いてくる僕は一人で今からは一人で生きてゆかなければならないのかと思うと寂しくて夜空を見上げながら涙が僕の頬を伝わっていこうとしている

 今からは僕は一人で生きてゆかなければならないのだろう誰にも頼らずただ自分一人で僕は自分一人で

 もしもまだ僕が星子さんと文通を続けていたならばそしてゴロと一緒に星子さんの車椅子を押して上げて僕らは今頃とても楽しい夕暮れを迎えることができただろうでも今僕の目に映るのは寂しいもう暮れかかった夕暮れの海だ僕の周りには誰も居ないし

 星子さんに手紙を出さなかった、4月のときに……ああこれは14日に書いたことになっている僕は星子さんに手紙を書いたでも僕は出さなかった手紙が短かったし

 14 PM11:35と最後に書かれたこの手紙はたった枚の手紙だけれども僕のあの頃の苦しい心境を書き綴っていてとても星子さんに見せるのもはばかられるほどだった

 僕はすぐに医者に診せて喉の病気を治していたらそうしたら僕も星子さんと楽しい少年少女時代を送れていたと思う

 星子さんとこの浜辺を歩いてゆく後ろ姿が見えている辺りはうす暗くて僕と星子さんしかいなくて僕も星子さんも全然口をきかないでいる

 僕は星子さんに手紙を書かずに遊んでいたのではなかったのかたしかに一生懸命勉強もしていたけど魚釣りに行ったりタコ太郎と遊びに行ったりして遊んでいた星子さんに手紙を書く暇は充分あったはずだった

 僕からの手紙の来ない間星子さんは寂しかったのかもしれないでも僕も寂しかった勉強に追われ心に何の余裕も持てなかったその頃僕の胸の中は勉強とその疲れによる寂しさだけしかなかった

 僕は星子さんのことをほとんど忘れ去っていたようだったたしか一度手紙を書いたけど出さずに机にしまい込んでいた星子さんのことを忘れようという衝動が僕の胸の中で働いていたのかもしれない

 星子さんの方が良いと僕はずっと言ってきた苦しさを理解してもらえる星子さんの方がずっと良いと僕は言ってきたでもそれは僕の一人よがりだったんだと今ようやく気づいた

  星子さんがカメ太郎さんがきっと医学部に受かりますようにと書いた七夕の紙が僕の机の中にある星子さんが綺麗な紙に習字で書いてくれたその紙を僕はいつまでも持っているつもりだこの言葉を心の支えにして僕は勉強してゆくつもりだ

 

 

 

 もう眩しい朝日が照りつけているのにもうこれからの日々は星子さんの居ない今までとちがう日々になるのかと思って僕は泣けてきていた

 今日の朝日は今までとちがう朝日のようで僕の胸にポッカリと空洞が空いたようで僕はとても寂しくてたまらなかった

 

 

 

月のこと

星子から訣別の手紙の来た一週間後の日のことである

 その日僕は学校が終わるといつも行く県立図書館へも行かずまっすぐ家へ帰ってきた土曜日だった星子さんから訣別の手紙が来てからちょうど一週間が経っていたいつも学校帰りに県立図書館へ行っていたので月の青空の眩しさに青春を思わせるものがあったけれど失恋初めて味わった失恋に失恋とはこんなものかとため息をつき続けていた

 白痴のようになった僕の心はそれでも星子さんの住む網場の光景へと名残り惜しそうに飛んでいたそんなに悲しくはなく甘美な思い出への哀感があるだけだった

 僕は家へ帰ると目玉焼きをつくって昼食を食べた後夏目漱石のを読み始めた。2時間ぐらい読んだだろういつの間にか眠ってしまった

 電話が鳴っていたでも完全に暗くなっていてそしてまだ父と母が帰ってきていなかった電話のベルは僕の耳には虚しく消えるようにああ鳴ってるなという一個の無機的心象を起こしただけだった

 再び電話が鳴ったさっきから30秒ほどしか経ってなかったそのとき僕は何故か立ち上がったいつもなら寝たままのはずだったそして僕は立ち上がっても夢遊状態に近かった

 これは根性ではなかった不思議な力が僕に働いているようだった僕は階段を急いで下りた足元がおぼつかなくて踏みはずすにちがいないと思ったのにちゃんと降りたそして受話器を取った

あっカメ太郎さんカメ太郎さんですか星子ですこのまえは手紙でごめんなさいごめんなさいあれはウソです星子はカメ太郎さんのためにならないと思ってワザとウソを書いたのです許してくださいほんとうは星子カメ太郎さんのこと好きなんですでも怖かったし

 僕は何と言って良いか解らなかったまた喋らない方が良いと思った喋って変に思われるよりも喋らない方が良いということを僕は日頃身にしみて感じていたから僕からは空白だった

カメ太郎さんごめんなさいごめんなさい許してください

 星子さんの声は始めは明るかったが次第に泣きそうな声になっていた

ウウッ星子さんの泣き声が聞えてきた) 

 カメ太郎さんいま桟橋の前から電話しているのごめんなさい許して下さい

 僕は何か言うべきであろうかと迷ったまた言おうと思うが言葉が出てこなかった僕は激しく緊張していた震えていたほどだった口を開けても言葉が出てこなかった

カメ太郎さん駄目ですか星子家からは電話しにくかったからここまで出てきたんですけれどカメ太郎さん

ウッウッ

 僕はやっと声を発したがやはり言葉は出てこなかった冷や汗が出ていたあまりにも出てこないので僕は喋るのをあきらめかけていたこんなにも言葉が出てこないのは始めてだった

カメ太郎さん星子さん死にたいもう耐えきれません何故星子さんだけがこんなに苦しむまなくっちゃいけないの

 星子さんの声はもうほとんど叫び声に変わっていた

 電話がバタンと切れた僕はすぐに駆け出したいや星子さんの最後の叫びが発しられているときにすでに僕は星子さんの処に走っていくことに決めていた電話では僕は喋れないそれに星子さんの最後の叫びが発しられている途中で星子さんの死の決意を僕ははっきりと感じとっていた

 電話の切れる前に僕はもう走る姿勢に移っていた僕の躰は一気に走る弾丸のようになっていたもの凄いダッシュだった

 僕の耳にはこの世のものとは思えない極限の苦しみのようだった星子さんの最後の言葉がまだ鼓玉していた

 

バカだ星子さんはバカだ

 僕は走っていました風のように風になっていました僕の情熱が風に変化していましたすっかり暗くなって闇になった道を運動会での100m競争のように力一杯走っていましたいつか小学校の頃学級対抗リレで走っていた僕を車椅子から手を叩いて喜んで応援してくれていたまだあどけなかった星子さんの姿が思い出されてきますあの頃からすでに年近く経っているんだねあの不思議なほどに明るかった星子さんがこうして自殺しようとしているなんておかしいな何かの間違いじゃないのかなと必死に走りながら僕は思うのでした

 

 僕は風になっていました星子さんへ星子さんのいる網場の桟橋へと僕は風になり僕はまっ暗な夜道を風として素早く移動していました誰も見えない闇の中を僕は風になって星子さんを救うため可哀想な星子さんを救うため僕のためにこんなになってしまった星子さんを救うため風になっていました

 

 大きな大きなどろどろとした鈍黒色の津波が走る僕を押し止めようとしているようでしたそれは港の方から押し寄せてくる僕を星子さんの元へ来らせまいとする怒涛のような魔力でした

 

 星子さん死んじゃいけないんだ死ぬことだけはやめなくっちゃ死ぬことだけは網場の桟橋までは1kmほどあるでしょうか僕は時半の暗くなったばかりの闇の中を必死で駆け続けていました髪を振り乱しながら

 

 走りながら僕に星子さんとのずっと以前の思い出が今鮮やかに描き出されてきていましたほとんど忘れてしまっていたことなのに何故今こうやって鮮やかに蘇み返ってきたのだろうかと僕は訝しんだ

 僕が小学年のときだったある夕方僕と星子さんが松尾商店の前の道ですれ違ったことがあったそのとき星子さんが僕に呟いたのだった何を呟いたのかはっきりと聞き取れなかったけどあれはこういうことだった

カメ太郎さん三船カメ太郎さんというのでしょう

 僕はそのときよく聞き取れず少し無視して歩いた後やっぱり気になってふっと星子さんの方を振り向いたがそのとき星子さんの車椅子は動いてなくて星子さんの背中が心無しか震えていたのが感じられた震えていなかったのかもしれなかったけど僕はなんとなくそう思えた

 それから僕は俯いて歩いていったその頃はまだ喉の病気にも罹ってなかったし喋ろうと思えば喋れたのだけど喋り方がおかしいと自分でもうすうす自覚し始めていた僕はそのまま無視して通り過ぎた車椅子の上に乗っている譬ようもなく光り輝いている美しい女の子だったけど

 そして小学年のときだった僕が海岸べりの道でタコ太郎とキャッチボルをしているときちょうど星子さんが通りかかった頬を赤らめて俯いて通り過ぎようとしている星子さんを見てタコ太郎は一瞬……

 

 ああ僕はやっぱり小さい頃から星子さんを一番好きだったし今もそうだだから今こうやって星子さんを救おうと必死に走っているんだこれは責任感じゃないんだ星子さんを好きだから星子さんを愛しているからこうして走っているんだ

 星子さんは馬鹿だ僕も苦しんできたのに君が先に死のうとするなんて星子さんは馬鹿だ星子さん星子さん

 僕は懸命に走っていました星子さんを僕より先に死なせてたまるもんか星子さんを僕より先に死なせてたまるもんか

 僕は風になっていました風となり星子さんの元へ早く着こう早く着こうと思って馬鹿だ星子さんは

 

 走りながら僕は考えたあれは一昨日のことだった僕は図書館へ行かず久しぶり早く帰ってきてゴロと散歩に行った目指すのはもちろん星子さんの家だった手紙を永いこと書いてないで日前星子さんから絶交の手紙を貰ったばかりだったこの日間僕は学校へ行くのがやっとだった家に居るときは悶々とした心も学校へ行けば何故か晴れていた

 そして一昨日僕は学校帰りに交通事故を目撃した一緒に帰っていたタコ太郎がカメ太郎可愛かとの歩いて来よると指差して何秒か経ったときのことだったその女の子が横断歩道でクルマから跳ねられたそして10mぐらいも飛んでいった

 その女の子は星子さんにそっくりだった僕は人がその女の子の方へと群がるなか僕にはそれが何かを暗示しているように思えてとても不気味だった

 そのとき小さな金属性のものが僕の方に転がって来たもうタコ太郎は女の子が飛ばされた処へと走って行っていた少し弧を描いてそれはちょうど僕の足元まで転がって来た丸いワッペンのようだった手に取ってみるとそれはカスタネットの片方だった赤いカスタネットだった

 丸い金属性の紋章の入ったワッペンが転がって来ていると思ったのは僕の間違いだったでも転がって来るときアスファルトの道の上でたしかに金属性の音をたてていたみたいだった

 僕は訝しげに僕がワッペンだと見誤ったカスタネットの千切れた一つを拾い上げた

 救急車の音と10mも先へ飛ばされた女の子の周りに集まる人々の喧騒が片手に千切れたカスタネットを持った僕を包んでいた

 

 走りながら僕は水の中に潜む星子さんの死の前の悲しい僕の名を呼ぶ声が聞えてきたように思った喋れなかった僕遂に一言も出て来なかった吃りの僕僕はその悔しさを走り続ける根性へと変えていた今にも倒れ込みそうで道端の青い草群にどっと身を投げ出したい衝動を何度も感じた

 でも僕は走り続けた闇が走り続ける僕を覆い尽くそうとしている僕は何度も立ち止まろうとしたでも僕は空を見上げながら走り続けたすると黒い夜空に流れ星が星子さんの涙みたいに流れたのを見たああ星子さん死んだのかな

 

 その星は星子さんの涙のようで天空を桟橋の方へと落ちていった星子さん星子さん僕は何度も躰じゅうに力を込めて躰の中からそう叫んだ星子さん星子さん

 僕の躰は熱気になり一気に星子さんの待つ桟橋へと飛んでゆけたらと思った

 

 僕は走りながら星子さんとの電話を思い出していた

カメ太郎さん星子をからかっていたのですか? カメ太郎さん?』

 僕は星子さんのその言葉に一瞬自分の心を疑ったもしかしたら僕は星子さんをからかっていたのかもしれなかったいや少なくとも僕は星子さんを自分の慰みものにしていたような気がして僕は暗然とした心持ちになった

カメ太郎さん本当のことを言ってカメ太郎さん本当は星子をもて遊んでいらしただけなのね? 星子ちゃんと解っているわ!』

 悪魔が星子さんの心に忍び込んでそう思わせているんだと僕は思った

カメ太郎さん何故何故なの? 何故星子だけがこんなに苦しまなくっちゃならないの?』

 僕は何も答えられなかった受話器から聞こえてくるその声に僕は絶句したままだった僕は毎日星子さんの幸せを祈ってきた少なくとも星子さんはこの年間は幸せだったはずだった却ってこっちの方が励まされていたくらいだった魔が星子さんの心に忍び寄り星子さんの魂まで黒く塗り潰され始めてきていたようだった

 

 星子さん死んでだけはいけないんだ死んでだけは僕たちは何のためにこうして今まで励まし合ってきたんだ星子さん死んでだけはいけないんだ生きなくっちゃ僕らはお互い辛い障害を持って幼ない頃から生きてきたけど僕らはその分他の人たちよりも一生懸命になって元気に生きなくっちゃいけないんだ僕らは本当に生きるのが辛くて毎日毎日死んだ方が良いと思ったりしてきたけどでも僕らは辛いからこそ負けないで歯を食い縛って生きてゆかなければいけないそれに僕らは今まで何のために生きてきたんだいそれにこれまで育ててきてくれた両親に対してどうするんだい

 僕は泣いていました僕はこの頃自分のことしかあまり考えないようになってそれに勉強が忙しくもあったので星子さんのことを放ったらかしにしていたことをとても悔んでいました

 僕は自分のことだけを考える人間にいつか堕落してしまっていたのです

 

 闇の中をひた走りながら星子さんとの年間の楽しかった文通のことを思い出していた僕たちは手紙でだけ結ばれていたけれど……

 

 石に跌づいて転んだ僕はやがて肘から血を流しながら立ち上がったまっ暗な闇の中に星子さんが待っている網場の桟橋の光景が僕の目には見えていたきっと星子さんは僕が来るのを待っていて海の中に飛び込むのをためらっているのだろうと思った僕が走ってくるのを僕が走ってくるのをきっと僕が来る方を眺めながら見つめているのだろうと思った

 僕のジパンは膝の処が赤黒く染まりそこに泥が付いていた肘にも泥と砂が付いていた僕は星子さんがきっとまだ海のなかに飛び込んでなくて僕が走って来る方を眺めていると信じていた

 きっと星子さんは僕を待っているからだから僕は転んで血が出てとても痛くても走らなければならなかった星子さんは悲しそうな表情で僕が来るのを待っているようだった僕が来ないかもしれないと悲しみながらも

 桟橋の停留所の薄暗い街灯の下で僕が走ってくる方を寂しげに眺めている星子さんの姿を思って僕は泣きそうだっただから僕は懸命に走った悲しげに僕の方を見つめている星子さんのことを思うと僕は痛みや苦しさに負けずに走らなければならなかった

 星子さん僕はこれじゃ駄目だこれじゃ駄目だといつも思ってきたでもどうしようもなかったんだどう努力しようにもどうしようもなかったんだ

 僕は最後の努力を星子さんを救うために必死に桟橋へ向かって走り続けていました僕の今の苦しさは僕が小さい頃から受けてきた地獄のような日々の苦しさを凝縮したかのような苦しさでした僕は僕の腹綿が飛び出る程の苦しみを味わっていました

 死んじゃいけないんだ星子さん死んでだけはいけないんだ僕も今までどれだけ吃りなどのため苦しんできただろうでも僕は死ななかったしへこたれなかった少なくとも親には元気なような顔をして見せてきた死ぬことだけは死ぬことだけは負けなんだ自分の人生に自分に負けることなんだそして僕らが苦しみを背負って生れてきた価値が全く無くなるじゃないか

 僕らは苦しい宿命を持って生まれてきたからこそ他の人たちよりも明るく逞しく生きなくっちゃいけないんだまたそのことが他の普通の人たちの励しにもなるんだ

 僕は夜の闇を太古の世の中からの闇を破るような勢いで走っていました僕はものすごく速くそして一生懸命に走っていました僕や星子さんを小さい頃からもの心がついた頃から覆ってきた暗い不幸な運命を吹き払うように僕は走っていました

 僕の頭に僕らは何のために僕や星子さんのような不幸せな人は何故生まれてきたんだ?』という激しい疑問が湧いてきていました。『僕らは何故生まれてきたんだ? 人は何故生まれてくるんだ? この世は何なんだ? 生きるって何なんだ?』

 僕の葛藤は激しく今にも走りながら気が狂いそうになっていました

 僕らは暗い宿命を持って生れてきたでも僕らはそのために二人だけの二人だけのだったけど幸せな恋を育むことができたもしも僕らが五体満足な体だったなら僕らは欲情だけの欲情だけの虚しい恋しかできなかったに違いない

 星子さん身を投げちゃ駄目だ

 僕には今にも桟橋の欄干から身を投げようとしている星子さんの姿を苦しい息の中に垣間見ることができていました桟橋はまっ暗で静かに波が打ち寄せているだけです

星子さんを死なせてなるものか星子さんを死なせたら僕は……

 僕はいつもいく垂水床屋の前を通り過ぎていました僕は懸命に走っていましたでも胸元から込み上げてくる何かを僕は感じ取りましたそのとき僕にはそれが何か解りませんでした

 僕と星子さんは手紙の中で青春を作ってきた迫りくる暗闇夜光灯が無くて足元がよく見えない道を僕は懸命になって走っていた川に架かっている橋神社の岡僕はただ闇の中をやみくもに走っていた足元に注意する余裕なんてなかった

 早く桟橋へ着かなければ星子さんが死んでしまうと思って僕はもう息ができないようになりながらも走った喉の奥に何かが詰まっていてこう息ができないのだろうと思ってきていた

 星子さんのもとへと走りながら僕の胸には星子さんよりも僕の方が苦しかったのにそれなのに星子さんは死んでゆこうとしているという思いが拭い切れないでいた

 

 

 もう死んで水の上に横たわっている星子さん

 星子さんのもとへと走りながら苦しみ抜いている僕

 まるで僕らの今までの人生の縮図のような気がした

 

 

 星子さんは真面目すぎた真面目すぎたから自分というものをあまりにも見つめ過ぎて死んでいったのだと思う星子さんは真面目すぎただからだと思う

 走りながら僕は星子さんの苦しみと僕の苦しみとを比べてみていた星子さんの方が僕よりもずっと苦しくて辛かったことを僕は走りながらこのとき始めて知った星子さんの苦しみは僕の苦しみと全然違っていて僕は星子さんの苦しみを理解して上げることができなかったそして僕の方がとても苦しんでいるのだと僕は思ってきた

 いつも一人っきりで海を見つめていた星子さんいつも寂しそうだった星子さんいつも寂しげにこの浜辺を車椅子で通っていた星子さん水溜りの道や貝殻や砂利の道を苦労しながら通っていた星子さん僕は女の子と喋るといつも傷付いてきただから僕は星子さんと喋っても笑われるばかりで傷付けられると思ってきた馬鹿な僕だった

 僕らは何回同じようにして生まれそして死んでゆこうとしているのだろういつの世でも僕らは不幸せだったでも僕らは僅かな幸せを他の人たちは快楽と呼んでいるのかもしれないでも僕らには快楽はあまりなかった僕らにあったのは苦しみの間の僅かな憩いのひとときだけだった拷問のような時間の間のほんのひとときの安楽の時があっただけだったそしてそれで幸せだった

 僕らはでも幸せだった最後の年間だけだったのかもしれないでも僕らはこの年間たしかにお互い苦しかったけれど幸せだった手紙でお互い慰め合ってきたし僕らは学校で本当に苦しかったけど頑張り抜いてきた

 悪魔はこうして僕の心にも星子さんの心にも巣喰い始めていたらしいいや星子さんよりも僕の方に悪魔は巣喰っていたらしい走りながら僕ははっきりとそう感じた

 僕らは前世ムー大陸で恋人どうしだったんだでも僕らは神さまをあざ笑ったり神さまの悪口を大声で言ったりしたためこうなったんだ僕らはそして前世の罪の償いを今世でこうして受けているけど僕らはこうして死んでいくんだ罪の償いをする前にこうして僕らは死んでゆくんだ

 僕らを取り巻く闇は魔の闇で僕らは毎日震えおののいているけど僕は今まで負けてこなかったし星子さんも明るく強かった星子さんはときどき泣いて手紙を書いてたけどでも次の日には明るく学校へ行っていた星子さんは明るく強かった

 中学の頃僕は挫けそうになる心を励まして星子さんの幸せのために毎晩12時ぐらいまで題目を上げていたしかし僕はもう星子さんのことをほとんど思わないようになっていた

 僕もやっと大人になったのかもしれないまた性欲に目覚めてしまったのかもしれないでも僕は毎日のお祈りの中で星子さんの幸せを祈ることはやめてはいなかったたしかに以前より星子さんのことをあまり祈らないようにはなっていたけれど

 僕は毎日のお祈りの中で自分の醜い心と葛藤していた星子さんのことを祈るべきだったけど

 僕は信仰を心の支えにして生きてきたし星子さんにも僕の信仰をするように勧めてきたでも僕の真心が足りなかったのかもっと強く星子さんに勧めなかったのが悪かったのか今こうして星子さんは死んでゆこうとしている僕の真心が足りなかったのだ僕の真心が足りなくて星子さんはこうしてむざむざと死んでゆこうとしているのだ僕の真心が足りなかったんだ

 僕は血を道端へと吐きながら走っていた僕の白いシャツにはまっ赤な血が僕と星子さんを覆ってきた悪魔の呪いのようにべったりと付いていた僕はもう気が遠くなりかけてきていたもう倒れてしまいそうにも思えたでも僕は依然として走り続けていた

 僕の祈りが足りなかったのだと思う僕はこの頃あまり星子さんのことを御本尊さまに祈ってなかった自分の成績の上昇のことを主に祈るようになっていた自分の病気のこともそれに星子さんのこともあまり祈らないようになってきていた

 でも僕が医者になることは僕と同じような病気で苦しんでいるたくさんの人たちを救うことにもなるしそれに星子さんと同じような病気で苦しんでいるたくさんの人たちも救うことになるんだっただから僕は一生懸命勉強していたし毎日学校がとても辛くても休まずに真面目に行っていた辛くて堪らないとき僕はいつも御本尊さまの前に座って祈っていた夜の一時や二時まで祈っていたこともあった

 でも僕はたしかに中学の頃や高校年の頃のように星子さんの幸せを願って夜遅くまで題目を上げることをしなくなっていた。3分のは自分の成績の上昇を願っていたそして分のの中で自分の病気や星子さんの病気のこと僕の家の幸せのことなどを祈ってきた

 僕には御本尊さまがあったでも星子さんには頼るべきものが何もなかった僕は苦しくて堪らないときにはいつも御本尊さまの前に座ってお祈りをしていた学校がとても辛くて堪らないときにはでも星子さんにはなかった星子さんには僕と文通していることだけが星子さんにとってただ一つの心の支えだったのかもしれないそれなのに勉強に忙しくて手紙を書くのが億劫になっていた僕は愚かだった苦しんでいる星子さんのことを忘れてそして僕は自分のために自分の将来のためだけに勉強していたのかもしれない

 星子さんが疲れていたとき僕はノホホンと毎日を送っていた僕は星子さんがそんなに苦しんでいるとは知らなかったそれにもう星子さんの心は僕から離れていったんだと思っていた

 カメ太郎さん星子生まれ変わりたいの健康な足をもって生まれ変わりたいの

 海の中に星子さんが沈んでいく姿が見えていたでも僕は一生懸命走っていた胸の痛さに何度も倒れたでも星子さんのことを思って僕は何度も起き上がって駈け始めた僕は度も度も倒れたと思う血を吐いて僕は倒れていたでも星子さんのため僕は桟橋までどうしてでも辿り着かなければならなかった星子さんのため僕は胸からたくさん血を吐いても桟橋まで辿り着かなければならなかった

 すべて星子さんのためだった星子さんのため僕は草叢の中に横たわることは眠ることはできなかった例えもう間に合わないと解っていても僕は走らない訳にはいかなかった

 星子さんは素直すぎた春の風のように素直すぎたあんまり自分を見つめ過ぎてそうして木の葉のように死んでいこうとしている

 網場の桟橋まであと400mと近づいた頃でしょうか僕は遂に胸の辺りの痛みに耐えかねて立ち止まりそうになりました

 でもやはり僕は駆け続けました次々と湧いてくる小さい頃から今までの星子さんとの出来事が僕を肉体的苦痛から解放したようでした僕はもう魂だけで走っているようでした

 僕は魂だけになっているようでした駆けている足が自分のものでないような気もしていました星子さんの桃色の顔が闇にぽっかりと浮かび微笑んでいますその笑顔は譬ようもなく美しくて

カメ太郎さん星子幸せになりたかったのでもなれなかったわそれになれそうもないの……

 星子さんは桟橋の上で夜空を見つめてそう呟やいていた僕は闇のなかを一生懸命走ってきていた星子さんが海に飛び込むまでに桟橋に着かなくてはいけないと一生懸命一生懸命走ってきていた

カメ太郎さん星子幸せになりたかったわカメ太郎さんと文通だけでなくって電話でも喋りたかったわ星子寂しかったのでもカメ太郎さん吃りだし喋るのが苦手だから電話は絶対かけちゃいけないっていつもいつも手紙の中に書いてあるから星子電話しなかったの星子手紙よりも電話の方がずっとずっと良かったのカメ太郎さんの声を聞きたかったのカメ太郎さんがどんなに吃ったってどんなに喋り方がおかしくったって良いから星子カメ太郎さんと喋りたかったのでも電話をしたらもう文通もしないってカメ太郎さん言うから星子電話もしないで来たの……

カメ太郎さん星子カメ太郎さんと喋りたかったわどんなに吃ったって良いからどんなに喋り方がおかしくったって良いから星子カメ太郎さんと喋りたかったわ……

 星子さんは涙を一滴一滴落としながら夜空に向かってそう呟やいていた僕は走りながらも桟橋の方向に大きな一滴の流れ星が流れたのを見た本当に星子さんの涙のようだった僕は緩くなりかけていた疾走をまた力の限りの疾走に変えたしかし胸の中から何か温かいものが込み上げて来るのを感じた

 それは血だった電灯の光りに照らしてみるとまっ赤な血が僕の手の平にたくさんたくさん溜っていた

 僕は思わず近くの草叢に倒れた胸が掻きむしられるほど痛くなったからだった

 でも僕は熱い血の塊を両手に抱いたまま立ち上がらなければいけなかった僕は星子さんの居る桟橋まで走っていかなければならなかった胸の痛みや血に汚れている自分の躰のことなんてどうでも良かった

 僕は走らなければならなかった星子さんの居る桟橋まで例え気を喪ってまでも僕は走らなければならなかった

 僕は走らなければならなかったどんなにしてでも走らなければならなかった

 僕の足は再びよろけ出し膝から激しく倒れた口から出てきたのはやはり血だった僕はもう駄目だと思った走れないしそれにもう走っていったって星子さんが海に飛び込むのに間に合わない

 哀しい哀しい浜辺の光景が星子さんの姿とともに見えてきていた可哀想な星子さんごめんね傷付けてそうして自殺にまで追い遣ったのは僕だしそれに星子さんの病気だったごめんね星子さんごめんね

 悲しい海辺の光景しか見えなかった何故星子さんはそんなに悲しそうなんだろうと思った星子さんの表情はとても哀しく僕に涙を出させた

 悲しい海辺の光景は僕がこのまま草叢のなかで死んでゆくことのようにも思えた口から溢れてくる血はもの凄い量になっていた咳とともに僕の胸は痛みそして口一杯に熱い血が溜った

 星子さんの髪は潮風に吹かれて僕の方に揺れていた悲しげな星子さん僕は人は何のために生きるのかと思い横たわりながら身じろぎしていた

 春のタンポポだろう倒れ伏してもがいていた僕の目の前にタンポポが月夜に照らされていた僕は意識を喪いかけていた夢を見た星子さんと春の野原で手を繋いで駆けてゆく夢だった黄色いタンポポやレンゲの花が咲き乱れていた

 美しい儚い夢だった一分か二分ぐらい見ていただろう僕は起き上がったそして胸に溜まっていた血を吐くと再び走り始めた僕はもう泣いていた胸の痛みに僕は耐えかねていた

 僕も辛かったでも僕はその度に仏壇の前に座ったそして一時間も二時間も題目を上げた明日の学校での苦しみのことを考えると僕はとても辛くなっていたでも僕は耐え続けた

 僕は再び倒れた

 野原に倒れ伏しながら僕は泣いていたエゴイストになっていた自分もう星子さんと文通するのを止めようとさえ思っていた自分自分の幸せだけを追い求めようとしていた自分手紙を書くのが煩わしくて手紙を書いてなかった自分星子さんの悲しみを考えなくなっていた自分

 草の原に倒れ伏していた僕の目に星子さんが空へ舞い上がってゆく夢を見た

苦しかったのカメ太郎さん星子苦しかったのだから先に天国へ行きますけど許して下さいもっともっとカメ太郎さんと文通してそして落ち込みがちなカメ太郎さんを励ましてやりたかったけど星子苦しかったのもうこんな惨めさや苦しさに耐えきれなかったの……

 僕は涙を溜めて天へと登ってゆく星子さんの姿を見送っていた

 僕は眠り込んでしまおうと思った快い眠りの中に僕は浸り込んでしまおうかと思ったまた起きて走り続けたら今度こそたくさん血を吐いて死んでしまいそうだった

 自分を取るか正義を取るかエゴイズムに浸るか人のために不幸な人のために苦しさに立ち向かって行くかとても厳しい道かもしれない死ぬ可能性はかなり高い自分のために生きるべきか親のために生きるべきかそれとも今死のうとしている不幸な星子さんのために立ち上がって走り続けるべきか僕は迷った

 僕は立ち上がったでも気力も体力も僕は喪っていたしかし星子さんへのの力があった星子さんへののため僕はそのまま倒れ伏してしまうのを立ち上がったのかもしれない

 星子さんは僕に生きる力を与えていた挫けがちになる僕に星子さんの手紙は僕に生きる勇気を与えていたもう明日からは学校へ行くまいと何度思ったことだろうでも星子さんの手紙を読んで僕は学校へ行ったそして学校というものが本当は楽しいことを星子さんは僕に教えてくれていた

 僕はまた駆け始めていた自分は自分の虚栄心のためかそれとも本当の自分の正義感のために走っているのか解らなかった星子さんを救おう可哀想な星子さんを救おうという虚栄心なのかもしれない

 虚栄心のために走る僕星子さんのためでなくって自分の虚栄心を満足させるために走る僕醜い僕自分のために走る僕醜い僕

 星子さんは僕が走って星子さんのもとへ来ているのを朧げな意識の中で感じ取っていたのかもしれないでも星子さんはそのときにはもう安らかな眠りに入っていて僕の駆けて来る足音も苦しい呼吸の音も聞えなかったに違いない

 僕は道端に再び激しく倒れた

星子さん……

 横たわった僕に星子さんの涙のように悲しみの涙が流れた流れ星が流れていた僕の哀しみの涙のようだった

星子さん……

 でも僕は寝ている訳にはいかなかった僕のために死んでゆこうとしている女の子とてもとても純粋な女の子の心を裏切らないためにもどうせ間に合わないような気がしていたけれど僕は起き上がって走らなければならなかった

 僕は草の間に立ち上がった走り始めなければならなかった胸の中がとても痛くて去年の冬に罹った風邪のためだろうと思った

 僕は走らなければならなかったしかし再び胸の痛みに耐えかねて座り込んでしまった

星子さん僕の青春の全てみたいだったような星子さん……

 僕は哀しみと苦しみに打ちひしがれながらも再び立ち上がろうとしていた

 星子さんが海に飛び込んだざぶんっ……という音が倒れ伏してもがいていた僕の耳に聞こえてきたでも僕は胸が痛くて苦しくて野原の中で転げ回っていた春の野草の上で僕は途方もない苦しみと僕は星子さんをもて遊んできたのではないのだろうかという思いとそして僕は少なくとも星子さんを自分の慰みものにしてきたのではないかという懺忌の思いと戦っていた僕は星子さんを苦しめただけではないのかという思いとそして僕が僕が今星子さんを殺そうとしているんだ……という思いと戦っていた

 僕は星子さんに何をして来たんだろう僕は年間星子さんと文通してきてそうして今星子さんを死に至らしめようとしている

 僕は星子さんを苦しめただけなのではないだろうか。4年間も文通してきて僕は星子さんを心配させ続け星子さんに迷惑をかけ続けそうして星子さんは今僕のために死のうとしている僕が星子さんにヶ月近くも手紙を出さなかったため星子さんは今死のうとしている

 でも僕は電話をできたら僕は星子さんを喜ばせることができたもしも僕が電話で話すことができたならこんなに星子さんを苦しませ悲しませることなんてなかったはずだった僕はもしかすると星子さんを苦しめてきただけだったんだ星子さんを慰みものにして僕は星子さんをもて遊んできただけだったんだ

 星子さんと僕は桟橋の上で劇的な再会をして僕らは抱きあって今までの辛く寂しかった日々のことを温めよう五月のまっ暗な桟橋の上で僕らは年ぶりに出会って

 走りながら僕は思っていた僕は本当に星子さんを好きだったのだろうか可哀想な星子さん車椅子の星子さん僕の思いは単なる同情だったのではないだろうか僕は星子さんには恋ではない単なる性的なものではない友情と同情の入り混じった思いしか抱いていなっかったのではないかいやきっとそうだそうして僕は星子さんを疎ましく思い始めていたのだもう僕は中学の頃のあの優しかった一生懸命一生懸命創価学会の信心をしていたあの頃の自分ではもはやなくなっていたきっとそうだ僕は堕落しかけていたんだエゴイストの僕中二の頃の純粋だった僕はいったい何処に行ってしまったんだ純粋だった僕心の清らかだった僕は

 僕はそうして走り疲れまた激しい後悔の念によって道の脇のコンクリトの溝に足をとられそうになりましたでも僕は依然として一生懸命に走り続けました

 純粋だった僕あの頃の僕そしてまだ幼かったゴロと星子さん潮風に吹かれた風が頬に懸かり美しかったあの横顔

僕は中学生の頃から一生懸命に星子さんの幸せを祈ってきたつもりだったでも僕は最近真実が何なのか解らなくなりかけてきていた勤行も怠りがちになってきていた僕はこの世の何もかもが馬鹿らしくも思えてきていたし僕は心が狭い人間になりつつあった……

 僕は迷っていた僕は星子さんなんかと足の悪い星子さんなんかと付き合ってられるかと思いつつあった僕の心はそれほど荒み始めていた

 僕は心の狭くなりつつあった自分自分のことしか考えることのできなくなりつつあった自分を叱咤するように走り続けた僕は罪を走ることの苦しさで償おうとしていたひたすら走り抜くことで償おうとしていた

 僕は本当に何が真実なのか解らなくなりかけていた自分を犠牲にすべき人生が正しいのかそれとも他の人のように生きてゆくのが正しいのか自分は一度は自分の幸せは全て棄て去る決心をした人間だったでも環境が楽になるにつれて僕はその決意をいつか忘れ始めていた僕は心の狭い人間になりつつあった

 星子さんの今にも桟橋から海の中へ音を立てて落ちてゆく様子が暗い闇の中に見えていた僕の一人よがりのエゴイズムのために僕は星子さんを傷付けむざむざと死に至らせつつあるのだった

 僕の後悔の念は激しい身の苦痛と戦うことによってどうにか消されつつあった

僕は解った人間は走るために生きているんだ人間は走るために生きているんだ走り抜くために生きているんだ……

カメ太郎さん苦しい苦しい……

 僕には波に揉まれて今にも暗い海の底に沈んでゆこうとしている星子さんの苦しげな姿がありありと見えてました

星子さん負けちゃ駄目だ星子さん負けちゃ駄目だ死んじゃいけないんだ僕が来るまで僕が来るまで負けちゃ駄目だ死んじゃ駄目だ……

 僕は更に必死になって夜の闇の中を走り続けました桟橋までもう少しの処でした僕はあまりの苦しさにへこたれそうになりました二年前から患っていた胸の病気が痛くて痛くて血が滲み出ているようでしたそして今にもその血が吹き出してきてしまいそうでした僕は座り込もうとしました

星子さんが海に飛び込んだ時たくさんの海の精が泣き哀しんだような気がした日が暮れて夜になった海の中で海の精は死を選んだ星子さんをとてもとても嘆き哀しんだと思う……

星子さんは卑怯な僕を愛してくれていた喋れなくて星子さんを避けてばかりいる僕を星子さんはそれでも愛してくれていた……

 僕は走りながら堕落しかけていた自分を反省していた僕はもう昔の自分ではなくなりかけていたあの中二の頃のようなとても信仰篤かった僕では今はもう違う僕は堕落し自分のことで精一杯の自分になっていた

ごめんね星子さん……

 僕は走りながら人格的に堕落し果て自分のことしか考えきれない自分になっていたことを思って頭をポコポコと拳骨で叩きながら走った

 中三の頃から僕は次第に堕落しかけていた僕はもう中二の頃の聖人のようだった僕ではない僕はエゴイストになっていたんだ少しづつ少しづつ僕はエゴイストになっていた

 僕の後悔の念は数年に渡る信仰心の惰性とそれによる自らの人格の堕落とそして星子さんを幸せにできなかった自分のエゴイズム故に星子さんを避けてきた自分を激しく叱咤しながら走っていた

 僕は星子さんと喋ることを極力避けてきたそれが僕のエゴイストの為の故だなんて僕は今やっと気が付いた僕はエゴイストだったそしてこんなエゴイストと何年も文通してくれた星子さんへの感謝の念と

 僕の涙は……

 

 僕は星子さんの苦しみよりも僕の苦しみの方がずっとずっと苦しいんだと思ってきた星子さんの苦しみは人に理解して貰えるけれど僕の病気は人に理解して貰えなくてだから僕の方が星子さんよりもずっとずっと苦しいんだと思ってきた

 星子さんの方が僕よりも苦しかったなんて僕は今桟橋へ向かって走りながら始めて気づいている星子さんも手紙で苦しい苦しいと訴えてきたけれど星子さんの苦しさなんて僕のに比べたら何ともないと思ってきた馬鹿な僕だっただから二ヶ月近くも星子さんに手紙を出さなかったんだと思う

 星子さんはそんなに苦しんでいることを僕に告げなかったじゃないか星子さんの手紙はいつも夢に満ちていてとても楽しそうだった

 星子さんの手紙はいつも夢に満ちていて僕にロマンと希望を与えてくれていたそんな星子さんが死ぬなんて自ら命を絶って死ぬなんて僕には少しも想像できなかった

 

 ----カメ太郎走りながら----

 僕も生きることに疑問を感じてきていたでも僕は死ななかった星子さんはでも今死のうとしている星子さんはあんまり深く考え過ぎたのだと思う幸せも他の処にあるということを星子さんは忘れていたのだと思う

 

カメ太郎さんもう走るの止めて死んでしまうわカメ太郎さんもう走るの止めて……

 朦朧とした意識で走っていた僕の耳に何処からともなく星子さんの声が聞えてきていた目の前に桟橋が見えていたでもまだ遥か先だったこの大きな道を真っすぐに一直線に走ってゆけば桟橋だったでも距離はまだ500m以上もあるようだった

カメ太郎さん死んじゃうわよもうこれ以上走らないでお願い……

 再び聞えてきたその声は何なのだろう星子さんがもう死んでしまってその亡くなったという知らせなのだろうか僕は朦朧としてきて倒れそうになりながらその声を聞いた

 星子さんが白い蝶々になって天国へと登ってゆく春の野山の景色が見えていたこのまえ遠足で行った唐八景みたいだった星子さんが唐八景の花の咲き乱れた春の野原を舞い登っていっているように思えた僕はああもう星子さん死んでしまったんだ僕は遅かったんだ……と思って力が抜けるようになって膝から激しく倒れ込んだ

 

 

  倒れるとき僕は見た

  星子さんが蝶々となって美しく舞い上がっていく様子を

  星子さんはとてもいじらしく舞い上がっていっていた

  また倒れようとしている僕の姿を見て泣きながら

  星子さんは誰かに手を引かれながら

  空へと舞い上がっていっていた

  五月の……まっ暗い夜の空のなかへ

 

 僕は夢を見た僕が星子さんの処まで走っていこうとすると星子さんは逃げるのだった僕が必死になってここまで走ってきたのに星子さんは僕が近づくと僕をからかうように笑いながら逃げるのだったもし僕がこんなに疲れていなかったら掴まえられるのに星子さんは疲れきってもうあまり走れず今にも倒れようとしながら走ってくる僕から笑いながら安々と逃げていた

カメ太郎さんここよ星子ここよ……

 星の瞬きにも似た星子さんのその声は黒い夜空に響き渡っていた僕はどうしても星子さんを掴まえきれないでいた

 岡の上にそして今度は神社の祠の前に星子さんは現われては消えていたそうして僕はもう力尽きて立ち止まりもう走るのを止めていた

 立ち止まった僕は星子さんの幻想を見ていた美しく波間に漂う星子さんまるで人魚のように岩から岩へと泳ぐ星子さん星子さんは海の中で始めて自由を得て人魚のように泳いでいる星子さんの動かないはずの両足が尾びれとなって星子さんは人魚となっている美しい星子さんまるで海の中に咲いた一輪の大きな花のようになった星子さん

 夢だった気が付くと僕はまだ空地のなかの草の上に倒れていた胸が息をする度毎に焼けるように痛かったでも桟橋はもう見えていたあと少しだった僕はそうして再び走り始めた

 小さい頃僕らが出会ったときのことが思い出されていた

 それらは走馬燈のように湧いては消えていっていた幼かった頃本当に可愛かった星子さん車椅子の上の天使さまのようだった星子さん

 僕は走り続けていたけれど今にも倒れそうだったよろよろとゆっくりとしか走れなかった

 桟橋の手前の生鮮料理の旅館の前で僕は吐きそうになってまた倒れてしまった僕はそして旅館の裏庭で星を見ながら横たわってしまった

 熱い液体が何処からともなく僕の口の中を満たし口の端から流れ落ちた胸から出てきた血だとはっきり解ったもう僕はこのまま死んでしまうのかもしれないなと思った僕はまた夢を見た

 誰も知らない夜の道を僕は歩いているようだった。『何処なのだろうここは?』

 僕には訝しかった前に星子さんが歩いている星子さん足が悪くて歩けなくてだからいつも車椅子に乗っているのに何故星子さん歩けるのだろう僕は不思議だった

 それにここは何処なのだろう僕はたしか旅館の中に入っていって倒れたはずだった誰も居ない中庭に僕は倒れ込んだはずだったおかしいなあと思っていたそれに星子さん何処へ行こうとしているんだろうでも星子さんは今海の中に居るはずではないのだろうかそれとも星子さんは飛び込むのを止めて近くの神社の森の中にいやそんなはずはない

 赫い夕陽が静かに西の方の空に流れて行っている星子さんはその雲に乗って何処へ行くのだろうかさっき見た星子さんが歩いてゆく幻影は星子さんが雲に乗って空へと消えてゆく姿だった星子さんはもう死んで天国へともう旅立ったらしかったもう星子さんは死んだという僕への知らせのように思えた

 

 僕は夢から覚め気がつくと旅館の塀の木の壁にもたれるようにして立ち上がった一分も寝ていないはずだった夢は半覚醒状態のまま走馬燈のように僕の頭に浮かんでは消えまた浮かんでは消えていた

 胸の痛みはそのままだったし息もまだ切れていた僕は歩いたもう歩くしかなかった桟橋まではもう後100mほどだった僕は少し駆けたでも胸が痛みすぐに立ち止まったそしてまた歩き始めたやはり歩くしかなかった

 空を見上げれば星が瞬いていた僕はこんなに遅れてしまってもう星子さんは完全に桟橋から身を投げているだろうなと思い悲しかったでも僕はこれ以上速く歩くことができなかった僕は悲しくて星を見上げながら泣いていた

 

 僕は悲しく目を潰ったごめんね星子さん

 僕の意識は薄れ出し道端の草の匂いを嗅ぎながら眠りにつこうとしていたでもこのとき僕の胸の中から何か不思議な力が湧いてきた僕がちょうど中一の頃ゴロと星子さんと出会ったあのペロポネソスの浜辺の裏の林の中で横になって星子さんの後ろ姿を見遣っていた光景が僕の目に不思議に湧いてきた僕はいつの間にか立ち上がっていた四年ほども前になるそのときの光景が暗い夜道を目の前にして蘇み返ってきていた僕は再び駆け始めていたやっぱり走るしかなかった胸の痛みに耐えて走るより他に方法はなかった

 ごめんね星子さん僕は暗い闇の中を再び泣きながら走っていたごめんね星子さんもうとても間に合わないようだった激しい罪悪感が僕を襲っていた

 

 星子駄目ね星子駄目なのね

 カメ太郎さん喋ってくれなかったカメ太郎さん電話の向こうで迷惑そうにしてたみたい星子やっぱり駄目ね

 星子はそうして桟橋へと近づいていっていました松尾商店の前の電話ボックスから桟橋まで緩やかな下り坂です。『星子駄目ねやっぱり駄目なのね

 星子泣いていましたカメ太郎さん喋ってくれなかったわカメ太郎さん喋ってくれなかったわどうしてどうしてなのカメ太郎さん

 カメ太郎さんの意地悪

 星子悲しくって桟橋に乗ったまままっ黒く佇んでいる海面を見つめていましたカメ太郎さんの意地悪カメ太郎さんの意地悪

 星子はチャッポンッと黒い海さんの口に飛び込みました冷たい冷たいとても冷たいわ

 カメ太郎さんカメ太郎さぁ

 星子水の中でもがきましたカメ太郎さぁカメ太郎さぁ

 星子死にたくないわカメ太郎さぁカメ太郎さぁ

 星子必死でカメ太郎さんが助けに来てくれるのを祈っていたようでしたそしてなるべく水を飲まないようにと一生懸命耐えました

 なんだかカメ太郎さんのタッタッタッと駆けてくる音が聞えてくるみたいカメ太郎さん星子を助けに今来てるのかなでも本当にカメ太郎さんの足音が聞えてくるわカメ太郎さんやっぱり星子を助けようとしているのねカメ太郎さんすぐ近くに来ているみたいだわ

 カメ太郎さんの駆けてくる激しい息づかいが聞えてくるわカメ太郎さんとても苦しそうカメ太郎さんの駆けてくる姿が見えてくるわカメ太郎さん必死に走っている

 星子チャプンチャプンと水の面でもがきました星子生きてなくっちゃカメ太郎さんの来るまで生きてなくっちゃ

 星子水面を両手で叩いてたのよチャプンチャプンと水飛沫が上がっていたのよ

 星子カメ太郎さんが来るまで生きていてそうして星子を助けるために海に飛び込んできたカメ太郎さんに思いきって抱きついちゃうんだから星子生きてなくっちゃ

 

 

      (星子 水の中より

 カメ太郎さん来て早く来て

 星子の口に海の水が一口二口と入ってきています

 カメ太郎さん早く早く来て

 星子死んじゃう

 カメ太郎さん早く

 星子依然として水の中でチャップンチャップンともがき続けました星子狂ったように水面でもがき続けていましたカメ太郎さん早く来て早く

 カメ太郎さんのタタタッと走る音が聞えてきますでもその足音は遠くてもう間に合わないみたい

 カメ太郎さんとても激しい息づかいで走ってきているけれど

 カメ太郎さん死にそうなほど一生懸命に走ってきているけれど

 星子早く水の中に入りすぎたみたい

 星子もう駄目みたい

 カメ太郎さんさようなら

 今まで楽しい思い出たくさんありがとうございました

 星子幸せに天国に旅立ってゆけますたくさんたくさん思い出ありがとうございました

 小さい頃からのいろいろな思い出ありがとうございます

 水がまた一滴一滴星子の鼻や口から入ってきています

 苦しくって星子自然と泣いてきちゃった

 カメ太郎さんさようなら

 星子の涙が一滴一滴海のなかに溶けていっちゃってるみたい

 星子あんまり苦しくって本当はワンワン泣いてるの

 でも水の中だから誰にも聞えずに大丈夫なの

 すると天使さまが現われて

 光る手の平を星子の前に差し出して

 星子をそっと水面から救って下さいました

 天使さまありがとう

 天使さまはとても優しそうな微笑みを浮かべられて

 星子の手を取って下さいました

 でもでも天使さま星子カメ太郎さんが好きなのカメ太郎さんに抱かれて死にたいの

 カメ太郎さんの走るタッタッタッという音がもうすぐそこに聞えてきています

 天使さまごめんなさい星子カメ太郎さんに抱かれて死にたいの

 

 星子再びチャプンと水面に落とされてワンワンと泣きながらカメ太郎さんの来るのを待っちゃった天使さまごめんなさい星子地獄行っても良いのですでも最後にカメ太郎さんに抱かれたいから天使さまごめんなさい

 星子ワンワンと水の中で泣き続けました

 

 

 星子さんは幸せに死んでいこうとしているようだ僕は一人残されこれからは夕方になるとゴロともう星子さんの出ていることもない浜辺を散歩することになるのだろう

 星子さんは恵まれていたと思う星子さんは幸せだったと思う

 浜辺に来ると落ち着かなくなるゴロ僕の心もこの星子さんと始めて会話をしたこの浜辺に来て揺れ動くのだろう僕は中二の頃星子さんが幸せでありますようにと毎日朝晩祈っていた声がかすれて出なくなるまで僕はそう祈っていたでも僕は高校に入ってからはあまり祈らなくなった星子さんが遠くの存在のように思えてきたし僕は忙しくてあまり祈る時間も心の余裕もなかった僕は高校に入ってからはほとんど自分のことを祈っていたと思う僕は高校に入ってからは自分の幸せのことで精一杯だった

 

カメ太郎さん星子もう駄目カメ太郎さん星子もう駄目……

 星子さんは薄れゆく意識の中でそう叫び続けました星子さんの体はだんだんとまっ暗い海の底へと沈んでゆきつつありました

 星子さん死んじゃ駄目だ星子さん死んでだけは

 僕も薄れゆく意識のなか必死に歩き続けながらそう叫び続けていましたもう桟橋は見えていましたでも僕の足はすでに鉛のように重たくなりつつありました僕は一歩進むのももう大変な努力が要るようになっていました僕はもう疲れ果て力尽きていましたそして倒れました

カメ太郎さんカメ太郎さん……

 僕には薄れゆく意識のなか必死に僕に助けを呼ぶ星子さんの声をはっきりと聞き取っていました僕は立ち上がると再び走り始めましたいやよろけるように歩き始めただけでした

 ずっと前星子さんの方が元気な時があったのにそれなのに星子さんが今から死んでいくなんて信じられないな僕には信じられないな

 星子さんはいつも元気だった僕には信じられないほど星子さんはいつもとても元気だった

 

 星子さんは海の中で叫んだ。『カメ太郎さん助けてカメ太郎さん助けて……

 ……僕が血を吐きながら必死に走っているとき星子さんは青い藻に包まれて身動きができないでいた星子さんの口からはあぶくが立っていたと思う星子さんは両手を必死に動かして浮かび上がろうとしていたらしいでも星子さんの意識はだんだんと薄れていってなくなっていっていた僕は血を吐きながら走っていた星子さんの居る桟橋へ桟橋へと僕は必死になって走っていた血を吐きながら僕は藻にからまれて海へと上がれない星子さんの姿を思って涙にくれていた

 

 僕だけの僕だけの身なら良かったでも僕は苦労して働いている父や母の姿を思い浮かべて立ち止まったもう家まで戻ろうかとも思った僕は一瞬家への歩みを始めたでも僕は思い留まって再び桟橋の方へと歩み始めた

 ……家までゆっくりと歩いて帰ってノホホンと父や母のために過ごそうとも思ったでも僕の胸には星子さんへの愛が焼き付いていた僕は再び桟橋の方へと走り始めたでももう走ることが出来なかった倒れるように歩くことで精一杯だった

 

 

星子さん……

 今にも倒れそうに歩いていた僕の傍に星子さんがいて星子さんが僕に手を差し伸べているようにも思えましたでも現実は先ほど絶望の声を上げて電話を切った星子さんでした。15年近く生きてきて死んでいくのは駄目だよ星子さん生きなくちゃ今まで生きてきたじゃないか僕も今まで生きてきたんだ一年の三学期結局僕はほとんど学校行かなかったけど読まされるのが辛くて現国の時間読まされるのが辛くてでも僕は生きているだろ現実に僕はちゃんと生きているだろ

 僕は進もうとしない自分の足を僕の足はもう氷ついて前へ一歩も二歩も出られないでいました恨めしく思いながらも僕はやっと一歩また一歩と歩き始めていました

 僕は正義のために歩いているのでした星子さんのためでも何でもありませんでした僕は正義のため歯を食い縛って歩いていましたもう星子さんのためでもありませんでした僕は正義のためただ正義のために力の限界を振り絞って歩いているのでした

 今にも倒れそうでしたでも僕は正義のため歩き続けましたしかし僕は再び倒れました

 苦しさに耐えきれず横たわった僕の目に流れ星が一つ明るく輝きながら流れたようでしたああ星子さん死んだのだなと思いました桟橋までは後50mほどでしたでも僕はもう立ち上がりきれませんでした泣きながらその流れ星を見つめるだけでした

 死んでゆく星子さんそしてこれからも苦しみながらも生きてゆくであろう僕息苦しさと胸の痛みに耐えかねて輾転反側しながらそしてどちらが幸せだろうかと考えていました手紙の中で車椅子の少年の方がずっと良かったと何度も書いて星子さんを困らせたこともありましたでも僕は体だけは健康に生まれてきてやっぱり僕の方が幸福だったのかなあと思っていました

 でも僕は立ち上がりました人生とはやっぱり根性なんだと根性で生きてゆくんだとどんなに辛くても血を吐いても根性で生きていかなければいけないのだとそして死んでゆく星子さんはいけないんだと死んでだけはいけないんだと

 僕はよろめく足で歩き始めましたもう走ることはできませんでした桟橋のバス停が夜の燈明に光って見えています人一人居ないようでしたさっき星子さんが掛けたと思われる電話ボックスの扉が風に揺られてカタカタと鳴っていました

 死んでだけはいけないんだ死ぬことだけはやめなっくては僕はきっと死んだら死後の世界があると信じているけどみんなは死んだらすべてが終わりだと言っているでも死んだら生きているときに苦しんで償わなければならない罪を放棄してしまうことになるそうして家の人や親戚の人に償ってもらうことになってしまう僕も何度も死んだ方が良いと思ったか解らないでも僕は死ななかった僕は死んだ方が良いような苦しみと小さい頃からいつもいつも毎日戦ってきたでも死ななかったのはそのとき僕はいつも仏壇の前に座っていたからだと思うそうして題目を上げたそして甘かった自分に弱かった自分にその度に気付いていた

 胸元は息を吸う度に焼けるほど痛かった僕は歩いた桟橋まで後少しだった

 僕たちの愛は結局実らなかったのかもしれないでも僕らは幸せな恋をしたのかもしれないこの世の誰よりも幸せな恋を結局一度も手を繋いだことさえ言葉を交わしたことさえなかったのかもしれないけれど僕らは誰よりも幸福だったのかもしれない誰よりも

 ときどき自分の生きている価値って何なのだろう自分は何のために生きているのだろうと思ってしまうでもふっと僕はその考えを吹き消してしまうそんなことって解らないんだそんなことどんなに考えたって解らないんだ

 僕は沈みゆく星子さんの姿を倒れ伏しながら悲しく見つめているようでした

 力尽きて再び倒れ伏した僕はそうして再び立ち上がりかけました僕はもう幽霊のようでした桟橋はもう目の前でしたでも僕は立ち上がれただけでもう前へは進めないようでした

 でも僕は一歩また一歩と前へ進み始めました胸の中には血が滲んでいるようでした胸の痛みに耐えかねて再び倒れそうになるのを僕は星子さんへの愛の力でどうにか我慢し続けていましたもう限界でした僕は血を吐き再び倒れ伏しました

 星子さんとの楽しい文通やゴロと遊んだ星子さんがよく来ていたペロポネソスの浜辺の情景が僕の目にありありと走馬燈のように映っては消えていっていました星子さんは自分の病気に負けこうして今死んでゆこうとしている僕も自分の病気に負けてこうして力尽きてしまった

 黒い海の底へ沈んでいった星子さんの姿を再び倒れ伏した僕は悲しく見送っているだけでした

 星子さんの苦しみはもう星になって消えていったのかもしれない大きな大きなまっ黒い海の中に星子さんの苦しみは消えていったのだと僕は思う

 何とかなると思ってきたでもなんともならなかった僕の苦しみは続いた学校での毎日の辛さはずっと続いた

 学校での毎日の辛さは、3年間続いたいつか治ると思ってきた病院耳鼻科にも何軒か通ったクラブを休んだりして一日おきに通っていたときもあったでも全然治らなかった喉の病気も吃りも全然治らなかった

 僕の病気が治って星子さんと話せる日が来ることを僕は祈ってきたでも星子さんとは話せなかった

 僕は立ち上がったときたしかに星子さんの名を呼んだもう桟橋が見えているときに僕は血を吐いて倒れもう起き上がれないと思っていたとき僕は不思議に星子さんの名を叫べば星子さんが助かるような海面でもがいている星子さんが岸辺に辿り着くようなまた今にも海の中に飛び込もうとしている星子さんを僕のこのかすれた声が聞えたならば星子さんを海に飛び込ませないで済むような気がして僕は立ち上がって星子さんの名を呼ぼうとした

 血で溢れた僕の喉は小さな声しか出さず桟橋に居るまたはもう冷たい海の中に居る星子さんの耳に届いたはずもなかった

 星子さんは凍えるような水の中で聞いていた僕が走ってくる足音を冷たい冷たい水の中に沈みながら星子さんは僕が懸命に星子さんを救うために桟橋へ向かっている足音をちゃんと聞いていたそれなのに星子さんは一度浸った海の中から這い出せないでいた必死に岸辺へと泳ごうとしながらもできずにいたそうして星子さんは苦しみの中で死んでしまったんだ

 僕が立ち上がった時草叢のなかから血を吐きながら立ち上がった時星子さんも海の中で苦しかったと思う星子さんより僕の方が苦しかったなんていうことは僕の思い上がりだった星子さんの方が僕よりずっとずっと苦しんでいた

 青い海の向こうに冬の海に揺れながら立っていて僕を見つめている星子さんが見えてくる孤独に耐えている僕を僕を見つめている星子さんの瞳が見えてくる桟橋のバス停の灯りが見えてきたときもうそこには星子さんの人影も誰もいる気配もなかったたった一つの街灯は午後八時の闇を虚しく照らしているだけだった星子さんの姿はそこにはなかった

 もう星子さんは海の方へと向かったようだった

 星子さんは海の方へと向かい海の中へと消えていったようだった暗い暗い海の中へまだ冷たい五月の海の中へ

 僕は走る力を喪い歩こうとしたでもまだ星子さんは海の中へは飛び込んではいないかもしれなかったそれに飛び込んでいても助けあげられるような気がした

 僕らの年間は今僕が走っているこの闇のようだったのかもしれないそして今のように苦しい年間だったかもしれないでも道端の処々に見える明かりのように僕らの年間は処々明るかったたしかに処々明るかった

 手紙の中の星子さんはいつも楽しげだったいつも夢を語っていて落ち込みがちな僕に勇気を与えてくれていたそんな星子さんが自ら死を選ぶなんて僕には信じきれない

 星子さんはあまりにも自分を真剣に見つめ過ぎていたのだと思う星子さんはあまりにも真面目でそれに星子さんは自分を真剣に見つめなければならないほど苦しんでいたそして星子さんは自分をあまりにも責め過ぎていたんだと思う僕は再び倒れた

 ごめんね星子さん

 僕はもう起き上がれなくなっていた僕は道の横に倒れ伏したままだった星子さんとの楽しかった文通の思い出の数々が思い出されてきていたそして僕らが文通し合うきっかけとなった思い出のペロポネソスの浜辺のことなどが

 辛かったけど楽しかった日々の思い出が走馬燈のようにもう立ち上がれなくて倒れ伏したままの僕の頭の中を駆け巡っていた

 僕は自分の良心にもそして根性にも敗れ去っていた僕の心は弱くて僕は裏切り者だった涙が次々と頬に伝わり落ちていた

 きっと星子さんは今水の中で僕よりも苦しい目を受けていると思いつつも僕はもう立ち上がれないようだったでも僕は立ち上がったもう桟橋は目の前だった僕は星子さんを死なせるわけにはどうしてもいけなかった

 

星子さん生きてなくっちゃ星子さん生きてなくっちゃそうしてカメ太郎さんが来たら星子さんカメ太郎さんに抱きつくの苦しいくらい苦しいくらいカメ太郎さんに抱きつくの—————そうして星子さんは水の中でチャップンチャップンと跳ねましたでも苦しいわとても苦しいわ何故なの——————

 

 僕は泣きながら歩いていた桟橋が見えてきた月の光が桟橋を照らしていた星子さんの車椅子がそうして微かに見えた

 僕は何のために歩いているのか解らなかった僕は一度は星子さんを棄てた男だった僕は愛でもなくもう死にかけた星子さんへの償罪のために歩いているのだった

 僕が桟橋に着いたとき僕の頭は朦朧となっていたたくさん血を吐いたためだろうと思っていた桟橋のバス停の灯りも僕の目にはぼんやりとしか映らなかった

 僕は桟橋に着くと陸と桟橋とを繋いでいる鉄の微かな傾斜を降りていった桟橋には誰もいなかったでも教室の半分ぐらいの広さの桟橋の上には朧ろに星子さんのものと思われる銀色に灯火に輝く車椅子があったしかし車椅子には誰も乗ってなかった僕は駆け寄って車椅子の前に膝まづいたやっぱり車椅子の上には誰も乗ってなかった

 僕は海の方を向いて叫んだ小さな声しか出ない僕の喉がこのとき虎のようになって大きく星子さんの名を呼んだと思う

星子さん

 僕の声は闇の中に哀しく響き渡っていった僕は涙を流しながら何回も何回も星子さんの名を呼んだ

星子さん

 僕の声は夜の海の中に哀しげに吸い込まれてゆくだけだった

 

  『カメ太郎さん生きてね星子さんの分まで生きてね

   星子さんは網場の黒い海から舞い上がりながらそう言っていた

  『カメ太郎さん生きてね星子さんの分まで生きてね』              

 

 桟橋には星子さんが白銀のと自慢していた車椅子だけが寂しく闇の中にポツンと置かれています誰も乗っていません

 星子さん何処に行ったのだろう

 黒い海面はひっそりと佇んでいて何も見えなかった月の光が反射しているだけだった

 僕は悲しげに海面を見つめた黒く澱んでいる港の海面を

 星子さんがボラのように海面を飛んでいないかと思いました星子さんがボラになって楽しげに夜の海面を飛んでないかと思いました涙とともに僕は海面を見つめていました

 何も見えません海面は波音一つ立てていません一瞬何かが飛び上がったような気がしましたがそれは本当のボラでした星子さんではありません

 カモメらしい白い鳥が泣きながら僕の視界を通り過ぎてゆきます

 星子さんは何処へ行ってしまったんだろう

 星子さん何処だい?。出ておいで

 僕は空を見上げたあっ空に舞い上がったのかな今頃星子さんはウルトラセブンのように空を飛んでいるのかな

 かっこよくなったんだな星子さん

 空は暗く雲が微かに白っぽく見えて星が処々に遠い他国の家々の灯りのように見えます消えていったんだな星子さんあの遠い他国の家々の灯りのなかに明るい幸せな他国の家々のなかに今頃暖炉にあたって遠い旅の自慢話をしているんじゃないのかな遠い日本という国の西の果ての長崎の一漁村で儚く短かい人生を送った自分の生涯をおもしろおかしく語り聞かせているのかなそして僕のことも僕のことも自慢げに話しているんだろうな

 暖炉にあたりながら暖炉の火が橙色に揺れてて美しいんだろうなが出ていてケキもある

 星子さんが明るく喧ましいほど喋っている

 

 やがて僕の目に15mほど沖にたゆたっている砂袋くらいの物体が見えました今まで沈んでいたけど海底から浮き上がってきたのかなと思いました僕に会いたくて浮び上がってきたんだなと思いました頬を赤らめて浮び上がってきたんだな星子さん

 僕は始めそれが全く動いていなかったため砂袋と思いました静かな港の海面に浮かんでいる人の背中くらいのものが月の光に反射されて見えていました

 それは星子さんの背中なのでしょうかまるで小さなゴミ虫の背中のようでした僕はコンクリトの桟橋から飛びました僕の躰は頭から月のまだ冷たい水の中めがけて落下し始めました

 冷たい五月の夜の海の中を星子さんの方へ向かって泳ぎつつあった僕は何故僕らだけがこんなに苦しまなければならないんだ何故僕らだけがと苦しい息の下で思っていました

 僕らだけ何故こんなに苦しまなければならないのだろう他の人たちは幸せに暮らしているのに何故僕らだけこんなに苦しまなければならないのだろう

 星子さんの死の前の涙は港の黒い水のなかに溶けていって僕はその水のなかを泳ぎつつあるのかもしれない星子さんの悲しみの涙は冷たくてだからこの海の中が冷たく感じられるのかもしれない

 僕は黒い海の中を懸命に泳ぎつつあった顔を上げ星子さんの浮かんでいる方向を確かめながら僕は懸命に泳いだ星子さん僕が悪かった僕が星子さんから思われ続けたいという醜い欲望のために星子さんと喋らず喋ることによって必ず幻滅されることを知っていたから僕は喋ることを極力避けてきたけれどそうしたらこんな結末になってしまって

 僕はたしかに桃子さんに性欲によって惹かれつつあったしかし僕がどんなに桃子さんに心惹かれつつあったにせよやはり僕の心の片隅には星子さんの面影が不動のものとして横たわり続けていた

 星子さんは僕にとって女神のような存在であり続けた

 でもこの頃僕の胸にどうしようもない衝動として湧きつつあった性欲という邪悪なものが僕を星子さんから遠ざからせつつあった星子さんが疎ましく僕には思えつつあったのは事実だ

 悪魔の峻動が僕の躰のなかで胎動し始めていたんだ

 

 海の中は苦しく星子さんまでの距離がとても長く感じられた水中で靴を脱ぎ少しでもよく進めるようにした僕は泳ぎは得意なはずだったしかし桟橋まで全速力で走ってきたためだろう僕は自分が黒い冷たい海水の中に沈んでいこうとしているのを感じていたまるで海の中から何者かが僕の足首を引っ張っているように

 でも僕は必死に泳ぎ続けた僕は泣くように海面を叩きつけながら必死に泳いだ

 星子さんの悲しみの涙は黒い水の中に溶けていっていて僕を冷たく覆っている星子さんの死の前の涙は悲しくて一生懸命泳いでいる僕にも嗚咽を起こさせている星子さんの死の前の涙はとてもとても悲しくて

 夜の海の中は寒かったまるで僕らの今までの人生のように寒かったとても寒くてそれにとても苦しくて僕は沈みかけていた走り続けて疲れ尽きて沈みかけていた

 黒い水の中に沈みつつあった僕は途中でフッと意識を取り戻すと海面へと海面へと夢中で足を漕いだやがて海面へポツリッと浮かび出て僕は夜空のお月さまに始めて気づいた走ってくるとき全然気づかなかったのに丸いお月さまがちょうど夜空のてっぺんに輝いていた

 でも僕は黒い海中から浮きあがると僕の意識はふと現実の世界に呼び戻され僕は懸命に両手を水車のように動かし始めた

 僕の両手は水車になっていたそして僕は今アメリカ開拓時代の蒸気船のように両手を水車のように回して黒い海面を泳ぎつつあった僕は今世の新しい黒人奴隷のように自分を思った

 水車は疲れていましたここまで全力で走ってきて疲れ切っていました水車はやがて回転を止めましたそしてブクブクと水車は黒い海中に沈み始めました意識がだんだん遠くなってきました

 でも水車はハッと意識を取り戻すと海面へ海面へと浮上し始めましたいっときの休息は終わり黒い黒い海の壁を上昇し始めましたそして海面に浮かび出ました

 すると黒い大きな波が僕を覆います巨大な巨大な波で本当は海面は波一つ立ってないはずでしたでも僕の躰は再び沈みかけ星子さんまで辿り着くのに嵐の中の荒波を乗り越えなければならないようです僕はこのまま再び黒い波の中に呑み込まれてしまいそうでした

 でも僕は再び海面に出ると両手を水車のように回し始めました一度回転をやめ沈みかけた僕は再び動き始めました

 星子さんまでの距離は遠く僕の周囲に巻き起こる荒波は僕が造っていました僕が水車のように両手を動かすその波動が僕の周りに荒波を造っていました

 

 海の中で疲れ果てて沈んでゆきながら僕は何故僕らだけこんなに苦しまなければならないのだろう世の中のみんなは幸せに暮らしているのに何故僕らだけ身体に障害を持った僕らだけ苦しまなければならないのだろうと思って震えていた。『何故僕らだけ苦しまなければならないのだろうと思って僕の胸の中は悔しさに煮えくり返ろうとしているようだった

 僕の胸の中がお腹の処から湧き上ってくる感情の昂ぶりみたいなものに浸されてゆくお腹に感情の昂ぶりみたいなものが感じられる何なのだろうこれは僕はそう思って海の中で躰を硬直させながら震えていたそして僕は再び思いっきり海面へと出て星子さんの方へ向かって泳ぎ始めた

 泳ぎながら僕の脳裏には小さい頃からのいろいろな出来事が走馬燈のように思い出されてきていたそれは星子さんとの思い出が多かった

 小さい頃の星子さんとの出会いそして口もほとんどきかず僕が中一の夏の頃まで過ぎた日々辛かった小学校時代あの空白の日々

 今は取り壊された懐かしい木造校舎そこで僕は小学二年と過ごした小学年の三学期から始まった僕の鼻の病気

 苦しかった本当に苦しかったあの頃そして鼻の病気のことで悩みながらも比較的幸せだった小学小学年の頃僕が小学年の途中から僕たちの日見小学校に転入になった近所の二つ年下の星子さん車椅子ででもいつも微笑みを浮かべていた星子さん僕には幸せそうに見えた体は元気でも鼻の病気でこんなに苦しんでいる僕よりもずっと幸福そうに見えた

 星子さんは幸せそうに見えた僕よりも車椅子の上の星子さんの方が何倍も幸せそうに見えた

 そして僕は再び力尽きたようになって海面に浮かんでいた本当に何故自分たちだけこんなに苦しまなければならないのだろうと思いながらも僕は水の上で苦しんでいた

 僕は力尽きかけていたでも僕は今度は海の中に沈むことなく再び星子さんの方へと必死に泳ぎ始めたしかし僕の体力は尽きていた蒸気機関車は再び泳ぐのを止めた

 僕は妥協しかけていた自分の心に水の中に沈んでゆきながら僕は自分の心に妥協してそうしてもう疲れ切っていて泳ぐのを止めていたまっ暗な水の中に沈んでいきながら意識が薄れてゆくのを僕は感じていた

 でも僕は水の中に沈んでゆきながらも星子さんの幸せを祈っていた星子さんはたぶんもう死んでいるんだろうけどでもそれだから僕は泳ぐのを止め海の中へ沈んでいっている星子さんと一緒に死んでいこうと思っているのかもしれない少なくとももう星子さんは助けられないから僕は泳ぐのを止めているんだと思う

 僕らはそうして結局結ばれないまま死んでゆこうとしているようだ海の中では喋らなくても良いから僕はせめて星子さんと一緒に死にたかったでも僕は疲れ果てていたそれに暗くて星子さんが何処なのか解らなかった

 もしも明るかったら月夜なら僕はまっすぐに星子さんの処へ辿り着いていたと思うでもまっ暗だから僕は星子さんが何処なのかよく解らなかった

 

 一度水の中に沈みかけた僕は再び蘇み返り海面を必死に星子さんの方へ向かって泳ぎ始めましたごめんね星子さん僕は激しい罪悪感に責め苛まれていました星子さんを救おう間に合わないかもしれないけど今の身の苦しさに耐えて泳ぎ続けようと僕は再び思ってました

 僕は罪悪感の故に泳いでいるのでした可哀想な星子さんの好意を避け続けてきたそれはすべて自分の利己心のためでした罪の償いのため僕は海面を叩きつけるようにして肺が破れるような苦しさとともに泳いでいるのでした

 僕の目からは涙が流れていました死の苦しみとはこういうものをいうのだろうと思ってきていました罪滅ぼしなんだそうだ罪滅ぼしなんだ

 僕は身じろぎもせず浮かんでいる星子さんのもとへ再び一生懸命泳ぎ始めましたやっぱり僕はもう死んだのだと思うようにしましたそしていつの間にか水泳大会のときのようにスムズに泳ぎ始めました黒い海水が滑らかに僕の体側を後方に流れていっています

 

 星子さん寂しかったろ僕だよやっと僕が来たんだよ遅れてごめんねやっと来たんだよ遅れてごめんね

星子さん星子さん……

 僕が呼びかけるのにちっとも反応してくれない星子さん星子さんやっぱり孤島になってもう死んぢゃってるのかな? 

星子さん星子さん……

 でも星子さんちっとも反応してくれません。 

星子さん星子さん……

 僕は拳を造り星子さんの胸を叩いた。 

星子さん星子さん……

 星子さんは今魂が抜けて天界へ上昇していこうとしているのかな? 

星子さん星子さん……

 僕はなおも星子さんの胸を叩き続けました

 僕は孤島に辿り着いたばっかりで息が苦しくってそれに星子さん僕にしどけなくもたれ懸かってくるから息できなくて苦しいんだよとてもとても息が苦しいんだよ

 でも星子さん全然動いてくれませんやっぱり星子さんもう死んでしまっているのかな

 僕ははっとあっ星子さんに触れてる!』と気づきびっくりしました今まで気づかなかったのが不思議なくらい僕は星子さんに触れていたのでした

 星子さんおかしいな何故僕が今こうやって星子さんに触れているんだろうなって思って僕不思議だな何故触れているのかな

 僕は星子さんの胸を引っ張り星子さんを覚醒させようと必死だったでも星子さんからはさっき魂が抜け出ていったのを感じていたから僕はやっぱり覚醒させるのを止めたのでした抓ったり引っ張ったりしてごめんね星子さん

 僕は動かないちっちゃな星子さんを引っ張って桟橋へと戻り始めました僕は息が苦しくて本当なら星子さんの首に左肘を回して星子さんの顎を上げてから戻らなければいけないことを解っているのに僕は息が苦しくてそんな余裕なんてなくて星子さんの服の端を掴んで必死に平泳ぎをしていました僕は息が苦しくて気が遠くなってきていました僕は息が苦しくってこのまま死んでいくような気がしていました

 夜空に何かが輝いたよく見ると星だった僕の涙と星子さんの涙でできたような赤い赤い星だった僕の思いは星子さんには届かなかった星子さんはこうして寂しく死んで行き今僕の手の中にある僕の思いは星子さんには届かなかった

 僕はブクブクと星子さんを抱きしめたまま海中を沈みつつあるらしかった星子さんは無言だった黒い海の中に沈み込んでいこうとしている僕を見ても無言だった僕はもう一息そしてもう一息と海水を飲み込んだ

 僕が泳ぎ着いたときもう星子さんの胸のなかに星子さんは居なかった僕は始めて抱く星子さんの胸を思いっきり叩いたけどもう星子さんの胸のなかには星子さんは居なかった僕が泳ぎ着く前に星子さんはもう天国へ旅立っていったらしかった僕が泳ぎ着いたとき春の月が悲しみに沈む僕をそっと照らしていた

 海の中で僕らは始めて一緒になり僕らは抱き合いながら黒い海の底へと沈んでいったブクブクと僕の口から漏れ出ている空気の泡と星子さんの柔らかな頬が僕と星子さんの間にあった

 僕らはお互い悲しい運命を持って生まれてきたけれどそうして僕らはこうして幼くして死んでゆくのかもしれないけど僕らは幸せだったのかもしれない

 僕らはきっと幸せなんだこうしてお互い抱き合いながら死んでゆける僕らはきっとこの世の誰よりも幸せなんだ

 僕らはあの世では一緒に暮らせるんだろうもう文通だけでなくってちゃんとした恋人どうしとして付き合えるだろう

 

 僕は沈みかけていた星子さんを抱きながら僕はただ泣いていたもう疲れ果てていた星子さんを連れて岸辺まで戻ってゆく力がもう僕には湧いて来ないでいた

 僕も星子さんも一人っ子で親に苦労ばかり掛けてきたそうしてこのまま死んでゆくことを思うと

 砂浜が呼んでいる砂浜が赫く燃えながら僕を呼んでいるペロポネソスのあの浜辺が僕を呼んでいる

 星子さんは早く岡に上げて人工呼吸をしたらまだ助かるかもしれなかったもうあきらめて真っ暗な海の底に沈みかけていた僕は再び必死になって泳ぎ始めた再び心の中で必死に題目を唱えていた

 僕は生き返ったように一生懸命岡へ向かって泳ぎ始めた口の中に水を入れては吐いたりしながら必死になって泳いでいた

 僕の親は僕の小さい頃から生活苦との戦いで僕のことをあまり構ってやれないほど忙しかった毎日毎日仕事と借金に追われていて僕のことをあまり構ってくれなかったでもそれだけ僕の親も苦労してきた忙しい仕事の中僕のことを懸命になって世話をしてきたやはり僕も死ねなかった

 星子さんは小さい頃から足が悪くて星子さんの両親は星子さんに構いっきりだった

 僕も星子さんも死ねないのに僕と星子さんは今こうやって死にかけていた悪魔の仕業のようにも僕には思えた

 僕は一時あきらめて泳ぐのを止めていた自分をとても恥ずかしく思っていたこのまま星子さんと一緒に死んでいこうと思った自分の弱い心をとても責めていた僕は親のためにどうしてでも死ぬ訳にはいかなかった

 薄れゆく意識は僕を遠い昔へと連れていっていた僕らが出会った年前のペロポネソスの浜辺の光景や夜遅く時や時ぐらいまで懸かって書いていた手紙のことを僕は悲しく思い出していた

 

      (海の中で僕が思う

 星子さんは人一倍頑張ってきたそれなのに今こうやって星子さんが負けてゆくなんて死んでゆくなんておかしいな僕には解らないな星子さんは誰よりも負けずに明るく生きてきたのに

 僕の差し伸べた手は星子さんの処には届かなかった星子さんはもう暗い海の底へと沈んでゆきつつあった僕が走ってきたときもう遅かった

 星子さんは僕が来ないのを恨ましげに思ったのかもしれないでも僕は星子さんの電話を貰ってから自分の体力の許す限りに一生懸命走った僕はここまで一生懸命走って来た

 冷たい暗い海の中から星子さんを救い出すのは僕には辛かった僕は疲れ果てていたまたもう息を止めている星子さんを陸に上げてそうして大声を挙げて僕には大声が人を呼ぶことのできる声が助けに来てくれる人を呼ぶことができるか僕は迷った僕は星子さんを抱きながらもう体力も気力も失せていた

 星子さんの手は柔らかすぎた始めて握った女のコの手は僕には柔らかすぎた

 星子さんの手は僕から通り抜けて再び黒い海の中へと落ちていった僕は潜った星子さんを再び掴んだときもう四メトルほど潜っていたと思う

 星子さんを掴んでから再び水面へ浮かび出るのが大変だった星子さんは疲れ果てていた僕には重たくて星子さんはとても重かった

 海面へと星子さんを連れて登りながら僕は一瞬手を放したほんの何秒かの間だったと思うけど僕には辛かったから星子さんを重い星子さんを手にして水面までへと行くのがあまりに辛く思えたからだから僕は星子さんへの手を放した

 僕にはこの苦しさが今までの自分の僕の苦しかった人生のようにも思えて僕は手を放した四つの頃から中一の秋までの市場の階での僕の人生狭い六畳二間で僕たち一家人は生活してきた毎日辛かった毎月月末には金策に追われ毎日夫婦喧嘩が絶えなくて少なくとも僕が小学年の頃までは毎日辛かった

 黒い海の中で星子さんを抱いたとき僕の心の中は何年も何年も星子さんを理想化し星子さんを神聖なものと思ってきた僕の誤解が崩壊してゆくまるで石造りの大きな建物が崩壊してゆくような感じに囚われていた

 僕は星子さんを抱いて沈みながら年間続いた僕らの文通の思い出を一つずつ一つずつ思い出していた星子さんの綺麗な封筒夜の時や時まで懸かって書いた手紙バレンタインデや誕生日の贈りもの星子さんの優しい言葉

 星子さんが僕の手を引いたと思ったとき星子さんは沈みかけていた黒い海の底へ沈んでいこうとしていたでもたしかに星子さんは僕の手首を握り締めていたたしかに僕の手首を握り締めていた

 星子さんが手を引っ張っている暗い海のなかで星子さんが手を引っ張っている

 

星子水の中で)                       

 苦しかったの星子やっと楽になれたの苦しかったのカメ太郎さんもいろんな障害を持った人は明日が来るのが辛いと思うけど星子今やっと解放されたの星子やっと自由になれたの

 星子自由になったのこれで苦しまないで良いようになったの

 幸せになりたかったのカメ太郎さん解って下さい死んだ方が楽だってそう思って星子は死を選んだの

 

 僕も苦しんできたのに僕も苦しいときも何度も何度もあったのに頑張り屋の星子さんが死ぬなんておかしいなおかしいな僕はもう死んでしまった冷たい躰に抱きついたまま泣いていました僕だって僕だって毎日の学校生活は地獄のようだったのにそれなのに死ななかったのに僕の方がもっと苦しんできたものとばかり思っていたのに星子さんの方が僕よりずっと楽なように思えていたのに

 

 ブクブクと水の中に沈んでいきながら僕は自分という存在を儚く見つめていた小さい頃から苦しんできてそうして今もこうやって苦しみながら死のうとしている僕の人生は何だったのだろうと近頃僕は思い始めてきた処だった

ずっと苦しんできたのよカメ太郎さん星子ずっと苦しんできたのよ……

 海の中に沈んでゆきながら星子さんは心の中で僕にそう叫び続けていた

カメ太郎さん星子ずっと苦しんできたのよカメ太郎さん星子ずっと苦しんできたのよ……

 僕も海の中に沈んでいきながら何も答えられなかった僕も苦しんできた星子さんだけでなくって僕もずっとたぶん星子さんよりも苦しんできたことを僕は星子さんに語りかけたかった

僕の方がもっと苦しんできたんだよ僕の方がもっと苦しんできたんだよ……

 僕は海の中でこう星子さんに語りかけるしかなかった身じろぎもしなくなっている星子さんにそう語りかけるしかなかった

 冷たい海の中で星子さんは囁いたようだった

カメ太郎さん星子たちが始めて結ばれたとき星子たちもうこうして死んでいこうとしているのカメ太郎さん寂しい?』

星子たち死んでゆくの始めて抱き合ったとき星子たち死んでゆくの

 星子さんはもう死んでいたもう星子さんの魂は天国へ旅立ちつつあった僕が来るのが遅かったんだそうして星子さんの飛び込むのが早過ぎたんだ

 星子さんは僕が懸命に走っていることを星子さんの鋭い感で気づいていたそれなのに星子さんは桟橋からすぐに身を投げたもしもう少し桟橋の上で僕の来るのを待っていてくれたなら星子さんは死なずに僕と涙の中で抱き合っていたと思うのに悪魔が星子さんの周りをもしかしたら僕の周りをも暗躍していたんだ悪魔が星子さんを死なせたんだ本当なら僕と星子さんは桟橋の上で劇的な再会をしていたはずなんだ

 僕はそう心のなかで言いながらもう死んでしまったらしく動かない星子さんをポコポコと水の中で叩いていました

 星子さんの魂は飛び上がりつつあった僕が網場の桟橋に着いたとき星子さんの魂はもう網場の海の上をお星さまになろうと舞い上がりつつあった

寂しかったからなのカメ太郎さんさようなら本当にありがとうカメ太郎さんさようなら楽しい文通本当にありがとう!』

 星子さんはそう言いながら五月の暗い冷たい海の中に呑み込まれていった星子さんは最後まで手を振っていた小さな不自由な手を僕の方に一生懸命に振っていた

カメ太郎さんさようならカメ太郎さん本当にさようなら』 

 星子さんはそう言って暗い五月の海の中に消えていったいつまでもいつまでも桜の花びらみたいに星子さんの手が僕に振られていた

 僕は笑っていました僕は星子さんを抱いて星子さんと一緒に黒い水の中に沈んでいっているのを薄れゆく意識の中で感じ取っていて笑っていましたああこれで僕も苦しい毎日から解放されるがんじがらめに縛りつけられたような苦悩に満ちた泥沼のような毎日から解放されると喜んでいましたしかも星子さんと一緒に白い天国へ旅立てるなんて星子さんもう全然意識がないのか少しも動かなくてもう死んでしまっているようだけど僕は小さい頃からずっと好きだった星子さんを抱き締めながら死ねることにとても幸福な思いを感じていた

 僕は星子さんの肉体の重みを感じ取って幸せだった僕は何もかも忘れていましたこのとき僕は現実の塵埃に満ちた毎日の苦しみを忘れ果てて何処か湖の岸辺を星子さんと手を繋いで飛んでいるようでした

 それは緑色の草や花や木々に囲まれた岸辺でしたいつか星子さんは健康な足を持っていてピョンピョンと元気そうに跳ねていました星子さんの表情はとても幸せそうで岸辺を跳ね回っていました

 

 

 

 

 

 

                                      

 

           (星子 最後の日記

 

 カメ太郎さん愛してます星子死ぬ前に一度でも良いから会いたかったそしてせめて少しでも良いから手をつなぎたかったここ半年ほど全然会ってませんものね寂しかったカメ太郎さん星子とっても寂しかったのよ寂しすぎたから死ぬのかもしれないのよ会いたかった会って話をしたかったでもでもこんなこともうできないのね星子もうすぐ死んでゆくのだから

 カメ太郎さん立派なお医者さんになって下さい星子天国から応援しますきっとカメ太郎さんの傍に居続けますそしてカメ太郎さんを守りつづけます

 星子の魂は海の中に溶けてゆくんですね星子がいつも夕方見つめていたあの海の中に心配しないで下さい星子は幸せでした今もとっても幸せです死ぬのが勿体ないみたい

 カメ太郎さんステキな恋人を見つけてね星子よりずっとずっと素敵な女の人をそして幸せになって下さいそして星子のことはー、あんな変わった女の子がいたなぐらいにしか思い出せないようになって下さい

 ではさようならお元気でさようなら

 

                ()

 

 

 

 

後がき

 25年前に書いた原本フロッピー)が見つかりましたこっちの方が遙かに良いと思います自分は推敲をして却って悪くしていたようです

 僕はうつ病性障害ですので勝手に編集と推敲お願いします

  Please,  autofix  my  novel.

 誤字などautofixしてください

 

略歴1】

 本名は国家機密で『007』と言い張るペンネムはカメ太郎』。男性長崎県に生まれ長崎県にて育つ誕生日は0000射手座になる。00歳と主張する外見上はどうしても30詳しいことは本文を参照と言う何かのスパイらしいある国会議員のスパイをしていると言っているまたはある国会議員の秘書をしているとも言っている知れたらクビになるので言えないと言う本当かどうかは不詳この星子さん22歳の頃書き幾つかの文学新人賞に応募したが駄目でパソコンのフロッピの中に長く眠っていたと言う眠りすぎたと言うこの前この秘密文書が発見された顔写真は00000000000と言う宇宙人かもしれない

 社会的立場これ以上のことは告げることはできないと主張する怪しい人物であるやっぱり宇宙人のようである悪魔と戦っている

 

略歴2】

 宇宙人詳細分からずやはり悪魔と戦っている

 

略歴3】

 25年前星子を幾つもの新人賞に応募したのに一次審査にも一つもたしか通らなかった。25年の月日のうちに時空が歪んでこうなったのか理解に苦しむ時空が歪んだのだそして空間も歪んだのだ。25年のうちに時空と空間が歪んだのだと僕には思われましたそれともポチャンッという音が変化したのか不思議だ悪魔と戦っている

 

星子と星子さんが混乱しているところが多々有るはずです。auto fix して下さい。

 

 

 カメ太郎悪魔と戦っている

mmm82889@yahoo.co.jp(携帯よりこちらの方が非常に都合が良いです)

 

            カメ太郎  悪魔と戦っている

 

 

http://sky.geocities.jp/mmm82888/2975.htm