日曜日

 

                                                           カメ太郎

 

 

 僕は星子さんに何か喋りかけなければいけないと思った。僕は数回口もとをわななかせたあと喋り始めた。

『星子さん、ここがよく僕が夕方来る処なんだ。午前中はいつも血みどろの自転車の鍛錬、そして午後からは図書館でぶっ続けの3時間の勉強。そのあとの空白の時を僕はよくここへ来て過ごすんだ。周りにはツッパリの女子中学生や女子高校生がたくさんいるだろう。僕は彼女たちを好きで彼女たちと友だちになりたいと思っている。彼女たちは長崎にいる桃子さんなどを忘れさせてくれるし』

 でも言いかけてふと振り向くと星子さんは悲しげだった。僕は余計なことを言ってしまったという後悔と自己嫌悪の念で一杯になった。星子さん、あれから2年経つんだね。星子さんが死んでから今日で丸2年だね。その間、僕にもいろいろなことがあった。だから許してくれよ。僕も僕なりに星子さんを忘れようと一生懸命だったのかもしれない。

 僕の弁解がましい言葉は不思議にもますます星子さんの表情を悲しげにした。星子さん泣き出す寸前のようだった。

 

『私たち、なぜ小さい頃から障害をもって苦しまなくてはならなかったのかカメ太郎さん知ってる?』

----突然、星子さんがそう言った。僕らの間にできた気づまりな雰囲気を消すために星子さんはそう言ったような気もした。でもなんとなく星子さんの表情は険しかった。

『私たち、魂を清めるために障害を持つことになったのよ。私たちの魂ちょっと良くなくて、障害でも持って苦しまなくっちゃ魂を清められないと神さまが判断なされたの。だから私たち障害持っているからって、いじけたりひねくれたりしてはいけないの。私、死んでからやっと解ったわ。でももう遅かったわ。私、それで神さまから信用なくしちゃった。私、魂が汚れたままで、暗い暗い霊界をさ迷いつづけているの。自殺したから神さまから見離されたから。

 私、だから天国へ帰れないの。そこは何にも苦しいことなんてなくて楽しいこと、おもしろいこと、楽なことばかりで、そして少しも苦労なんてしなくっていいのです。そこは私たちの魂の故郷で、私たちそこから生まれるとき出てきたんです。この世で修行しなくちゃダメだ、と神さまから言われて。だからこの世は修行の場なんだから苦しいことが多いんです。

 でも星子は自ら命を絶って、苦しさに負けてしまって、修行を放棄してしまったの。神さま、星子を見捨てなさったわ。星子、少なくとも千年は暗い暗い霊界をさ迷い続けなくてはならないの。冷たい冷たいとても淋しい霊界を。暖かい天国に星子、少なくとも千年は戻れないの。千年もよ』

 星子さんの声は最後は激した様子に変わっていた。僕はうなだれて聞いていた。

『私たちの魂の故郷は、湖みたいなところなの。とても綺麗なところで周りを林に囲まれていて輝いているの。みんな綺麗。宮殿があっていつもそこでパーティーが開かれているの。綺麗な音楽が流れていてそれヴァイオリンみたいな音楽だわ。宮殿じゅう香水が撒かれているみたいでそれ花の匂いなのかな。宮殿のまわりに咲いているたくさんの花の匂いなのね。みんな微笑んでいるわ。暗い顔した人ひとりもいない。ワインなのかな、紫色の液体を男の人が飲んでいるのが見えるわ。小さな女の子がライオンに寄り添ってうたた寝してるし、湖に船を浮かべてキスをしているカップルもいるわ。空を飛んでる人もたくさんいるわ。白鳥がいて、とても大きなランの花が湖畔に咲いているわ』

 そう言って星子さんは涙ぐんでいた。そして手を顔に押しあてて必死に嗚咽が漏れるのを防いでいた。僕は傍に寄っていって肩でも抱いてやろうと思うのだが体が動かない。神さまが僕のうしろにいて僕の両肩をものすごく強い力で押さえていて僕は身動きができないのだろう。そして神さまが呟いた。『放っておきなさい。放っておきなさい』

 僕はなぜ神さまがそう言われるのか解らなかった。手を伸ばせばすぐ届くところにいる星子さんなのだが、やはり煙っていて今にも消え入りそうだった。命日にかこつけて、特別に僕の前に現れてきてくれたんだと思えた。きっとまたすべてを犠牲にして現れてきてくれたんだと思えた。

 星子さんは今にも消え入りそうだった。

 

      (カメ太郎さんには新しい未来が待っています)

 カメ太郎さん。カメ太郎さんには明るい未来が待っています。カメ太郎さん。カメ太郎さんはもう過去の思い出にとらわれているようではダメ。とくに星子のことなんか、つまんない星子のことなんか忘れて、新しい未来へと羽ばたいてください。カメ太郎さん、とっても立派なお医者さんになって、たくさんの悩んでいる人たちを救っていって下さい。

 カメ太郎さんは今まで自分が苦しんできたことを生かすチャンスがあるのではないですか。こんなこと、自殺しちゃった星子が言う資格はないのだとは思いますが、私、どうしてでもカメ太郎さんに会いたかったから、だから私、今日、三回忌に行かずに、パパやママにも会いたかったけど、カメ太郎さんの処に来たのです。

 カメ太郎さん、頑張ってね。星子さんの分まで頑張ってね。

 

 

 ふと消えていった星子さん。手を延ばせば届くところにいた星子さん。星子さん、僕は僕を苦しめてきた不思議な病気の本体を解明して世の中にたくさんいる僕と同じような病気で苦しんでいる人たちを救うんだ。

 僕はそっと立ち上がった。ゲーム機の金属音やベルの音が響き渡っていた。

 

 

 

                       

 

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