冬子さん

 

                                           カメ太郎

                           

 

 

『子供は要らないから、結婚しよう』

 5月6日(日曜日)2001年の夜10時45分の車内での語らいだった。冬子さんの胸に抱きついて僕はそう語っていた。

 長崎からの帰りだった。前原へ通じる海岸縁の曲がりくねった細い道を4ヶ月前に買った平成元年式のマニュアルミッションのプレリュードで走っていた。そのとき携帯の電話が鳴った。冬子さんからだとは思いもよらなかった。長崎からずっと、これからの人生のことを考えながら題目を唱え続けて2時間半ほど経っていた。疲れてもいた。電話は10時15分ごろ鳴った。眠気を追い払うために缶入りのコカコーラを10本近く飲んでいた。そのために途中で2回ほど小便のためにクルマを止めた。コカコーラを飲まないと眠くて運転するのが危なかった。

 4日間のゴールデンウィークだった。そのうち2回、見合いの相手と会った。1回目は長崎に帰ってきたその日、帰りがけに会った。夕方、7時近くに諫早のサンアイで待ち合わせをした。帰りがけ、大村のあたりで携帯からその子に電話した。

『僕は愛することができないのです。冬子さん以外の女の人を』

 従妹の同級生との付き合いは未だ2ヶ月であった。僕より4歳年下でピアノの先生をしている。しかし僕はその35歳になるピアノの先生に性的魅力を感じることができないでいた。性格は非常に活発であったが、性的魅力を感じないではどうしようもなかった。

 そのピアノの先生にも来週日曜日前原へ来い、とゴールデンウィ−クの2回目のデートのとき言ってしまっていた。しかし『来るだろうか?』と思ってもいた。僕の心が彼女に無いことを読み取ってもいた。しかし自分は強引に来週の週末、前原の僕のアパートに来るように言った。

 そう言った夜の2日後の夜だった。本当に僕は迷っていた。クルマの中で題目を唱えながら、襲い来る倦怠感とコカコーラを飲みながら戦っていた。

 本当に鬱病だな、と思っていた。気力が涌かない。いつもは抗鬱薬が効いていたが、今日だけは効かない、不思議だ、と思っていた。

 昨日は12時間も眠ったのに、それなのに疲れが取れていない。昨夜、近田さんのアパートで見合いの彼女と豪華な寿司を御馳走してもらった。それなのにその子と結婚しないのは近田さんに悪いな、とも思い悩んだ。冬子さんと結婚することはやはり辞めるべきだろうか、とも思い、迷っていた。

 迷っていた。見合いの女の子に性的魅力を感じないのでは仕方がないな、とも思ってもいた。

『“狭き門”を書いたジイドは結婚相手……それは従妹だったけれど……を女神のように崇め決して性的関係を持つことはなかった。一度、他の女性と性的関係を持って子供をもうけたけれど』

『それに僕の父の兄は結婚を祖父から断られ心中した。だから僕の親は冬子さんとの結婚を断ることはしない』

『えっ、本当?』

 夜11時の暗がりのクルマの中で冬子さんの胸に顔を埋めたりときどき冬子さんの顔を薄暗がりの中で見たりして僕は語っていた。冬子さんはやはりとても美人だった。

『私も40の頃、高価な洋服などを買ってくれたり、そしてマンションも買ってくれると言う会社の社長が現れましたがどうしても好きになれませんでした。だから今の先生の気持ち良く解ります』

『好きになれない。冬子さん以外はどうしても好きになることができません。僕も僕の女神様として冬子さんを崇めていこう、という考えもあります』

『私、今、生理があってるの。3日目なの。いえ、4日目かな?』

『でも無理して子供を産んだって』

『養子を取ったりすることは?』

『でも子供は面倒だし、要らない、と僕は思っている』  

 子供を育てることが煩わしいと思う心は今の自分の鬱的な気分がそうさせていた。貧困マ想があった。この軽い鬱病は去年の12月20日頃からだった。

 夜11時の暗がりに見る冬子さんの横顔は美しく、もし30歳ぐらいだったら結婚相手として全く申し分がなかった。この横顔を自分は以前いつか何処かで見たことがある記憶があった。それは大学時代の前半のことのようだった。元気だったけど、信仰を退転しており、心は堕落していたあの頃のときだった。

  性的欲望も現在の軽い鬱病が無くさせていた。セックスをすることが煩わしい、と思えていた。子供を造るためにセックスをする、面倒だ、と思えていた。

 朝、起きることができない、もうこれが半年は続いていた。抗鬱薬を前の夜に服薬すると翌朝は遅刻しないように起きることができていた。慢性疲労症候群類似症と自分で診断していたのは軽い鬱病らしかった。

 2年あまり前から18の頃から苦しんでいた社会恐怖(対人緊張)を治すため社会恐怖(対人緊張)に効くとされるSSRIを大量に服薬していた。その大量服薬のため激しい全身倦怠感があったが18の頃からの対人緊張を治すためと思い、通常量の2倍に当たる量を服薬し続けていた。インターネットより日本では未だ使用されていない良く効くとされているSSRIなどを購入し、2週間に1度の通院で貰っていたデプロメールを服薬せずにそのインターネットより得たSSRIを服薬していた。

 それにより幼い頃からの吃音は非常に軽くなった。しかし痙攣性発声障害はそのままだった。社会恐怖(対人緊張)もあまり変化がないようだった。吃音が非常に軽くなったのは体力の減退、交感神経過緊張の軽症化によるものらしかった。

 今はSSRIは精力の減退をもたらす副作用があることを知り、同じ抗鬱薬であるMAO阻害薬を服薬していた。またこちらの方が社会恐怖(対人緊張)に効果があると言われていた。

 この社会恐怖のために収入の高い職場に就職することができないでいるし、また研究施設に入ることができないでいた。自分は研究者向きであることは自分自身でもよく解っていた。精神薬理学を行いたかったし、精神科の病院で働きたかった。この脳神経外科では精神科の病人は極めて少なかった。

 現在39歳。今から競争が激しく収入が少ない研究の方に進むのは極めて難しいようだった。研究の方はほとんどが人員が足りていた。

 現在の病院は給料が極めて少なかった。長崎の諫早の精神科の病院から勧誘が来ていた。しかし未だ社会恐怖が治癒しないでいる現在、例え院長との面接で通ったとしても社会恐怖のためその精神科の病院でやってゆく自信はあまり無かった。たしかに大学時代の友人が一人、顔見知りが一人常勤として勤めているにせよ、自分の社会恐怖、そのうち解雇になるような気がしていた。

 僕と冬子さんが知り合ったのは4年前、自分が前原のこの病院へ来てすぐの頃だった。不眠症で悩んでいるという冬子さんの背中にプロカインを4アンプル打った。背中が非常に固くなっていた。その背中の硬結にプロカインを打った。その硬結は比較的広範囲でプロカイン4アンプルを必要とした。そしてその夜、冬子さんは睡眠薬無しでぐっすりと12時間あまり眠れた。またそれまで不眠症で九大の精神科に通っていたが眠前のメイジャートランキライザーをbenzodiazepine系のクスリに全て変えてそしてそれ以来、夜の睡眠も良くなったし、夜の非常に怖い夢を見なくなった。

 そして僕たちが恋人の関係に陥ったのが1年半ほど前、自分が中国整体術に凝っていたときだった。中国整体術を行う場所がないから病院のすぐ近くの自分のアパートでしようと誘った。冬子さんはのこのこ附いてきた。

 そして中国整体術を行っている途中で自分は冬子さんに『好きだ』と抱きついた。そしてセックスまで至った。それ以来、2ヶ月に1度ほど僕のアパートでセックスをした。自分自身、若い女性と結婚して子供を作り家庭を築かねば、という考えがあり、愛欲に溺れてはいけないと、2ヶ月に1度という状態になっていた。2ヶ月に1度、僕は弱い心に負けていた。

 また冬子さん自身が僕の将来を案じて自分から身を引いていた。

『もう会ってはいけない、とは思うものの電話が掛かってくるのを待っている』

『私のようなのとは付き合わず、若い女の子と付き合って子供を作って幸せな家庭を築いて貰いたい』

『でも、電話が掛かってこないと寂しくなってしまう』

 今日のように冬子さんから電話が掛かってきたことは記憶にないことだった。いつも寂しさに耐えかねて僕の方から冬子さんの携帯に電話していた。冬子さんは決して自分から僕に電話することはなかった。

 美しい冬子さんの横顔はたしかに自分が20歳前後の頃、見たことがあるような気がした。もうあれから20年近くが経つ。

 もう冬子さんも50歳になったし、体外受精も無理な気がした。子供なんて要らない、子供なんて厄介だ、と思えた。

 しかしみんなが幸せな家庭を築いている。子供を作って幸せな家庭を築いている。

『いつか何処かで見たことがあるんです。冬子さんにそっくりの女の人を。僕の大学時代だと思います。誰だったか、思い出せません。僕の長い大学時代の最初の頃のような、少なくとも前期の頃のような気がします。横顔がそっくりなのです。その憧れというか、その思い出が20年経ってまた巡ってきたような、そんな気がします。横顔が本当にそっくりです。クルマの中で夜の光に照らされたその横顔は20年前の長崎で見たその横顔にそっくりです』

『20年前、古いクルマで稲佐山に登ったそのときに見たような気もしますし、どうしても記憶が曖昧になってしまってよく思い出せません』

『遠い昔、たしかに冬子さんにそっくりの横顔を見ました。高校時代のような気もします。高校時代、県立図書館か市民会館で見たのかもしれません。そしてそれは東校の下級生か上級生か、他の高校の女の子のような気もします』

『毎晩、8時近くまで勉強していた県立図書館か、ときおり県立図書館の代わりに勉強していた市民会館か、よく解りません』

 冬子さんを家の前まで送っていって別れたのは11時を少し回った頃だった。悲しかった。でも歩き去ってゆく冬子さんを幸せにしなければ。可哀想な冬子さん。何故あんなに美しいのに結婚しなかったのだろう。冬子さんは手を振っていた。クルマの中の落ちぶれた僕に手を振っていた。

 冬子さん。僕を慰めてくれる冬子さん。恋しい。とっても恋しい。

 

 

                                  

 

 

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