冬子さん(2)

 

                                                 

 

 

 具合が悪くて寝ていた。この日曜日、冬子さんが来ていた。そして冬子さんとお喋りをしていた。

『あんまり喋ると体に悪いわ』

 たしかに喋るのも体に応えていた。主に冬子さんが喋り、僕は聞き役に回っていた。僕の体は弱り切っていた。帰りは必ずクルマで僕が冬子さんを家の前まで送ると言っていた。冬子さんは歩いて帰るのでいい、と言っていた。たしかにクルマを運転するのも危険な気がしていた。冬子さんの言うように冬子さんには悪いけれど、クルマで送るのは止めていた方が良いようだった。

『自分はたしかに何処かで見たことがあります。ずっと昔、長崎の何処かで』

『冬子さんの横顔にそっくりの横顔をたしかにずっと昔、長崎の何処かで見たことがあります。バスの中だったような気が今しています。それは何処へ向かうバスだったのか、よく解りません』

『何処かの星へ向かうバスだったのか、夢の中のような、そんな気がします』

『銀河系のどこかの星か、どこの星か、あまり良く解りません』

『自分は創価学会員だ。広宣流布への使命がある。その自覚が自分を支えています。もしこの自覚が無ければ自分はめそめそした自分のはずです。でもその自覚がぎりぎりの処で自分を支えています。そしてまた今の冬子さんの存在も自分を支えています。でもたしかに2つ有ってもぎりぎりの処です』

『前原にて死す。死ぬもんか。前原で死ぬもんか。自分は死ぬとしたら故郷の長崎で死ぬんだ』

『喋ったら体に悪いわ。喋ったら体に悪いわ』

 高熱に唸されるように僕は喋っていた。熱はなかった。しかし体は苦しかった。しかし少しだけ苦しいだけだった。怠さが主だった。

『抗うつ薬を飲んだので、日曜日に一日で軽くしよう、治そうと思ってたくさん飲んだので』

『抗うつ薬は普通の日には飲みにくいので。飲んだら具合が悪くなるので。普通の日、休むわけにはいかないので』

『長崎で高校時代、中学時代、町で見た活水の女の子。たぶん活水だったと思う』

 怠さのためか熱はないが朦朧状態に近く自分はなっているようだった。

『冬子さんと今日は遊ぶつもりだったのにごめんね。今、ホルモン焼きの店が開店して、開店のため今月末まで半額キャンペーンをやっているから、それを今度の日曜日一緒に食べに行こう。今日行こうと思っていたけど行けなくてごめんね』

 うつ病のため朝起きれなくて毎日遅刻の日々だった。朝、どうしても気力が涌かない。トイレには起きてもまたすぐ布団に寝ていた。そのため朝の勤行は最近全くできないでいた。

 そしていつも9時過ぎに起きてすぐ近くの勤務先へ行く。最近では10時、11時、1時半、3時に勤務先の病院へ行くことようにもなっていた。3時に病院へ行ったのが2回あった。

『僕は白いポッチャリタイプの女の子が好きなのです』

 自分がよくそう言うから冬子さんは一日4回食事を摂っているという。朧気な意識の中、自分はまたそう言ったらしかった。

『今まで40年、いえ、正確には39年、生きてきました。辛いことがたくさんたくさんでした。小さい頃は貧乏で、市場の6畳2間に住んでいました。僕が小学3年の終わり頃まではいつも夜逃げ寸前の状態でした。小学5年の頃までは月末になると僕の貯金箱も、姉の貯金箱も空になっていました。店を維持していくためです。

 中学1年の冬、僕は長崎市の創価学会の中学生の大会の司会に選ばれました。そしてそれから毎日2時間の唱題を始めました。勤行もですから毎日2時間45分ぐらい、お祈りをしていたことになります。しかも中等部(創価学会の中学生の組織のことです)担当の幹部の人から唱題・勤行の時は力を込めて唱えなければならない』と指導され、自分はその通りにしようとしました。しかし力を込めると大きな声になります。母は自分が大きな声で唱えるものだから隣に聞こえると小さな声で唱えるように言います。ですから喉に力を込めて声を殺して唱えなければなりません。そうして喉頭炎を起こしました。しかし自分はそれでも毎日気合いを入れて喉に力を込めて3時間近く唱えていました。そして音声衰弱症という大きな声が出ない珍しい病気に罹ってしまいました。今もその病気は軽くならず続いています』

『そして10年前の交通事故。僕の頭蓋骨はフルフェイスのヘルメットを被っていたにもかかわらず、2つの大きな線状骨折を造りました。今も頭の骨は陥没したままです』

『喋らないの。喋ったら疲れる』

 冬子さんはそう言って僕に口づけをしてくれた。

 沈黙はしかし5分程度だった。僕はまた喋り始めた。

『今度、冬子さんが好きだという唐津の温泉に行ってバーベキューだったか、何だったか、食べ放題のそれを食べましょう』

『でも僕は冬子さんのように4時間もお風呂に入っておくなんてこと、やっぱりとてもできないな』

『それに僕はそんなに呑気にしていると、焦燥感に襲われてしまう。小学生の頃の僕だったら4時間、お風呂に入っていることもできたと思います。しかし、今の僕には宗教的使命がある。焦燥感に襲われてしまう』

 僕はそう言って冬子さんに抱き付いてしまった。冬子さんは僕が重たくて倒れてしまった。僕はそして力尽きて冬子さんを放し、再び布団に静かに横たわった。この体の具合の悪さは抗うつ薬をあまりにも多量に飲んでいるからだった。自分の対人恐怖とうつ病を治そうと思い、大量に飲んでしまった。自分の病気との闘いは少なくとも対人恐怖に関しては21年を経過していた。

『しかし僕はその宗教をしないといじけて、そして元気がなくなってしまう』

『この宗教は現世が駄目でも来世があると説いている。でも僕は現世で負けない』 

 午後3時半になっていた。6月の中旬で日は長かった。僕は何かを言いかけて力尽きたように再び眠りに入ったようになった。

 

 

                                         

 

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