長野にて

                      

                                          カメ太郎

 

              

            

 あの子の名前をどうしても思い出すことができません。新館3階のあの子の名前を——小林00さんだったような気がします。

 僕が長野を去る3日ほど前、ローソンで見た美しい女性、僕はその子がいつも見ている新館3階の看護婦さんであることに全く気付きませんでした。

 看護婦の服を着たときと私服のときとでは全然違いました。でも、もう、あの子も結婚しているような気がします。自分は結婚しましたが、子供が生まれず、離婚を考えています。子供が生まれないのは僕が悪いのではありません。妻の身体の方が悪いため生まれないのです。でも、子供は必要です。

 精神科への情熱を捨てきれず、長崎の精神科の病院に移りましたが、福岡で不安障害やうつ病、軽い分裂症の患者さん相手に仕事をしていた方が良かったような気もします。

 自分も41です。子供が欲しいです。妻は顔を見ないで貰えば良かったと反省しています。

 軽いうつ病が4年前より続いています。欠勤がかなり多いです。朝は起床するのが大変です。

 学会員はやはり学会員と結婚しなければいけないと最近実感しています。

 

 小林00さんが長崎までお嫁に来てくれたらとよく考えます。でも、今の妻を追い出すのも可哀想で、煩悶しています。

 

 もう何年前になるでしょう。長野を去る数日前、夜、ローソンで出会った美しい女性、それがいつも見ている新館3階の看護婦さんであることに気付かず、喋り掛けることができず、僕は数日後、長崎へと帰って行きました。あのとき喋っていたら僕の人生は変わっていました。

 また、8ヶ月後、長野に戻ったとき、長野の創価学会の長から「長野にずっと居なさい」と言われたにもかかわらず、九州へ去っていった自分。僕はあのとき長野にずっと居たかった。ただ、前の日、日曜日、『凧になろう、風に吹かれる凧になろう』と決断をしました。そして日曜日の夜、福岡の病院から007が来て自分を九州へと連れ帰ったのでした。

 小林00さんと結婚していたら今頃は子供が何人か生まれていて可愛かったのに、と悔やむ日々です。      

 

                        カメ太郎

                (2003年を目前にした日に記す)

 

http://sky.geocities.jp/mmm82888/2975.htm