焦燥
カメ太郎
何かが足りない、何かが足りない、と思いながらもそれが何なのか解らない。それは青春の何かであることはたしかなのだけどそれがいったい何なのかわからない。僕は昨夜それがいったい何なのかわからなくて一晩じゅうビデオやテレビを見ながら考えていた。そして今日、朝から後輩の下宿の炬燵の中に埋ずくもりながら考えていた。
僕に足りないのはいったい何なのだろう。
それは恋人なのだろうか。それとも宗教かマルクス主義かの信念なのだろうか。
何かが足りない、何かが足りない、と思いながらも心焦る僕は昨日は浦上川の川縁を旅してきたものだ。僕に足りないのはきっと恋人なのだろうと思って。
僕は夕陽に照らされながらずっと前の高校時代の思い出の女の子を捜し求めてさまよった。川縁を歩いているときっと向こうからその女の子が思い出のなかの微笑みを浮かべながら歩いてくると思って。
でも僕はほとんど日の暮れかかった頃、三菱の前からバスに乗って後輩の下宿にうなだれながら帰ってきてそしてバイクに揺られながら家へと帰ってきた。そうして晩御飯と風呂を済ませたあとずっと夜一時までビデオとテレビを自分の部屋で見づづけたのだった。親に隠している留年生活の重苦しさと窒息感が僕にはあった。そして毎日ほとんど誰とも口をきかない日々の羅列に僕は窒息しかけていた。
寂しい毎日だなあ、と僕はこの頃ようやく気づきかけていた。そうして足りないのは宗教でも信念でもなくって恋人なんだなあと僕はようやく気づきかけていた。
僕はこの頃恐ろしい倦怠感に陥っていた。22歳を迎えようとしていた。四年生の大学に行っている他の人たちは順調に行ってたらもう卒業だった。でも僕は再び九医を受け直そうかと思ったりまったくまだ卒業なんて遠い先のことだった。僕は自分の倦怠感はそこから来ているのだろうと思っていた。
ルドンの絵の中の幻の女性が僕の前に現れて僕を救ってくれるÉ僕はそんなことを思い始めていた。
僕は今日も来ていた。この松山の川縁に。でも僕には昨日のように秋月町目ざして歩いてゆく気力は湧いて来なかった。後輩の下宿からここまで歩いてくるのがやっとだった。
そして今日もまた暮れてゆこうとしていた。そして僕は自分はいったい何のために生きているんだろうかという思いに囚われてきていた。留年していることやバイトをできないことで僕は親への罪悪感で胸がいっぱいになっていた。
————いったい僕は何のために生きてるんだろう————
朝はそんなに感じないその疑問も昼になり夕方になるにつれてだんだんと強くなってくるのだった。そして僕はいつも夕方頃強い焦燥感に襲われて後輩の下宿を出る。
今年の春の合宿のとき知り合った高校生の女の子と夏頃から文通を始めたのだが僕が2回目の手紙を出したあとぷつりと手紙が来なくなっていた。その寂しさもあったのだろう。僕の胸のなかの焦燥感は22才の誕生日を前にして日に日に強くなっていた。
完
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