朝なのに日が暮れてゆく(2)
カメ太郎
「僕もTさんも広宣流布のために病気になったんです。そしてそれを誇りにしています。」
「御書にあります。黒金を鍛え抜けば疵のあらわるるが如し」
「海をのんびり見ている余裕がないのです。もし、海をのんびりと見ていたら癒されるでしょう。しかし、きっと、海を見ている途中で、いたたまれなくなってしまうでしょう。そしてそれが、僕たちの病気の…」
「それは兄弟抄か佐渡御書にあります。大聖人様が極寒の佐渡で著された御文です。」
革命のために命を捨てる、その覚悟をしたとき、魔は憤然として競い起こってきます。適当に信仰していたら病気にもならず良いような、そんな気になってしまいます。本当はそれではいけないのでしょうけれど、現世安穏をどうしても最優先にしてしまいます。一生懸命、信仰することにためらいを感じてしまいます。
もし、法難が起こったら自分は信仰を捨てるでしょう。そんな弱い信仰ではいけないと思いつつも、命を捨てる覚悟にはどうしてもなれません。命を捨てる覚悟で信仰している人はこの日本ではほとんど居ないでしょう。
弱い信仰でも良い、一生涯貫き通すことが大切だ、と言われたら安心します。今の日本ではまず法難は起こらないでしょう。ですから弱い信仰でも、一生涯貫き通すことができると思います。
しかし御書には命を賭けて信仰するようにとも書かれています。また、水の信仰で一生涯信仰を貫き通すようにとも書かれています。炎となり易い自分には水の信仰を心懸ける方が良いと思います。
炎となって燃え尽きて退転した学生時代のことが思い出される。しかし、自分は中学・高校・浪人時代と炎となって燃え続けたようにも思います。小さな炎でしたが、自分はその厳しい少年時代、燃え続けました。
少年時代、自分は病気との闘いでした。鼻の病気、喉の病気、そして高校3年の終わり頃に掛かった対人恐怖症、自分には心の安らぐ暇がありませんでした。苦しい学校生活が終わって家で御本尊様の前に座り一生懸命題目を唱え続けて耐えてきました。
http://sky.geocities.jp/mmm82888/2975.htm