壮年43歳

                           カメ太郎

 

 物憂い疲れがあった。43歳の壮年の倦怠感みたいなものだ。結婚に破れ、妻がいない。子供も未だ造ったことはない。離婚したのは1ヶ月ほど前のことだ。再び、妻とよりを戻そうという考えもあった。軽いうつ病気味だと自分で診断していた。物憂い、物憂い、自分の頭に貼り付いたその言葉が12月の寒さに耐える自分の頭に繰り返される。明日の朝、寝坊することなく起床することが出来るだろうか?そう言う心配までしていた。軽いうつ病は確実であった。

 妻とは喧嘩して別れたわけではなかった。子供が作れないのを自分が気にして別れたのだった。しかし、性欲が湧いてこない。5ヶ月前、自分は妻に悪いと思ってマスターベーションを止めた。それ以来だ。マスターベーションをする気も湧いてこなくなった。以前は毎日のように夜寝る前に行っていたマスターベーションが何故かする気にならなかった。身体の活力が減ったのか、とも思った。マスターベーションを止めるとともに飲み始めたブスピロンがいけないのかも知れなかった。しかしブスピロンは大きな事件を起こしてそれ以来飲むのを中止していた。しかし、事件後、4ヶ月経っただろう、久しぶりに飲んだ。そしてその日、当直に大きく遅れた。しかし今からは巧く飲んでゆこうと思っている。ブスピロンは勃起を起こす作用が有るようだった。もっとも勃起を抑えない抗うつ作用のある物質としてブスピロンが挙げられていた。そのとおりブスピロンには勃起を抑える作用はないようだった。却って勃起を促進させる作用があるようだった。

 今日の帰りにいつものように近田さんの処に寄って勤行をしなければならなかった。近田さんのつてで2番沿いが来てくれれば良かった。しかしあまり宛にも出来ないような、そんな涜神的な心配もあるのだった。

 妻は自分のマスターベーションする姿を2、3度見たという。そして多少ショックだったという。女性の膣の中で射精の出来ない自分にはマスターベーションしか無かった。

 50歳の女性の膣の中では射精は難しいだろう、しかし20代の女性の身体は反応する。女性が行くときに自分も行くものだと近田さんから聞いた。今はただ、近田さんの言うことを宗教的に聞いてゆくしかなかった。別れも近田さんの言うとおりにした。信仰の先輩である近田さんの言うとおりにしてゆけば大丈夫という想いがあった。自分で勝手に女性を見つけるという方法もあった。そうしたら近田さんたちも苦労が減るだろう。しかし自分に親しい女性はいなかった。

 妻とよりを戻す、それが一番いいかなあ、という気がしていた。今更、全く知らない女性と一緒に住むよりも妻とよりを戻した方が良いようだった。

 デプレッションーーこのまま疲れ果て何も思わず横になりたい。泣き言と愚痴を言いたくなる日々だが、「師弟不二」の言葉を思い起こし頑張ろうという気力が湧いてきた。明日は学会活動全て休んで休憩しようと思っていたが「師弟不二」の言葉を思い起こして頑張ろうと思い始めた。

 現実は厳しいと泣き言と愚痴に満ちていた自分の心は「師弟不二」の言葉を思い出して勇気が湧いてきた。

 池田先生の活躍、その千分の一、一万分の1でも近付こうと思い始めた。

 池田先生が今の自分の姿を見たらどんなに悲しまれるか、「師弟不二」の言葉を思い出して再起を誓う。

 

 

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